イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「困ったときは、トイレにかけこめ! アドラーが教える こころのクセのリセット術」読了

2020年04月17日 | 2020読書
星一郎 「困ったときは、トイレにかけこめ! アドラーが教える こころのクセのリセット術」読了

今のモヤモヤをなんとかうっちゃる方法はないものかと、あらためてアドラー心理学の本を探してみた。
この本は最初の1章がアドラー心理学の基本的な解説に使われ、第2章は読者(何かの連載だったようだ)からの悩みに答えるという形式でアドラー心理学をさらに具体的に解説している。第3章はその悩みを、「心のクセ」と表現して克服する方法を提案している。

アドラー心理学の構成をひとつひとつみてみると以下のようなものになる。
①認知論
 人間の知覚はあくまでも個人の主観によるものであり、同じ境遇におかれても、それをピンチと捉えるかチャンスと捉えるかは人によって異なる。
②ライフスタイル
 人生の目的や目標に向かう、人それぞれのパターンのことをライフスタイルという言葉で表現する。その人の考え方や感情、信念、心のクセが反映される。えてして子供の時の体験がこれを決める。
③目的論
 行動の理由は原因があるのではなく、何か目的があるからその行動をするのだと考える。原因があると考えると解決するのが難しいが、目的があると考えると解決策をみつけやすい。アドラーの心理学では「なぜ?」を考えるのではなく、「どうしたら?」ということを重視する。
「ハッピーな心」で過ごすためには、「原因を追究しないこと」というのがアドラー心理学の重要な考え方である。
また、感情の目的は、相手にこちらのメッセージを伝え、相手の行動に影響を与えることである。典型的なものは「怒り」であるが、怒りを通じて相手を支配し、強制的に自分に従わせようとするものである。
まずは悩んでいること、困っていること、怒りの元になっているものを相手(ヒト)のせいと考えるのではなく、コトの問題と捉え、そのコトを改善するために行動することが重要である。
④対人関係論
 人のあらゆる行動はその時発生している対人間の課題や問題を解決するために行われる。
 対人関係にはa.師匠と弟子の関係、b.教師と生徒の関係、c.友達の関係の3種類がある。
対人関係ではcの関係がのぞましい。それは人と人との関係は対等であるべきで、a、bの関係では支配関係となってしまう。
すべての悩みはこのなかのどれかである。
 「人は人間関係からは逃れることはできない。その中で成長するしかない。」これがアドラー心理学の中心をなすものである。
⑤共同体感覚
 人は、共同体の中でしか生きることができない。ひとりだけでは生きてゆくことはできない。そのなかで幸福感、満足感を得られる時というのは、ほかのひとのために何かができている、何かの役割をはたしていると思える時である。
ライフタスクにはa.愛のタスク、b.交友のタスク、c.仕事のタスクがある。それぞれ、家族の関係、学校、職場での関係、生きてゆくうえでの生産活動とどう向き合ってゆくかということである。その中でも「交友のタスク」が一番重要であるというのがアドラー心理学の考えである。
これを阻害するのは、「人目を気にする」ことであるという。相手が自分をどう見ているかが気になってスムーズな会話ができなくなる。健全な人間関係は「自己肯定感」があって初めて実現される。自己肯定感というのは、嫌なことがあったり失敗したりしたときに、「大丈夫、なんとかなる。」と自分を勇気づける感覚のことである。
⑥全体論
人間は体と心がセットで一つの個人を形成している。その人のしたいことは行動として現れたことがすべてであり体も心も同じ方向を向いている。
⑦自己決定主義
 人生は小さな決断の積み重ねである。自分は何もできない人間だと思っていてもなんらかの決断を繰り返している。それを思って自己肯定感を持てばよい。
自分自身を変えられないと悩む人は自分自身を変えないという決定をしているのかもしれない。

この本の最初の出だしが、人事異動があって環境が変わり、それに対してポジティブな感情と、ネガティブな感情を持った二人の人が認知論の説明のために例として挙げられている。
ひとりは新しい経験と知識を得ることができると考え、ひとりは今まで努力してきたことが全く認められておらず、評価もしてもらえていないと考える。

人事異動の理由なんて誰に聞いてもわからない。だれかのせいにしても今の環境は変えられない。というのは確かなことだ。それに対してクヨクヨしても仕方がない。
それならアドラーが言うように、『悩んだ時はヒト(心)とコト(出来事)に分割してものごとを考える。コトが問題なのであって人としての価値が下がるものではない。』と考えればどんな仕事をさせられようともあっけらかんとしていられるようなものだけれども、それの域にまで達するまではどれだけの時間を要するのだろうか。
悩んだときは、少しだけ普段の行動を変えるだけで気分が変わる時がある。トイレに駆け込むだけでも何かが変わるというのが著者の考えだ。
悩みなんて次から次へと湧いてくる。それを全部自分は悪くない、きっと解決法があるから大丈夫、なんとかなると言ってのけるのは難しい。
人の目も気にするなと言われても、さすがにコンビニの店員の服を着ている姿を同僚には見られたくないというのは誰に聞いてももっともだとなるのではないだろうか。
幸いにして、役職を離れると人間関係で悩むことはほとんどない。(メールも来ないが・・)自分にあてがわれたことを淡々とやるだけである。ただ、共同体感覚というものはまったく感じない。人の役に立って幸福感を得られるということもない。なんだか無味乾燥としている。イライラ、クヨクヨすることもないけれどもやりがいもない。というのが実感だ。
こんなことを考えてしまうのは、僕も自分が思っているほど無気力ではなく、目的論的に考えると意外とやりがいを求めているのかもしれない。そう、もうちょっとだけやりがいのある仕事をさせてくれ。というのが実感だ。
一方では、まあ、このご時世、こんなことをしているだけで給料をもらえるのを幸せと思わなければならないのかもしれない。(なんといっても僕は多分、日本で一番時給の高いコンビニの店員であったのだから)あと4年、ここで何とかやりがいを見つけたいものだ。
しかし、オークンの法則というものがあって、「成長率が悪化すれば、失業率は上がる」という経験上当たり前といえるものだが、ここ2か月の世間の様子を見ていると、あと4年持つだろうかという不安にも駆られる。やっぱりなかなか、「大丈夫、なんとかなる。」とは思えないのである。



結局、僕の最大の不安は経済的なものに落ち着くということだろうか。ということは、経済的なこと以外は案外幸福だと思っているのかもしれない。

アドラーは、『人間は三日もあれば、人生を変えることができる。』と言ったそうだが、とてもじゃないが、三日ではみつけることはできそうにないのである。

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