イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「量子力学は、本当は量子の話ではない 「奇妙な」解釈からの脱却を探る」読了

2024年07月11日 | 2024読書
フィリップ・ボール/著 松井信彦/訳 「量子力学は、本当は量子の話ではない 「奇妙な」解釈からの脱却を探る」読了

タイトルを見て、これはきっと読んでみてもまったく理解できそうにない本だろうなと思ったけれども、まったくその通りの内容であった。

タイトルのとおり、量子論の中で語られる物質のふるまいというのはまことに奇妙だ。量子力学の数学が表す物質の奇妙な性質は、
・量子物体は波動と粒子のどちらでもありえる。(これを波動と粒子の二重性という。)
・量子物体は一度に複数の状態を取りうる。(言ってみれば、“ここ”と“あそこ”のどちらにも存在できるのである。)
・ある量子物体のふたつの性質を同時に正確に知ることはできない。(これを、「ハイゼンベルク」の不確定性原理という。)
・量子物体はどれだけ離れていても互いに瞬時に影響を及ぼすことができる。(いわゆる、「不気味な遠隔作用」である。「量子もつれ」「量子エンタングルメント」などと呼ばれる。)
・対象がなんであろうとそれを乱すことなく測定することは不可能である。ゆえに、人間の観測者を理論から除外することはできない。したがって、避けがたく主観的になる。
・起こりうる物事は実際に起こる。この主張にはふたつの意味があり、「量子電磁力学」と呼ばれる理論と「多世界解釈」である。
というものである。これらはこれまでに読んできた本のなかにいっぱい出てきた事柄だ。
量子論というのは、こういうSFチックなとところが面白いのだと上っ面だけ読んでいる文系の人間は思っていたのであるがこの本はこれを真っ向から否定している。それどころか、「量子力学が何を意味しているかを言えるものはいない。」とまで言っている。
著者はその根拠を350ページを使って述べているのだが、そこのところがまったくわからない。

ここから先はまったくデタラメかもしれないが、何を書いているかわからないので僕がこう思ったということを書いてみるしかないのである。
著者がこういう誤解を生むようになったのは「コペンハーゲン解釈」にあるという。コペンハーゲン解釈というのは、「量子力学での、粒子の存在に関する世界観の一つ。粒子の位置や状態は観測されるまで特定できず、空間の各点ごとの存在確率の大小としてしか把握できないとするもの。」というものである。コペンハーゲンを中心に活動したボーア、ハイゼンベルクらが提唱したことからこう呼ばれている。
これはある意味、「物質には実体はないのだ。」と言っているようでもあり、コペンハーゲン解釈では「それ以上はわからない世界だから知らなくてもいいのである。」と言っているようにも僕には見えてしまう。そういう、「色即是空」的なところもSF的で面白いと思っていたのだが、著者は、このコペンハーゲン解釈というのは、物質の根源の部分の表面に現れる現象だけを見ているに過ぎなくて、その下には本当の物質の姿が隠れているのであると言っているように思えたのである。だからその現象の現れかたが、あるときは粒のようであり、ある時は波のようでもあるのである。と・・。こう考えると、古典物理学(ニュートン物理学に代表されるような、僕たちが現実に見ている世界の物理現象)と量子物理学が見せる奇妙な世界を分断することなくつなげることもできるのではないかと著者は言っている。

例えていうなら、水面のウキの動きでその下に魚がいるというのはわかるがその水面下ではどのように魚が泳いでいて、海底の状態はどのようになっているのかはさっぱりわからない。ウキが右に沈んだり左に沈んだり、ぴょこぴょこしたり、様々な動きをするのは確率的なのである。こういうものかもしれない。ウキの動きがコペンハーゲン解釈で、海面下の世界が物質の本当の姿なのである。のかな・・。水面で隔てられた水の世界と空気の世界はひとつにつながっているということと同じ・・、なのかな・・。

もっと研究が進むと、コペンハーゲン解釈を超えた解釈が生まれるはずであるというのが著者の考えである。
そして、そうなったとき、今ではSFの世界でしか実現していない光速を超えた移動や恒星規模でのエネルギーの利用が実現するのではないかと僕は期待しているのである・・。
その時、僕は間違いなく死んでいるのだろうが、この世にはうんざりしているにも関わらず、こういう世界を見てみたいとはいつも思っているのである・・。

350ページのわりに感想文は短い・・。
コメント
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