堀江敏幸 「定形外郵便」読了
新刊本の書架に入っていて、小説かエッセイかもわからずにとりあえず借りてみた。中身はというと、「芸術新潮」という雑誌の連載をまとめたエッセイだった。
ひとつひとつの文章は2ページ半という長さなのでまったく読みにくいものではないのだが、取り上げられている題材がまったくわからない。書籍、作家、絵画、彫刻、音楽など芸術一般というものが取り上げられていて、例えば書籍などは、著者がそれを手にした古書店でのエピソード、その作家にまつわる思い出や印象であったり、芸術作品ではその展覧会へ道中、観にいくきっかけとなったできごと、装丁などが語られているが、その肝心の作家や芸術家のことをまったく知らないのである。
適当に抜き出して書いてみるとこういう名前の人たちが登場する。
海老原喜之助、ブランクシー、靉光(“あいみつ”と読む)、伊藤信吉、松本竣介、河野多恵子、高田博厚、ジャック・プレヴェール、クロード・ランズマン、北園克衛、長谷川四郎(この人は(オセロゲームを作ったひとの父親だそうだ)、梅崎春生とまあこんな感じだ。誰ひとりとして知った人がいない。唯一知っていて読んだことがあったのは、「ノストラダムスの大予言」を書いた五島勉だけだった。小松左京の「日本沈没」は読んだことがあるのか映画を見ただけなのかかなりあやふやである。
ネットで人物の名前を何をした人かを調べながら読むから時間がかかる。スマホがあると電車の中でも調べられるから、初めてこの機械のすばらしさを実感した。
ものすごい博学の人だと思ったら、早稲田大学の教授でありなおかつ芥川賞作家でもあるそうだ。そりゃあ博学のはずだが、僕と同じ生まれ年のひとでもあった。
だから、途中からは自らの無力感しか感じなかったのである・・。
おそらく本文とはあまり関係がないのだろうが、モンテーニュのこんな言葉が気になった。
『話し合いとは、他者の言葉に耳を傾けることだが、それは相手を信じることでもある。相互信頼は人間の契約のようなものだ。放漫さは厳しく排除される。
ただし「今の時代は人々をそうする気持ちにさせるのは難しい。」
「彼らには間違いを正す勇気がないのだ。なぜならば、自分が間違いを直させることに対する勇気がないのだから」』
なかなか、ひとの世の生きづらさを的確に表している。それに比べると今の人たちの言葉は薄っぺらい。
それとこれはもっと本文とあまり関係がないが、「内容見本」のエピソードには懐かしさを感じた。おそらく今の人はこの言葉を見て何のことかわからないだろうが、書籍の宣伝用のダイジェスト版のことである。新聞の書籍の広告にときおり「呈 内容見本」と書かれていることがあった。これはここの出版社に「内容見本を送ってくれ。」とハガキを送るとそういうものを送ってくれるというものだ。そして、これがけっこう本格的に作られている。特に美術書の内容見本などは、紙質や印刷の精度など本体と同じものじゃなかろうかと思えるほどの出来栄えであった。今はホームページを見ろというのでURLだけが掲載されているという味気なさだが・・。
40年近く前、高校から大学に入学するころ、僕も何の脈絡もこだわりもなく、「呈 内容見本」という一文を見つけてはハガキを送っていた。その後はただ眺めるだけだが、著者はそこに書いている一文でさえ記憶の中に留めていたらしい。そこが凡人と芥川賞作家の天と地以上の開きの原因なのである。おそらくそういうものを見ながら芸術の多岐にわたる部分を体系的に勉強していたのだろう。
だから、もう、タジタジとなりながら読むしかなかったのである。「定形外郵便」というタイトルも何かを暗示しているのだろうけれどもまったく想像ができない。さすがにこんな本を手にする人はそれほどいないだろうと思っていたら、すでに貸し出し予約が入っていた。そのひとはきっと芸術全般に造詣が深く、このタイトルの意味するものを理解できる人に違いない。それなのに、まったくサラピンのままで借りてしまったのがこんなぼんくらだったということをひたすらお詫びをしなければならないのである・・。
新刊本の書架に入っていて、小説かエッセイかもわからずにとりあえず借りてみた。中身はというと、「芸術新潮」という雑誌の連載をまとめたエッセイだった。
ひとつひとつの文章は2ページ半という長さなのでまったく読みにくいものではないのだが、取り上げられている題材がまったくわからない。書籍、作家、絵画、彫刻、音楽など芸術一般というものが取り上げられていて、例えば書籍などは、著者がそれを手にした古書店でのエピソード、その作家にまつわる思い出や印象であったり、芸術作品ではその展覧会へ道中、観にいくきっかけとなったできごと、装丁などが語られているが、その肝心の作家や芸術家のことをまったく知らないのである。
適当に抜き出して書いてみるとこういう名前の人たちが登場する。
海老原喜之助、ブランクシー、靉光(“あいみつ”と読む)、伊藤信吉、松本竣介、河野多恵子、高田博厚、ジャック・プレヴェール、クロード・ランズマン、北園克衛、長谷川四郎(この人は(オセロゲームを作ったひとの父親だそうだ)、梅崎春生とまあこんな感じだ。誰ひとりとして知った人がいない。唯一知っていて読んだことがあったのは、「ノストラダムスの大予言」を書いた五島勉だけだった。小松左京の「日本沈没」は読んだことがあるのか映画を見ただけなのかかなりあやふやである。
ネットで人物の名前を何をした人かを調べながら読むから時間がかかる。スマホがあると電車の中でも調べられるから、初めてこの機械のすばらしさを実感した。
ものすごい博学の人だと思ったら、早稲田大学の教授でありなおかつ芥川賞作家でもあるそうだ。そりゃあ博学のはずだが、僕と同じ生まれ年のひとでもあった。
だから、途中からは自らの無力感しか感じなかったのである・・。
おそらく本文とはあまり関係がないのだろうが、モンテーニュのこんな言葉が気になった。
『話し合いとは、他者の言葉に耳を傾けることだが、それは相手を信じることでもある。相互信頼は人間の契約のようなものだ。放漫さは厳しく排除される。
ただし「今の時代は人々をそうする気持ちにさせるのは難しい。」
「彼らには間違いを正す勇気がないのだ。なぜならば、自分が間違いを直させることに対する勇気がないのだから」』
なかなか、ひとの世の生きづらさを的確に表している。それに比べると今の人たちの言葉は薄っぺらい。
それとこれはもっと本文とあまり関係がないが、「内容見本」のエピソードには懐かしさを感じた。おそらく今の人はこの言葉を見て何のことかわからないだろうが、書籍の宣伝用のダイジェスト版のことである。新聞の書籍の広告にときおり「呈 内容見本」と書かれていることがあった。これはここの出版社に「内容見本を送ってくれ。」とハガキを送るとそういうものを送ってくれるというものだ。そして、これがけっこう本格的に作られている。特に美術書の内容見本などは、紙質や印刷の精度など本体と同じものじゃなかろうかと思えるほどの出来栄えであった。今はホームページを見ろというのでURLだけが掲載されているという味気なさだが・・。
40年近く前、高校から大学に入学するころ、僕も何の脈絡もこだわりもなく、「呈 内容見本」という一文を見つけてはハガキを送っていた。その後はただ眺めるだけだが、著者はそこに書いている一文でさえ記憶の中に留めていたらしい。そこが凡人と芥川賞作家の天と地以上の開きの原因なのである。おそらくそういうものを見ながら芸術の多岐にわたる部分を体系的に勉強していたのだろう。
だから、もう、タジタジとなりながら読むしかなかったのである。「定形外郵便」というタイトルも何かを暗示しているのだろうけれどもまったく想像ができない。さすがにこんな本を手にする人はそれほどいないだろうと思っていたら、すでに貸し出し予約が入っていた。そのひとはきっと芸術全般に造詣が深く、このタイトルの意味するものを理解できる人に違いない。それなのに、まったくサラピンのままで借りてしまったのがこんなぼんくらだったということをひたすらお詫びをしなければならないのである・・。
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