白木賢太郎 「相分離生物学の冒険―分子の「あいだ」に生命は宿る」読了
相分離生物学という学問の意味はまったくわからないのだが、サブタイトルの、『分子の「あいだ」に生命は宿る』という言葉に惹かれて読んでみた。
福岡先生は、「動的平衡」が生物であることの証だというが、この本の著者は、分子(この本ではたんぱく質)の間にこそ生命が存在しているというのである。
この本でいう“あいだ”とは、細胞内のたんぱく質その他の濃度差のことをいう。現代の分子生物学はほぼすべてのたんぱく質の働きを解明している。細胞のなかのたんぱく質は酵素やイオンチャンネル、抗体、ホルモンなどとして機能する。こういった働きは代謝マップというかたちでほぼすべての働きが解明されているのである。

しかし、この代謝マップに関係するたんぱく質をすべて集めて試験管の中にぶっ込んでも生物として代謝を始めない。
それはなぜか。それは、細胞内でのたんぱく質濃度差にあるという。例えば、人間の細胞の中には約100億個のたんぱく質が存在しているという。それに加えて、酵素、イオン、脂質、糖質など様々な物質が溶け込んでいる。とりあえずはこんなにたくさんのものが目に見えないような小さな物の中に入っているのだということに驚くのであるが、さらにたんぱく質やその他様々な分子は細胞の中に均一にバラバラに存在しているのではなくある程度塊をつくって存在しているという。
核やリポソームのように膜で仕切られていることでたんぱく質濃度が高くなっている部分があるが、それ以外にもたんぱく質同士が自然に集まって濃度を上げている場所がある。これをドロブレットという。そして、これらの濃度差(ドロブレット)こそが生物を生物たらしめていて、たんぱく質や分子の相互作用を研究するのが「相分離生物学」なのである。
試験管の中ではたんぱく質や分子は均一にしか存在することはできないので生物しての代謝をすることができないということなのである。
なぜ濃度差があると生物としての代謝をすることができるのかというと、代謝に必要な酵素や分子が高濃度に集まると代謝マップにあるような化学反応が進みやすくなるからである。ただ、ことはそんなに簡単なものではなく、このドロブレットは生まれては消え、消えては生まれるという。その動きが、生命反応の様々スイッチにもなっているという。
細胞の中で、どうしてそんなことが自由自在に行われているのかというのはいまだよくわかっていないらしい。何しろ、この学問はまだ生まれたばかりだからだ。
しかし、相分離生物学は老化や病気、ガンのメカニズム、創薬、そういったものを劇的に進化させる可能性を秘めているという。
この本も大半はそういったことに説明が割かれている。
まずはたんぱく質の構造が説明されている。
たんぱく質はどうやって作られるか。設計図はDNAの鎖の中にある。あるたんぱく質を作ろうとすると、そのコードが書かれている遺伝子の部分のDNAの鎖がほどけてそこからメッセンジャーRNAに情報がコピーされ核の外に出てゆく。その情報を元にしてアミノ酸の鎖が作られる。その後、たんぱく質の鎖は自動的に折りたたまれて立体構造を作る。その立体構造が酵素やエネルギー、イオンの運搬、または免疫細胞のアンテナとして働く。そして、その折りたたまれ方というのは、ひとつのたんぱく質について1種類しかないので必ず同じ形になるという。これをアンフィンセンドグマという。
人が病気になったり老化するということは、たんぱく質が変成することでもある。例えば、卵白を加熱すると白く固まっていくようなものだ。これでは本来のたんぱく質の機能が失われてしまう。だから体も正常に機能しなくなるのである。これは、加熱だけではなく、pHの変化やドロブレットの中に溶け込んでいる物質の変化でも起こる。こうしてたんぱく質の立体構造が壊れ、本来の機能を失うことで生物は変調をきたす。
しかし、ドロブレットの中でたんぱく質が集まりすぎても変調をきたす。その代表例がアルツハイマー型認知症だ。
細胞の代謝が悪くなると排出しきれないたんぱく質が凝集し始める。たんぱく質の折りたたまれ方というのは、αヘリックスというらせん状の折りたたまれ方とβシートという蛇腹状の折りたたまれ方の2通りがある。これが組み合わされてひとつのたんぱく質ができるのだが、βシートに富んだたんぱく質同士はその部分が水素結合して細長い繊維状の構造体に変化する。これをアミロイド構造という。アミロイドはタンパク質分子が規則正しく積み重なった安定な構造で、水に溶けにくく、たんぱく質分解酵素への耐性も高く、生体組織に沈着していく性質を持つ。
アルツハイマー型認知症は、脳の神経細胞外に沈着してできたアミロイド斑(アミロイドβ)ができたあと、タウと呼ばれるたんぱく質のリン酸化が進んで細胞生理が異常をきたし、神経細胞が破壊されて発症する。
もっとおぞましいのは何年か前に流行した狂牛病だ。狂牛病は飼料に家畜をと殺したあとの骨肉粉を混ぜていたことが原因だとされているが、アミロイドは非情に安定したものなので、乾燥させて粉末にしても壊されずに残ってしまう。それを食べた牛は再びアミロイドを蓄積し、それがと殺されまた飼料となることで牛の脳の中でアミロイドがどんどん蓄積され発症に至ったというのである。
当時、このニュースを見ながら、飼料に混ざっていても食べて消化されてしまったら全部分解されてしまうのではないかと思っていたが、消化もされずに体内に蓄積されていくたんぱく質があるのだということを初めて知った。
初めて知ったというと、細菌の中には超好熱菌のように100℃を超える温度にも耐えられる細菌があるが、この菌を構成するたんぱく質は熱に弱い細菌、例えば大腸菌が持っているたんぱく質とは電荷を持っているアミノ酸が数個多いだけでこれだけの耐熱性持つことができるという。ほぼ同じ機能を維持しながら少しだけ構成を変えるだけで大きな環境変化に対応できるというのもたんぱく質なのである。
アミロイドが厄介なのは自己増殖するということだ。プリオンと呼ばれる種類のたんぱく質がある。主に細胞膜に結合しているらしいが、これが異常をきたすとアミロイドを構成するようになる。異常をきたしてアミロイドになったプリオンは正常なプリオンに働きかけてアミロイドに変えてゆく。こうしてアミロイドが増殖してゆく。
しかし、生物の進化の中で、こんな厄介なアミロイドがどうして生き残ったかというと、例えば、アルツハイマー型認知症を引き起こすアミロイドβはその変化しにくいという特性から長期記憶を維持するための分子的な足場となっている。記憶を喪失させる物質が記憶するための物質でもあったのである。微妙に調整しないと必要であったものが悪になる。生物の体はなんとも複雑である。
話は戻って、そういった凝集を防ぐためのたんぱく質たちも存在する。これをシャペロンと呼ぶが、シャペロンのおかげでたんぱく質は細胞内で溶け続けることができるようになる。
これは凝集を防ぐだけでなく、突然変異したたんぱく質も溶かして細胞内で残すことができることで新たな表現型が生まれる要因となる。これが進化のメカニズムである。
こんなことがわかったのも、相分離生物学の成果ということができる。
薬剤が効き目を発揮するかどうかというのも、ドロブレットに溶けやすいかどうかということが分かれ目になることがあるという。試験管の中ではドロブレットがないので、そこで効き目を確かめても臨床試験では成果が出ないということは多々あるそうだが、その原因も相分離生物学が解き明かしたのである。
2、3日前のニュースで、アルツハイマー病の治療薬「レカネマブ」が日本でも承認されたと報道されていたが、この薬は一度臨床試験が中止されていたそうだ。実験では効果があるが、臨床試験では効果が出なかったというのがその理由だったそうだが、これもドロブレットの中にうまく溶け込めないという弱点があったからのようである。それでも、アルツハイマー病に少しでも効果がある薬がないので無理やり承認されたということだった。
生物が地球上に生まれたのは40億年も前のことだったそうだが、地の底から深海中に湧き出てきた有機物たちがまずはドロブレットのようなものを作って集まり、それらがさらに集まって生物として代謝という脈動を始めたのだろうとこの本を読みながら勝手に想像していたのだが、惑星が生まれるのもよく似ている。宇宙に漂う石ころが、この場合小さな引力なのだろうけれども、引き寄せ合って大きくなり、その塊まり同士がまた引き寄せ合って大きくなって星になる。よく考えると生物も星も似たような形で成長し、死を迎え、その死骸が次の世代を作る材料になる。そういったところもよく似ている。その中で生物は意識を持つようになった。意識を持っているのは人間だけなのだろうか。同じように成長した星は人間が感知できない意識を持っていたりするのだろうか・・。
そんなことを考えてしまう1冊であった。
相分離生物学という学問の意味はまったくわからないのだが、サブタイトルの、『分子の「あいだ」に生命は宿る』という言葉に惹かれて読んでみた。
福岡先生は、「動的平衡」が生物であることの証だというが、この本の著者は、分子(この本ではたんぱく質)の間にこそ生命が存在しているというのである。
この本でいう“あいだ”とは、細胞内のたんぱく質その他の濃度差のことをいう。現代の分子生物学はほぼすべてのたんぱく質の働きを解明している。細胞のなかのたんぱく質は酵素やイオンチャンネル、抗体、ホルモンなどとして機能する。こういった働きは代謝マップというかたちでほぼすべての働きが解明されているのである。

しかし、この代謝マップに関係するたんぱく質をすべて集めて試験管の中にぶっ込んでも生物として代謝を始めない。
それはなぜか。それは、細胞内でのたんぱく質濃度差にあるという。例えば、人間の細胞の中には約100億個のたんぱく質が存在しているという。それに加えて、酵素、イオン、脂質、糖質など様々な物質が溶け込んでいる。とりあえずはこんなにたくさんのものが目に見えないような小さな物の中に入っているのだということに驚くのであるが、さらにたんぱく質やその他様々な分子は細胞の中に均一にバラバラに存在しているのではなくある程度塊をつくって存在しているという。
核やリポソームのように膜で仕切られていることでたんぱく質濃度が高くなっている部分があるが、それ以外にもたんぱく質同士が自然に集まって濃度を上げている場所がある。これをドロブレットという。そして、これらの濃度差(ドロブレット)こそが生物を生物たらしめていて、たんぱく質や分子の相互作用を研究するのが「相分離生物学」なのである。
試験管の中ではたんぱく質や分子は均一にしか存在することはできないので生物しての代謝をすることができないということなのである。
なぜ濃度差があると生物としての代謝をすることができるのかというと、代謝に必要な酵素や分子が高濃度に集まると代謝マップにあるような化学反応が進みやすくなるからである。ただ、ことはそんなに簡単なものではなく、このドロブレットは生まれては消え、消えては生まれるという。その動きが、生命反応の様々スイッチにもなっているという。
細胞の中で、どうしてそんなことが自由自在に行われているのかというのはいまだよくわかっていないらしい。何しろ、この学問はまだ生まれたばかりだからだ。
しかし、相分離生物学は老化や病気、ガンのメカニズム、創薬、そういったものを劇的に進化させる可能性を秘めているという。
この本も大半はそういったことに説明が割かれている。
まずはたんぱく質の構造が説明されている。
たんぱく質はどうやって作られるか。設計図はDNAの鎖の中にある。あるたんぱく質を作ろうとすると、そのコードが書かれている遺伝子の部分のDNAの鎖がほどけてそこからメッセンジャーRNAに情報がコピーされ核の外に出てゆく。その情報を元にしてアミノ酸の鎖が作られる。その後、たんぱく質の鎖は自動的に折りたたまれて立体構造を作る。その立体構造が酵素やエネルギー、イオンの運搬、または免疫細胞のアンテナとして働く。そして、その折りたたまれ方というのは、ひとつのたんぱく質について1種類しかないので必ず同じ形になるという。これをアンフィンセンドグマという。
人が病気になったり老化するということは、たんぱく質が変成することでもある。例えば、卵白を加熱すると白く固まっていくようなものだ。これでは本来のたんぱく質の機能が失われてしまう。だから体も正常に機能しなくなるのである。これは、加熱だけではなく、pHの変化やドロブレットの中に溶け込んでいる物質の変化でも起こる。こうしてたんぱく質の立体構造が壊れ、本来の機能を失うことで生物は変調をきたす。
しかし、ドロブレットの中でたんぱく質が集まりすぎても変調をきたす。その代表例がアルツハイマー型認知症だ。
細胞の代謝が悪くなると排出しきれないたんぱく質が凝集し始める。たんぱく質の折りたたまれ方というのは、αヘリックスというらせん状の折りたたまれ方とβシートという蛇腹状の折りたたまれ方の2通りがある。これが組み合わされてひとつのたんぱく質ができるのだが、βシートに富んだたんぱく質同士はその部分が水素結合して細長い繊維状の構造体に変化する。これをアミロイド構造という。アミロイドはタンパク質分子が規則正しく積み重なった安定な構造で、水に溶けにくく、たんぱく質分解酵素への耐性も高く、生体組織に沈着していく性質を持つ。
アルツハイマー型認知症は、脳の神経細胞外に沈着してできたアミロイド斑(アミロイドβ)ができたあと、タウと呼ばれるたんぱく質のリン酸化が進んで細胞生理が異常をきたし、神経細胞が破壊されて発症する。
もっとおぞましいのは何年か前に流行した狂牛病だ。狂牛病は飼料に家畜をと殺したあとの骨肉粉を混ぜていたことが原因だとされているが、アミロイドは非情に安定したものなので、乾燥させて粉末にしても壊されずに残ってしまう。それを食べた牛は再びアミロイドを蓄積し、それがと殺されまた飼料となることで牛の脳の中でアミロイドがどんどん蓄積され発症に至ったというのである。
当時、このニュースを見ながら、飼料に混ざっていても食べて消化されてしまったら全部分解されてしまうのではないかと思っていたが、消化もされずに体内に蓄積されていくたんぱく質があるのだということを初めて知った。
初めて知ったというと、細菌の中には超好熱菌のように100℃を超える温度にも耐えられる細菌があるが、この菌を構成するたんぱく質は熱に弱い細菌、例えば大腸菌が持っているたんぱく質とは電荷を持っているアミノ酸が数個多いだけでこれだけの耐熱性持つことができるという。ほぼ同じ機能を維持しながら少しだけ構成を変えるだけで大きな環境変化に対応できるというのもたんぱく質なのである。
アミロイドが厄介なのは自己増殖するということだ。プリオンと呼ばれる種類のたんぱく質がある。主に細胞膜に結合しているらしいが、これが異常をきたすとアミロイドを構成するようになる。異常をきたしてアミロイドになったプリオンは正常なプリオンに働きかけてアミロイドに変えてゆく。こうしてアミロイドが増殖してゆく。
しかし、生物の進化の中で、こんな厄介なアミロイドがどうして生き残ったかというと、例えば、アルツハイマー型認知症を引き起こすアミロイドβはその変化しにくいという特性から長期記憶を維持するための分子的な足場となっている。記憶を喪失させる物質が記憶するための物質でもあったのである。微妙に調整しないと必要であったものが悪になる。生物の体はなんとも複雑である。
話は戻って、そういった凝集を防ぐためのたんぱく質たちも存在する。これをシャペロンと呼ぶが、シャペロンのおかげでたんぱく質は細胞内で溶け続けることができるようになる。
これは凝集を防ぐだけでなく、突然変異したたんぱく質も溶かして細胞内で残すことができることで新たな表現型が生まれる要因となる。これが進化のメカニズムである。
こんなことがわかったのも、相分離生物学の成果ということができる。
薬剤が効き目を発揮するかどうかというのも、ドロブレットに溶けやすいかどうかということが分かれ目になることがあるという。試験管の中ではドロブレットがないので、そこで効き目を確かめても臨床試験では成果が出ないということは多々あるそうだが、その原因も相分離生物学が解き明かしたのである。
2、3日前のニュースで、アルツハイマー病の治療薬「レカネマブ」が日本でも承認されたと報道されていたが、この薬は一度臨床試験が中止されていたそうだ。実験では効果があるが、臨床試験では効果が出なかったというのがその理由だったそうだが、これもドロブレットの中にうまく溶け込めないという弱点があったからのようである。それでも、アルツハイマー病に少しでも効果がある薬がないので無理やり承認されたということだった。
生物が地球上に生まれたのは40億年も前のことだったそうだが、地の底から深海中に湧き出てきた有機物たちがまずはドロブレットのようなものを作って集まり、それらがさらに集まって生物として代謝という脈動を始めたのだろうとこの本を読みながら勝手に想像していたのだが、惑星が生まれるのもよく似ている。宇宙に漂う石ころが、この場合小さな引力なのだろうけれども、引き寄せ合って大きくなり、その塊まり同士がまた引き寄せ合って大きくなって星になる。よく考えると生物も星も似たような形で成長し、死を迎え、その死骸が次の世代を作る材料になる。そういったところもよく似ている。その中で生物は意識を持つようになった。意識を持っているのは人間だけなのだろうか。同じように成長した星は人間が感知できない意識を持っていたりするのだろうか・・。
そんなことを考えてしまう1冊であった。