イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「kotoba 第17号」読了

2014年12月09日 | 読書
集英社 「kotoba 第17号」読了

今日は師が亡くなってからちょうど25年の日だ。師の没後25年記念特集号というのが発売されていた。
作家、ジャーナリスト、学者、さまざまな人が師の著作を分析、解説している。
大まかにはデビュー当時の遠心力で書かれた時代、ベトナム戦争を体験して後の求心力の時代、その後の釣りと食をめぐるノンフィクションの時代。
この振れ幅をいかに理解するかがテーマになっている。

書かれている内容を今までの自分が読んできた本を含めて僕なりに理解すると、
遠心力の時代:
サルトルの「嘔吐」によってすでに自身の内面によって書かれた書物は完結している。師は異なった力で自分のキャリアをスタートさせた。
求心力の時代:
しかし、ベトナム戦争を体験したのち、「死」を意識したとき求心力に向かわざる負えなくなり、
ノンフィクションの時代:
その反動として釣りと食に生きることを見出した。
ということになる。

「死」を意識すること。これは遠い昔から人々は能動的に受け入れてきたはずだ。“メメント・モリ”という言葉がそれを証明している。
人間は“生きる”ということと“死”というものをやじろべえの両端にぶら下げてバランスをとりながら生きながらえてきたのだろう。
生きることに執着すれば利己的になり、死ぬことに執着すると気力がなくなる・・・。
両方のバランスのなかに生きるのが最良であるのかもしれない。
そういえば、今の日本は極端に“死”から遠ざけられた社会になってしまっている。なにやら理解し難い事件がやたらと起こるのもこのバランスが崩れてしまっているのかもしれない。
普通の人々は“死”を理解することに宗教を利用するのであろうが、師はそれを現実の世界=戦争に求めたのかもしれない。それは感受性豊かな青年が太平洋戦争を自身で体験してしまったことによるのか。
プレボーイでの「オーパ」の連載、それに続く読者の投稿欄への執筆の終盤、もう一度純文学へ方向を切ろうとしていたそうだ。もう一度求心力に戻ろうとしていた師はもしその後も存命していたならどんな物語を綴ったのだろうか。
それとも師でさえもそのバランスを見出すことがでなきなかったのであろうか。

師は釣り人について、「釣り人は心に傷を負っている。その傷を癒すために釣り場に向かう。しかし本人はその傷がどんなものかを知らない。」と語っているが、師でさえもその答えが見つけられなかったのかもしれない。答えを見つけたときはきっとペンを置いていたであろうからそれはそれで困るのだ。

僕達は師からその考えるためのフレームワークを受け取った。師が亡くなった年齢まであと8年。ぼくはそのフレームワークを駆使して答えを見つけることができるのだろうか。
僕も釣り師の端くれ、自分の傷がどんなものかを知らない。そりゃ~無理だわな・・・。


師の回顧展は京都や難波で節目節目で実施されてきた。
しかし、一番ゆかりがあるはずのわが社ではおこなわれていない。
師の誕生したところはグループ本社のすぐそばだ。師のエッセイには父親に連れられて百貨店で買い物をして食事をしたというエピソードが出てくる。青春期を過ごしたのはその沿線。北田辺の駅前には文学碑も建立されている。
著作のために編集者に缶詰にされたのは東京の白金台にあるグループのホテルの和室だった。



牧羊子に結婚を迫られたのは本店のすぐ南側にある中華料理店の2階の座敷であった。(いまでもこの中華料理店はそこにある。)それほどのゆかりがあるのに当社は回顧展をやろうとしない。
10年前、催事の担当者に回顧展はどうだ?と提案したが相手にもしてくれなかった。(多分、彼はそんな作家の存在自体を知らなかったのかもしれない。)
そんなことだから当社の業績は伸びないんだと悔しがるのはぼくのエゴだとわかってはいるのだがやっぱり悔しい。

今、NHKの朝の連ドラは「マッサン」だが、鴨居商店のモデルはサントリーの壽屋。そこで宣伝のコピーを書いていたのが師である。(日本で最初のコピーライターであったのではないかと言われている。)鳥井信治郎のすばらしいマーケティングを宣伝で支えたのだ。
わが社の社員の方々もこういう先人の業績を心に留めて、マーケティングの重要性を真剣に考えていただきたいものだ。
自分のことは棚に上げておきながら・・。

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2 コメント

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Unknown (森に暮らすひまじん)
2014-12-11 19:03:22
 尊敬というより、敬愛する開高健さん。
興味深く読ませていただきました。
有難うございます。
 先日大津の家に帰り、本棚から「静物としての静物」という初版本を見つけました。この冬、じっくり読みたいと思います。
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Unknown (イレグイ号)
2014-12-11 21:23:46
森に暮らすひまじんさん、
いつもコメント、ありがとうございます。

大津にお帰りになっているんですね。
今年も観音様めぐりでしょうか。
ごゆっくりお過ごしください。

「静物としての静物」僕も長らく読み返していません。
久々に読んでみたくなりました。
ありがとうございます。
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