有馬頼底 「『臨済録』を読む」読了
新聞を読んでいたら、漫画「ショムニ」の作家が、「臨済録」について書いていた。人間関係や進路に迷っていた時、この書物に書いていた、「逢著便殺」という言葉に救われたと書いていた。
『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、初めて解脱を得、物と拘わらず透脱自在なり。』という意味なのだが、これはなかなセンセーショナルな文章だ。「臨済録」というからには、おそらく臨済宗の経典か何かだろうと想像はつくがこういう書物があったということはまったく知らなかった。
曹洞宗では、「正法眼蔵」が有名だが、臨済宗にもこんな書物があったのである。
「正法眼蔵」と同じく、オリジナルを読んでも多分まったく理解できないだろうと思って入門書のような本を借りてみた。
一応、有馬頼底という人が著者ということになっているが著作ではなく、エディシオン・アルシーヴという出版企画会社の主宰である西川照子という人との対談という形になっている。この、有馬頼底という人だが、臨済宗相国寺派七代管長という立場にある人で、金閣寺、銀閣寺の住職も兼ねているというのもすでに凄いが、明仁上皇のご学友であり、元は大名の血筋、母親は公家の出身であるという。G1レースの有馬記念はこの人の本家が発案だそうだ。
こんなサラブレッドとしか思えないような人が仏教を語ってもなんだか胡散臭いだけのような気にもなるが、それは隅のほうに置いておいて、「臨済録」には何が書かれているのか、多分、ほんの一部しか触れることができないであろうけれども、読んでゆきたいと思う。
「臨済録」とは、中国、唐の禅僧・臨済義玄の言行録である。宗祖・臨済の“言葉”の書であるにも関わらず、臨済宗の最盛期であった室町時代にはなぜかあまり読まれてはいなかった。人気があったのは、道元が宋より伝えたという「碧巖録(公案集)」のほうで、これは、臨済宗が公案を拈提することで答えを出すという修業の方法をとったからである。
ちなみに、道元が宗祖である「曹洞宗」は只管打坐というひたすら座禅をし続けて悟りを得ようという修業の方法であるのでかなり対称的である。
また、日本の禅宗というと臨済宗と曹洞宗が有名であるが、曹洞宗は単一教団であるのに対して、臨済宗は十五派に分かれて活動しているというのも対称的である。著者はその一派の管長ということになる。
この本は、臨済録をダイジェスト形式で紹介し、その意味、さらにそれを受けて人はどう生きるべきかということを語っている。しかし、もともとが臨済義玄が論理的にしたためた文章ではなく言行録というだけあり、それが何を物語っているのかというのは謎に満ちている。だから、こんな解説でも加えてもらえなければ臨済義玄が何を語りたかったかということはまったくわからなさそうである。もちろん、それは有馬頼底の解釈も本当にそうなのかということも信じてよいのかということにもなってくるのだが・・。
この本の全編を俯瞰してみると、「死」という恐怖をどう克服するか、それと、人生をストレスなく生きるには・・という、大きくはふたつのテーマについて臨済義玄は語りかけているように見える。
その両方に共通するのは「自由」「自由人」でいることだと臨済義玄は言う。人間という存在は何ものにも束縛されてはいけない、自由になれということである。そしてそのためには悟りが必要であるというのである。
『若し、真正の見解を得れば、生死に染まず、去住自由なり。』とは、正しい見地(悟り)をつかんだならば、生死につけこまれることもなく、死ぬも生きるも自由自在であるということである。
そして、生きるという部分では、「無事の人」であれという。これは、こだわりを持たない人、執着しない人という意味である。
『道流、山僧が見処に約すれば、釈迦と別ならず、今日多般の用処、什麽をか欠少す。六道の神光、未だ曾て間歇せず。もし能く是くの如く見得せば、祇だ是一生無事の人なり。』
お釈迦様はすべてのことにおいて、諦観を持つことがあらゆる苦悩から逃れることが唯一の術であると説いたが、それと同じようなものなのだろうか・・。臨済義玄はそれをさらに発展させ、その諦観の先には自由が待っているということを行っているのだろうか・・。う~ん、わからない・・。
臨済禅ではそれを言葉や文字で得るのではなく「祖師禅」として伝えられる。直接師から公案を拈提しながら弟子に伝えられるものである。いや、むしろ、その挙句に座禅につきものの「喝!」という一瞬にもたらされるものなのである。
そして、臨済録では、せっかく得た悟りもすぐに打ち捨てなければならないと続く。悟りさえも煩悩であるというのだ。さらに、師から得たこと、さらにはお釈迦様からの教えも心を惑わすもの「人惑」として捨ててしまえという。自分の意志さえしっかりしていれば他人の意見に惑わされることなく生きてゆけるという。
もう、究極の自由な生き方だとは思うけれども、高度にシステム化された現代ではないごとにおいても他者に依存しなければ生きてゆけない。それを介しているのがおカネであるが、さすがの臨済義玄も千年以上の未来はこんなに貨幣経済が発達し、それが生命維持装置と化し、人々がそれにがんじがらめにされているということは想像できなかったのであろう。
それでも、自由でいるためにはどうするのかという、究極の姿勢が最初に書いた、『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、・・・』という言葉になるのである。もちろん、本当に殺せなどといっているのではなく、すべての身の回りのしがらみを断ち切ることだと言っているのである。
それに倣うと僕は意外とそんな生き方をしていたのかもしれない。それは社会に背を向け、会社の言いなりにならないで生きてきたのかもしれないと我ながら思っているふしがあるからである。その結果として会社からもはじき飛ばされたということなのだがそれは自由に生きてきたという証だったのではないかとこの本を読みながら思うのである。
家族でさえもある一瞬にはなんでこの人はここにいるのだろうと思うところを見ると、そういうことを本能的に感じとって生きてきたのかもしれない。
あとはどうやって『去住自由』という境地を得るかということだが、それには僕の唯一の人生の指針でもある魚釣りをも辞めてしまわなければならないのではないかと不安にもなる。
そう思わせる臨済録だが、そこに書かれていることがすべて真実かというと、著者は所得の申告漏れを指摘されたり、最近のニュースでは和歌山県の臨済宗の宗教法人が同じく所得隠しで追徴課税されたりと、導く側が煩悩と執着の塊であるように思え、臨済録は本物かと疑わしくなる。
そもそも、宗派が十五にも分かれているというのは、自己主張があまりにも強い人たちばかりではないかと思うのである。
まあ、臨済録ではそれさえも自由にやりなさいということになるのだろうが、自由でいるということはなんと不自由なことなのだろうとあらためて思うのである・・。
新聞を読んでいたら、漫画「ショムニ」の作家が、「臨済録」について書いていた。人間関係や進路に迷っていた時、この書物に書いていた、「逢著便殺」という言葉に救われたと書いていた。
『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、初めて解脱を得、物と拘わらず透脱自在なり。』という意味なのだが、これはなかなセンセーショナルな文章だ。「臨済録」というからには、おそらく臨済宗の経典か何かだろうと想像はつくがこういう書物があったということはまったく知らなかった。
曹洞宗では、「正法眼蔵」が有名だが、臨済宗にもこんな書物があったのである。
「正法眼蔵」と同じく、オリジナルを読んでも多分まったく理解できないだろうと思って入門書のような本を借りてみた。
一応、有馬頼底という人が著者ということになっているが著作ではなく、エディシオン・アルシーヴという出版企画会社の主宰である西川照子という人との対談という形になっている。この、有馬頼底という人だが、臨済宗相国寺派七代管長という立場にある人で、金閣寺、銀閣寺の住職も兼ねているというのもすでに凄いが、明仁上皇のご学友であり、元は大名の血筋、母親は公家の出身であるという。G1レースの有馬記念はこの人の本家が発案だそうだ。
こんなサラブレッドとしか思えないような人が仏教を語ってもなんだか胡散臭いだけのような気にもなるが、それは隅のほうに置いておいて、「臨済録」には何が書かれているのか、多分、ほんの一部しか触れることができないであろうけれども、読んでゆきたいと思う。
「臨済録」とは、中国、唐の禅僧・臨済義玄の言行録である。宗祖・臨済の“言葉”の書であるにも関わらず、臨済宗の最盛期であった室町時代にはなぜかあまり読まれてはいなかった。人気があったのは、道元が宋より伝えたという「碧巖録(公案集)」のほうで、これは、臨済宗が公案を拈提することで答えを出すという修業の方法をとったからである。
ちなみに、道元が宗祖である「曹洞宗」は只管打坐というひたすら座禅をし続けて悟りを得ようという修業の方法であるのでかなり対称的である。
また、日本の禅宗というと臨済宗と曹洞宗が有名であるが、曹洞宗は単一教団であるのに対して、臨済宗は十五派に分かれて活動しているというのも対称的である。著者はその一派の管長ということになる。
この本は、臨済録をダイジェスト形式で紹介し、その意味、さらにそれを受けて人はどう生きるべきかということを語っている。しかし、もともとが臨済義玄が論理的にしたためた文章ではなく言行録というだけあり、それが何を物語っているのかというのは謎に満ちている。だから、こんな解説でも加えてもらえなければ臨済義玄が何を語りたかったかということはまったくわからなさそうである。もちろん、それは有馬頼底の解釈も本当にそうなのかということも信じてよいのかということにもなってくるのだが・・。
この本の全編を俯瞰してみると、「死」という恐怖をどう克服するか、それと、人生をストレスなく生きるには・・という、大きくはふたつのテーマについて臨済義玄は語りかけているように見える。
その両方に共通するのは「自由」「自由人」でいることだと臨済義玄は言う。人間という存在は何ものにも束縛されてはいけない、自由になれということである。そしてそのためには悟りが必要であるというのである。
『若し、真正の見解を得れば、生死に染まず、去住自由なり。』とは、正しい見地(悟り)をつかんだならば、生死につけこまれることもなく、死ぬも生きるも自由自在であるということである。
そして、生きるという部分では、「無事の人」であれという。これは、こだわりを持たない人、執着しない人という意味である。
『道流、山僧が見処に約すれば、釈迦と別ならず、今日多般の用処、什麽をか欠少す。六道の神光、未だ曾て間歇せず。もし能く是くの如く見得せば、祇だ是一生無事の人なり。』
お釈迦様はすべてのことにおいて、諦観を持つことがあらゆる苦悩から逃れることが唯一の術であると説いたが、それと同じようなものなのだろうか・・。臨済義玄はそれをさらに発展させ、その諦観の先には自由が待っているということを行っているのだろうか・・。う~ん、わからない・・。
臨済禅ではそれを言葉や文字で得るのではなく「祖師禅」として伝えられる。直接師から公案を拈提しながら弟子に伝えられるものである。いや、むしろ、その挙句に座禅につきものの「喝!」という一瞬にもたらされるものなのである。
そして、臨済録では、せっかく得た悟りもすぐに打ち捨てなければならないと続く。悟りさえも煩悩であるというのだ。さらに、師から得たこと、さらにはお釈迦様からの教えも心を惑わすもの「人惑」として捨ててしまえという。自分の意志さえしっかりしていれば他人の意見に惑わされることなく生きてゆけるという。
もう、究極の自由な生き方だとは思うけれども、高度にシステム化された現代ではないごとにおいても他者に依存しなければ生きてゆけない。それを介しているのがおカネであるが、さすがの臨済義玄も千年以上の未来はこんなに貨幣経済が発達し、それが生命維持装置と化し、人々がそれにがんじがらめにされているということは想像できなかったのであろう。
それでも、自由でいるためにはどうするのかという、究極の姿勢が最初に書いた、『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、・・・』という言葉になるのである。もちろん、本当に殺せなどといっているのではなく、すべての身の回りのしがらみを断ち切ることだと言っているのである。
それに倣うと僕は意外とそんな生き方をしていたのかもしれない。それは社会に背を向け、会社の言いなりにならないで生きてきたのかもしれないと我ながら思っているふしがあるからである。その結果として会社からもはじき飛ばされたということなのだがそれは自由に生きてきたという証だったのではないかとこの本を読みながら思うのである。
家族でさえもある一瞬にはなんでこの人はここにいるのだろうと思うところを見ると、そういうことを本能的に感じとって生きてきたのかもしれない。
あとはどうやって『去住自由』という境地を得るかということだが、それには僕の唯一の人生の指針でもある魚釣りをも辞めてしまわなければならないのではないかと不安にもなる。
そう思わせる臨済録だが、そこに書かれていることがすべて真実かというと、著者は所得の申告漏れを指摘されたり、最近のニュースでは和歌山県の臨済宗の宗教法人が同じく所得隠しで追徴課税されたりと、導く側が煩悩と執着の塊であるように思え、臨済録は本物かと疑わしくなる。
そもそも、宗派が十五にも分かれているというのは、自己主張があまりにも強い人たちばかりではないかと思うのである。
まあ、臨済録ではそれさえも自由にやりなさいということになるのだろうが、自由でいるということはなんと不自由なことなのだろうとあらためて思うのである・・。