外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(16)~ヨルダン4日目前編・シリア国境へ~

2023-08-29 07:53:46 | ヨルダン(猫中心)

 

 

今回は去年の旅行記の続き。ヨルダン滞在の4日目、北部のシリアとの国境地帯に日帰りで行った時の話だ。

 

私は海外を旅する時、自主的な言語研修を兼ねてトルコとイタリア、そしてどこかアラブの国を回ることが多い。アラビア語・トルコ語・イタリア語が専門だからだ。今回アラブ諸国の中でヨルダンを選んだのは、イタリアから格安のライアンエアーを利用できたことが主な理由。そして、ライアンエアーの便(週2)やトルコでの予定の関係で、ヨルダンに7泊することになったのだが、それにあたって、ずっとアンマンに滞在するか、あるいは移動して違う街を観光するか少し迷った。アンマンはかつて住んでいた街だから、今さら観光する気もしないし、ずっと同じところにいると退屈するかもしれないと思ったのだ。

 

私はペトラや死海、ワディラム等のヨルダンのメジャーな観光スポットをちゃんと観光したことがないので、その辺を回ろうかとも考えたが、入場料や宿泊費が高くつきそうだし、そもそも、どこも夏に行くには暑すぎるからやめておいた。イルビッド辺りに2,3泊して、そこを拠点にまだ行ったことのない北部の地方を巡ろうかとも考えたが、やはり暑い中重い荷物を持って移動し、ホテル探しをするのは大変そうである。結局アンマンにずっと連泊して、他の地域を日帰りで訪れることにした。幸いヨルダンは小さな国なので、どこでもアンマンから日帰りで行けるのだ。

 

前置きが長くなったが、そういうわけで、この日は北部のシリア国境に近い街ラムサに行ってみることにした。

 

 

下の地図のヨルダン西北端(左上)のar-Ramthaってとこ

(改めて地図を見ると、ヨルダンとその周辺諸国の国境は、あからさまに人工的に引かれた直線の部分が多い。サイクス・ピコ協定のせいだ)

 

 

ヨルダンとシリアの国境検問所はだいぶ前に再開して、ヨルダン人やヨルダンの滞在許可証(イカーマ)を所持しているシリア人は、出入りできるようになっていた(イカーマのないシリア難民はヨルダンに入国できない)。しかし、外国人がその場でビザを取得してシリアに入国することは出来ないし、仮に出来たとしても、国境付近のシリア南部の治安情勢は当時悪化していたから、入りたいとは思わなかった。ただ、国境の近くまで行って、久しぶりにシリアの風景がほんの少しでも眺められたら、それでいいと思った。

 

洗濯やPC作業などをしてから、11時半頃にようやく出かけ、セルビス(乗り合いタクシー)で北ターミナルに出て、ラムサ行きのセルビスに乗り換えた。ラムサまでは3JD(約600円)で、2時間かからなかったと思う。

 

車窓から見た風景 緑が多い地域もあった。

 

 

ラムサのバスターミナルは街中にあって便利

 

 

バスターミナルに着いてから、すぐにシリア国境行きのバスやセルビスを探したが、その辺にいた運転手たちの話では、国境に行くバスはなくてタクシーで行くしか方法がなく、少なくとも片道6JD(約1200円)はするということだった。

 

 

出せない金額ではなかったが、貧乏旅行には痛い出費だし、タクシーはあまり使いたくなかったので(タクシー苦手)、国境に行くのはあっさり諦め、とりあえず近くにあったファラーフェル屋に入った。もう14時近くで、お腹が減っていたのだ。ファラーフェルサンドを買い、冷房の効いた店内で食べさせてもらう。

 

 

家庭的な雰囲気のファラーフェル屋さん

 

観光客であることをアピールするため(なぜ)、ファラーフェルサンドの写真を撮る私。

 

 

店を出てから、腹ごなしにラムサの街中をぶらぶら歩いていたら、シリア人経営と思しきお菓子屋さんが目についたので、入ってみた。

 

 

店名は「الدمشقي 」=アッディマシュキー、「ダマスカスの(人、物)」という意味

 

 

細長い店内には、いかにもシリア製のきらびやかな銀紙に包まれたチョコレートや、フルーツを砂糖煮にして乾燥させたお菓子、ナッツ類などが並んでいた。

 

 

トルコでお世話になる予定の友人のためにお菓子を少し買い、レジのところにいた男性に話しかけてみたら、彼はこの店の経営者だった。シリア人ではなくヨルダン人だったが、長年シリアとの貿易に従事しているとのことだった。売り物のお菓子はシリアで買い付けたものだという。

 

店主は私にアラビックコーヒー(ヘドロが沈殿しないやつ)と水を振舞ってくれ、シリアやヨルダンについて色々話してくれた。彼によると、当時シリアでは電力不足が深刻で、1日4時間ほどしか電気が来ない状態だったようだ(今どうなっているかは知らないが、経済状況はどんどん悪化していると思われる)。治安面では、アサド政権支配地域、北部のクルド人勢力支配地域、そして反体制派支配地域(イドリブとその周辺)は安定しているが、南部ダラアは不安定で混乱した状態にあり、それ以外の土地では過激派が多いとのことだった。彼の言う「過激派」がどの勢力を指すのは不明だが。

 

ヨルダンの経済状況については、彼は「物価が高騰しているのに給与は上がらず、仕事もあまりなくて皆大変だ」と説明した。ヨルダンの人と世間話をすると、たいていの人がそう言う。彼自身の商売は順調のようだったが。ラムサに住むシリア人の数について質問したら、だいたい10万人くらいで、彼の従業員にもシリア人が数人いるとのことだった。ヨルダンに暮らすシリア人の多くは内戦のため避難してきた難民だが、その大半が難民キャンプではなく街中でアパートを借り、ギリギリの生活を送っている。こういう店で働けるシリア人はラッキーなのだ。なお、ウィキペディアによると、ラムサの2021年の人口は26万人余りらしい。

 

菓子屋を出てから、少し街を散策したが、特に見るべきものもないので、バスターミナルに戻った。せっかくここまで来たのに、このままアンマンに帰ってしまうのは少しつまらないと思っていたところ、マフラク行きのミニバスが目に入ったので、それに乗ることにした。マフラクもラムサと同様、シリア国境に近い街なので(上記の地図のAl Mafraq)、シリア料理店などがあるかもしれない。ラムサからマフラクまでは0.7JDで、わりとすぐ着いた(30㎞くらい)。

 

マフラク行きのミニバス

 

(故サッダーム・フセインは人気があるようで、彼の写真やイラストはヨルダンで時々見かける)

 

 

マフラクのバスターミナルも街中にあった。中心部の商店街はラムサよりも規模が大きいように思えた。

 

 

家畜用のベル?を売る店

 

伝統的な刀も売られていた。

イエメンのジャンビーヤと違って、あまり曲がっていない。

 

 

イエメンのジャンビーヤは三日月刀(参照

 

 

午後の強い日差しの中、よろよろとマフラクの街を散策していたら、狭い商店の店先に座っていたおじいさんが手招きし、座って水を飲んで行けというので、言われるままに彼の向かいの椅子に腰かけた。彼はシリア人だが、ヨルダンには40年くらい前から住んでいるという。

 

おじいさんは店の奥から大きな水のペットボトルを取ってきて、シリア人がよくやるように、高く持ち上げて口を付けずに注いで飲み、それを私に回した。私はこの水の回し飲みが苦手なので(必ずこぼすから)、ほんの少しだけ飲んで返した。考えてみれば、あれもコロナ感染源になりうるから、飲むべきではなかったかもしれない。この時は大丈夫だったが。

 

その店は入り口が狭くて奥が細長い鰻の寝床的な構造で、カゴに入った小鳥や石鹸、刻み煙草など、様々なものが売られていた。石鹸はアレッポのオリーブ石鹸で、小さいものが1個0.15JD(約30円)だった。1個だけ買ったが、お土産に良いサイズだったので、もっと買えばよかった。

 


小鳥の鳥かごが沢山あった。アラブ人には小鳥好きが多い。

 

 

おじいさんはシリア北西部イドリブ県のマアッラト・ヌアマーンの出身で、ヨルダンに移住してからも向こうに家を2軒所有していたが、空爆で破壊されたそうだ。しかし、彼はあまり政治的なことは話したくないようで、逆に私の事を色々聞きたがった。どこの出身か、結婚しているか、年はいくつかなど、初対面のアラブ人男性が必ずする類の質問だ。

 

彼もそうだったが、ヨルダンでは出身地を聞かれる時、「どこから来たの?アメリカ?」と言われることがよくあった。フランス、韓国、中国辺りも多かったが、アメリカ人かと聞かれることが一番多かった。私の見た目は明らかにアジア人だと思うんだが、彼らはなぜ私がアメリカ人だと思ったのか。アジア系アメリカ人?

 

おじいさんの店を出てから、商店街をぐるりと回ってみたが、シリア料理店やシリア菓子店などは見当たらず、ありきたりの衣料店や食料品店などが並んでいるだけだった。暑い中を歩き回るのに疲れてきたので、もうアンマンに帰ろうと思い、目の前の店にいた店員の若者にバスターミナルの場所を聞いたら、どこに行きたいのかと聞かれた。

 

「シリア国境に行きたいけど、バスがないらしいから、アンマンに戻ろうと思っている」と伝えたら、彼は「国境に一番近いジャーベルという村に行くバスならある」と言った。ラムサで国境行きのバスはないと言われたから、すっかり諦めていたが、なんとマフラクには国境のすぐ近くまで行くバスがあるという。思いもよらない展開だった。ここで彼に出会わなければ、気づかずにアンマンに帰っていたかもしれないと思うと、なにかに導かれているような、不思議な気分になった。

 

彼はフスハー(アラビア語の標準語)で話してくれ、日本のアニメが好きで日本に行ってみたいなどとキラキラした瞳で語りつつ、私をジャーベル行きの乗り合いミニバス(ワゴン車)の発着地点に案内して、もうすぐ出発しそうな車両を見つけてくれてから、爽やかに去って行った。

 

 

好青年の見本のような若者

 

 

ジャーベルまでの運賃は1JDで、私が乗ったミニバスはすぐに出発した。

 

 

乗客は6人だった。

 

 

車はマフラクの市街地から離れ、しばらく郊外を走ってから、ジャーベルの集落に着いた。他の乗客が全員降りて行き、運転手が私にどこに行くのか尋ねたので、国境の向こう側のシリアを見に来たのだと答えたら、そのまま乗っているよう言って車を走らせ、国境検問所の手前まで行ってくれ、さらに国境沿いの障壁やその向こうのシリア側(ダラア県)が見晴らせる場所にも回ってくれた。ミニバスのルートは本来ジャーベルの集落までのはずだが、彼が国境地帯に行きたいという客を乗せるのは、初めてではないようだった。

 

 

運転手は軍の身分証を持っていた。本職は軍人で、ミニバスの運転手は副業かもしれない。彼は「これはヨルダン軍の監視スポット、あっちはシリアのムハーバラート(情報機関)の建物」などと解説しながら、ゆっくりと車を走せた。

 

 

 

 

やがて、国境検問所についた。検問所のヨルダン側はマフラク県のジャーベル、シリア側はダラア県のナシーブだ。

 

 

 

 

シリア側からヨルダン側に入って来るトラックや、駐車しているトラックが何台かあった。私が車の中から写真を撮っても、ヨルダン軍からのチェックは特になかった。検問所の前で待っている女性が2人いたので、運転手に尋ねたら、家族の到着を待っているシリア人だとのことだった。

 

 

検問所を離れて、シリアが見晴らせる場所に着いたら、彼が車を停めてくれたので、降りて写真を撮った。

 

 

 

 

ヨルダンが国境沿いに建設したコンクリートの障壁の向こうがシリアだった。シリアの風景を間近で目にするのはずいぶん久しぶりだったので、なんだかピンと来なかったが、シリアはヨルダンの隣国で、アンマン・ダマスカス間はバスで3~4時間の距離なのだった。かつてシリアに滞在していた頃、ビザ更新の関係で定期的に出国する必要があり、一度ダマスカスからアンマンまで陸路で旅したことがある。

 

 

国境のどちら側も、多少灌木が生えているだけで、他には何もない荒地だった。ヨルダン側は、羊の群れを放牧する場所になっているようだった。

 

 

羊飼いの少年

 

 

草、あんまりなさそう

 

 

 

運転手は気の良さそうな男で、道すがら会う村人と挨拶を交わしたり、「母や妻に会わせて歓迎したいからうちに来ないか?」などと誘ってくれたりしたが、自分の隣の席に座れと何度も言ってくる辺りがどうも怪しかった。2人きりの車内で運転手の隣りに座るとろくなことがないのは目に見えているので、私は頑として断って後ろに座り続け、もうアンマンに帰りたいからマフラクのバスターミナルに戻ってほしいと頼んだ。

 

すると彼は、もう17時を過ぎているからマフラクに行く便は終わっている、マフラクに行きたいなら車を借り切って他の乗客の分も払ってもらう必要があると言い出した。そうすると、6人分の運賃を1人で払うことになるので6JDだ。本来1JDで済むところが6JDというのは高いので、値段交渉をした結果、行きの分を合わせて往復で4JDでいいということになった。タクシーよりずっと安いし、国境沿いを回ってくれたわけから、そのくらいはしょうがないだろう。

 

彼は多少怪しい所はあるものの基本的に親切な男で、私にアンマンのどこに行きたいのか聞いてくれ、ダウンタウンだと答えたら、ダウンタウンに近いラガダン・バスターミナルに行く乗り合い自動車が集まっている場所に連れて行ってくれ、そこに停まっていた車の運転手に私の事を頼んでくれた。その車は当局の認可を受けた正規のミニバスではなく、無許可の覆面乗り合い自動車だったが、運賃は3JDで同じなので、特に問題はなかった。金曜日や夜間などの正規のバスやセルビスの便が少ない時に何度か乗ったことがあるので、もう慣れてきた。

 

 

ラガダン行きの乗合自動車が集まる通り

 

 

間もなく乗客が揃って車が出発し、かなりスピードを出して飛ばしたおかげか、予想より早く18時半頃にラガダンに着いた。

 

 

アンマンの街が前方に見える

 

 

ラガダン・バスターミナルでお出迎えしてくれた猫さん

 

 

かなり疲れていたので、少し休憩することにして、バスターミナルに入っている菓子屋でハラーワト・ジュブンを買い、石段に座って食べた。ハラーワト・ジュブンは日本人の間でハマロールとも呼ばれるシリア発祥のお菓子で、チーズ入りのセモリナ粉のモチモチした皮でクリームを巻き、シロップをかけて甘みを付けて、ピスタチオ粉末がふりかけてある。よく冷えていて、優しい甘みが舌に心地よかった。疲れている時は甘いものが美味しい。でも、キンキンに冷えたジョッキの生ビールがあればもっと良かったんだがな。(ないものねだり)

 

 

 

 

このお菓子を嫌いだという人類に会ったことがない。

 

 

食べ終わったら、バスに乗って、ダウンタウンの市場のある界隈に向かった。夕食用のサンドイッチを買うためだ。そこで思いもよらぬことが起こり、猫助けに手を貸すことになるのだが、長くなりすぎるので、その話は後編で。

 

 

「アンタ話が長いにゃ~」

 

 

すいません、要約や取捨選択が苦手なもので、ゴホゴホ…

 

 

(続く)

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(15)~ヨルダン3日目アンマン街歩き編~

2023-07-31 20:40:17 | ヨルダン(猫中心)

 

 

ヨルダン3日目は、ホテルで洗濯したり、まとめてPC作業をしたりしてゆっくり過ごし、近場を散策した程度で遠出はしなかった。旅の疲れを緩和させるための休養日だ。

 

 

昼近くなってから出かけ、まず日本円を両替しにいった。

 

 

ダウンタウンの両替所

 

 

アンマンのダウンタウンには、両替所が数軒集まっているので、4,5所か回ってレートを聞き、一番良かったところで替えた。日本円を扱っていないところもあった。どこも概ね適正レートで、大きな違いはなかった(1万円が50~52ディナールだった)。

 

 

両替を済ませてから、セルビス(乗り合いタクシー)に乗って、ダウンタウンに隣接する高台のジャバルウェブデに登った。ジャバルウェブデは、ジャバルアンマンのレインボーストリート界隈と同様、オシャレスポットとして知られており、雰囲気の良いカフェが集まっている。てっぺん辺りのパリサークル(ロータリー)に隣接するフランス文化センターでは、アラビア語ヨルダン方言のコースも開講されており、アンマン在住時に通ったことがある。

 

 

セルビスをパリサークルで降りて、その近くの比較的空いているカフェに入ってみた。

 

 

ここ

 

 

 

私は普段はオシャレな店を敬遠しているのだが(結界が張られているかのように近づけない)、アンマンのオシャレカフェに興味があったので、思い切って入ってみたのだ。

 

 

アラブ音楽がかかっていて、ヨルダン人の若い女性のグループが、それに合わせて楽しそうに歌っている。外国人は私一人だけだった。

 

 

オレンジ・バジルジュースを注文

 

 

フレッシュなオレンジジュースにバジルの風味がとても爽やかだ。ガラスのポットに入ったレモンとミント入りのデトックスウォーター付き。さすがオシャレカフェである。

 

 

会計を頼むと、ジュース代3.5ディナールに水代と税金とサービス料が加算されて、5ディナール余りだった。約千円だ。ジュース1杯しか飲んでないのに千円とは…アンマンのオシャレカフェ、おそるべし。それなのに、ヨルダン人のグループやカップルは盛大に飲み食いしていた。富豪か。

 

 

 

 

やはり分不相応にオシャレカフェなどに入るべきではなかったと反省しつつ、散歩がてらダウンタウンまで歩いて下った。

 

 

欧米人の客が多いカフェもあった。

 

 

骨董品屋のウインドー 木彫りのビクターの犬が可愛い

 

 

オシャレスポットっぽい壁画

 

 

ダウンタウンまで降りて、ホテルの方に向かう。

 

 

水を飲む猫に遭遇

 

うま~

 

 

猫にエサをあげるおじいさん

 

 

昼寝猫

 

 

上を見上げたらすずめ

 

 

シリア菓子が買える店

 

 

流行っているシャワルマ屋

 

 

この店でチキンシャワルマのサンドイッチをテイクアウトした。ちなみに、チキンのシャワルマサンドの小は0.5ディナールで、さっきのジュースの10分の1の価格だった。

 

 

ホテルでサンドイッチを食べてビールを飲み、昼寝してからPC作業などをスローモーションでやる。

 

 

夕方また出かけ、バスに乗ってラガダン・バスターミナルまで出た。

 

 

 

ラガダン・バスターミナルには市場や飲食店が入っていて賑やかだ。

 

 

 

 

ここのサンドイッチ屋で、またチキンのサンドイッチ(シャワルマではなく串焼きのシシタウーク)を買い、奥のテーブルに座って食べたのだが、途中で警官がやってきて調理場をチェックし、何やら小言を言っていた。衛生管理の指導だろう。夏場は食中毒が多いからねえ…

 

 

 

 

またバスに乗ってダウンタウンに戻り、酒屋に寄ってアラクとビールを買って帰った。

 

 

10%のペトラビールはお買い得(5%のと同じ値段)

 

つまみ

 

 

ヨルダンは全般的に物価が高めだが、アルコール類が特に高いのでキビシイ。食事はサンドイッチで済ませて食費を抑え、その分を酒代に回す私。酒飲みの鑑じゃなかろうか…

 

 

「たわごとが聞こえたニャ」

 

 

(続き)

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(14)~ヨルダン2日目後編・昔のアパートと餌付けおじさん~

2023-07-30 06:22:17 | ヨルダン(猫中心)

 

 

今回から、途中まで書いてそのままになっていた2022年の旅行記をようやく再開する。ヨルダン2日目(旅の開始から1週間も経っていない時点)の話の後編からだ。前編を更新したのは今年の5月7日で、その後旅行の準備で忙しくなり、約1か月後には新たな旅に出てしまったので、ブログを書く余裕などなかったのだ。まあそれ以前も、休み休みの匍匐前進レベルでしか更新してなかったんだが…

 

ヨルダン2日目の前編は、アンマン在住の友人Hinaさんとランチやお茶をした後、私がかつて住んでいたアパートを見に行くのに付き合ってもらった、と書いたところで終わっていた。(2022年の旅日記を最初から読みたい方、おさらいしたい方はこちらからどうぞ)

 

 

私はアンマンに滞在していた時(2013年~2014年頃)、ダウンタウンに隣接するジャバルアンマン(文字通りには「アンマン山」だが、実際には丘レベルの高さ)のてっぺんの辺りにあるアパートに住んでいた。Hinaさんとお茶をしたアブダリモールからは少し距離があるが、彼女の車で連れて行ってもらったら、すぐに着いた。車があるって、素晴らしい。

 

 

アパートは一見、昔と変わっていなかった。

 

 

私が住んでいたのは、道路の反対側の裏庭に面した半地下の部屋で、上の階には大家さんの息子さん一家(パレスチナ人)が住んでいた。大家さんの息子さんは私とほぼ同年代で、昼間サラリーマンとして働く傍ら、アパートの管理人としての役割を果たしており、何か壊れた時や断水の時(よくあった)などに、しょっちゅうお世話になったものだ。

 

長い間ご無沙汰した後に連絡もせず訪ねて行ったのだが、彼も奥さんも子供たちも家にいて、「よく来たね!」「さあさあ上がって!」と、とても歓迎してくれ、コーヒーや自家製の焼き菓子で私たちをもてなしてくれた。

 

彼らの家の玄関付近にいた野良猫さん

 

 

大家さんの息子さん夫婦には息子が5人いるが、私が関わることが多かったのは、一番下のハイサム君と次男のアハマド君だった。ハイサム君は私がいた頃、まだ年端のいかないやんちゃな子供だったのだが、今はすっかり成長して、大人しい少年になっていた。次男のアハマド君はもう結婚していて、今はトルコで暮らしているとのことだった。私はアハマド君がまだ中学生くらいだった頃、高いところに登って降りられなくなった白猫を、身を危険に晒して救い出すところを目撃したことがある。あの時、彼は王子様のように輝いて見えたものだ…白猫の方はデカくてふてぶてしい、姫っぽくない猫だったが(たぶんオス)。なお、この日いただいたお菓子は、料理好きの3男君(名前は失念)が焼いたものだった。

 

私がいた頃、大家さんの息子さん夫婦には男の子しかおらず、「女の子が欲しいのに、生まれるのは男ばかりだ」と嘆いていたが、その後待望の女の子が生まれていて、一家のアイドルのように可愛がられていた。

 

もうそのアパートの建物に住んでいるのは、彼らだけだということで、私が住んでいた部屋もずっと無人の状態で閉め切られていた。部屋を見せてもらうのは支障がありそうな雰囲気だったので、裏庭だけ見せてもらうことにした。建物の脇の階段を下りて、裏の方に回る。

 

懐かしいドア…

 

 

裏庭のベンチスペースが青く塗られていた(微妙)

 

 

もうエサをあげる人がいないせいか、最近庭にやって来る猫はめったにいないという話で、がらんとして寂しい感じだった。かつては私の隣に住んでいたインド人男性がよく猫たちにミルクをあげていたが、彼もずっと前に別の所に引っ越してしまっていた。隣の建物に住んでいたフィリピン人たちも猫好きだったようだが、彼らもいなくなったのかもしれない。

 

 

隣りの建物との境の塀。かつてふぁーちゃん(同居していた猫)が子猫を咥えてジャンプしていたところだ。

 

 

 

ふぁーちゃんと子猫たちがいた頃の庭

 

 

 

 

 

私が帰国してしばらくの間は、まだふぁーちゃんたちが庭に来ていたそうだ。

 

 

その頃に大家さんの息子さんが撮って送ってくれた写真

 

 

 

ふぁーちゃんとその子供たちは、どこへ行ったんだろう。もう10年近く経つから、誰もいなくなってしまったかな…

 

 

 

暗くなってきたのでお暇して、近くの第2サークルでHinaさんとも別れ、散歩がてらダウンタウンまで歩いて下った。

 

 

途中で見かけた美猫さん

 

 

第2サークルと第1サークルの間にあるラブリーなイラク大使館

 

 

アンマン有数のお洒落スポット、レインボーストリートの界隈

 

 

レインボーストリートの酒屋でワインを買ったら、値切ってないのに14ディナールのところを12ディナールにしてくれた。ヨルダンの酒税の高さについて、愚痴を言い合ったせいかもしれない。

 

ダウンタウンまで降りてから、前夜も行った酒屋でビールも買い、そのそばにあった串焼き肉がメインの食堂で夕食を仕入れようと思って近づいたら、店の前に出されたテーブルで飲み食いしている客のおじさんと目が合った。

 

そのおじさんに、この店にサンドイッチはあるかと聞いてみたら、うなずいて店主に声をかけ、私のためにサンドイッチを作るよう言ってくれたので、カバーブのロールサンドをテイクアウトで注文する。店主はもう店を片付け始めており、渋い顔をしていたが、おじさんに説得されて仕方なく再び火をおこし、肉を焼き始めた。

 

肉が焼けてサンドイッチが出来るまで、ものすごく長い時間がかかった。その間私は空いている席に座って待っていたのだが、それを見ていたさっきのおじさんとその連れが何を思ったのか、自分たちのテーブルにあるホブズ(ピタパン)にラブネ(水切りヨーグルト)をつけ、1口大にちぎって、交互に私に差し出し始めた。

 

私は最初、条件反射でそれ受け取り、深く考えずに食べていたのだが、途中でふと、「なぜ私は、このおじさんたちに餌付けされているのだろうか」と疑問に思い始めた。このままでは、サンドイッチが出来上がる前に満腹になってしまうし、衛生的にも問題があるだろう。おじさんたちはホブズを手でちぎっていたので、直接口を付けたものではないのだが、もしも彼らがコロナだった場合、確実に伝染るだろうし、そもそもコロナ以前の問題ではないか。

 

 

 

 

 

ようやく出来上がったサンドイッチの袋を手にぶら下げ、おじさんたちに挨拶してホテルに戻った。

 

フロントのおじいさんに、Wi-Fiが使えるようになったか尋ねたら、「故障しているからまだ使えない。たぶん明日には直るよ、インシャーアッラー」などと言う。私が激怒した猫の形相になり、「Wi-Fiがあるからこのホテルに泊まることにしたのよ~ないんなら、ここには泊まらなかったのよ~シャ~~!」と騒ぎ立てたら、それを聞いていた従業員のルーマニア人女性(金髪でジャージ姿)が間に入り、ホテルにあるモバイルルーターを後で部屋まで持って行ってあげると言ってくれた。ウクライナもそうだが、ルーマニア、ジョージアなどの東欧から出稼ぎに来ている女性は、イタリアでもトルコでも、ヨルダンでもよく見かける。

 

部屋に戻ってからしばらく待っても彼女は来なかったので、今日はもう来ないだろうと思い、シャワーを浴びてビールとワインを飲み、サンドイッチを食べた。もうすっかり冷めていたにも関わらず、肉がジューシーでスパイスと塩が効いていて、非常に美味しいサンドイッチだった。

 

夜中の零時を過ぎてから、そのルーマニア人女性がドアをノックした。彼女は本当にモバイルルーターを持ってきてくれ、スマホとPCに繋いでくれて、何か問題があったらいつでも言ってねと微笑みながら去って行った。天使か。

 

 

フランスのオレンジという通信会社のモバイルルーター

 

 

日本で使っていたモバイルルーターと同様、サクサク繋がり、突然切れたりすることもなかった。普通にホテルのWi-Fiを使うよりずっといいネット環境だ。

 

シャワーも食事も済み、懸案事項だったWi-Fi問題も解決したので、この日は早めに寝ることにした。前日の移動の疲れがまだ残っているのに、一日中出かけていたから、休息が必要なのだ。翌日も遠出はせず、近場を散策する程度にするつもりだった。もう若くない身体で無理をすると、すぐ行き倒れそうになるからな…

 

 

 

(続く)

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(13)~ヨルダン2日目前編・現地の友人とアンマン巡り~

2023-05-07 06:39:24 | ヨルダン(猫中心)

 

 

ヨルダン2日目は、まずホテルを移ってから、現地在住の友人に会ってランチやお茶をし、かつて住んでいたアパートを再訪したりして過ごした。

 

朝8時頃目が覚め、しばらくベットでぼんやり過ごしてから、10時頃に出かけてホテル探しをした。1泊した「ノルマスホテル」も悪くはなかったのだが、連泊するなら、もう少し安くて雰囲気の明るい所に移りたいと思ったのだ。

 

かつて私の定宿だった「バグダッド・グランドホテル」が目と鼻の先にあったので、そちらに行くことも考えたのだが、日本の安楽で快適な生活に慣れてしまった身で、あのワイルドなホテルに順応できる自信がなかったので、やめておいた。前夜、道端の若者に安くていいホテルを知らないかと聞いたら、「ママヤホテル」がいいと勧められたので、そこに行ってみることにした。ノルマスホテルから徒歩2分くらいの距離だった。

 

ノルマスホテルの部屋の窓から眺めた朝の街 

 

 

建物の壁が愛想のない薄茶色で、全体的に角ばっていて武骨なところがヨルダンらしい。

 

 

パレスチナ刺繍のお店はもう開いていた。

 

 

パレスチナ人経営のスタンドで、生絞りのオレンジジュースを飲んでビタミン補給。

 

 

人けのない路地には猫さんが待機

 

 

アンマンのダウンタウン(旧市街)は誘惑が多いので、至近距離なのに目指すホテルになかなかたどり着けない。

 

 

頭上ではすずめがさえずっていた。

 

 

ママヤホテルは大通りの脇道にあり、その並びにはシャワルマ(ケバブ)レストランとジュース屋さんがあった。

 

 

 

 

よく見たら、星がひとつ付いている。適当に付けたに違いない。

 

 

 

 

フロントにいたおじいちゃんにシングルの値段を聞いて、6泊する場合割引があるかと尋ねたら、100JD(現在のレートで約1万9千円)だと言われた。1泊17JDのノルマスホテルとほぼ変わらない値段だ。部屋を見せてもらったら、こちらの方が広くて明るかったので、それ以上探すのが面倒になり、ここで妥協することにした。ここもシャワー・トイレ・エアコン・テレビ・冷蔵庫・Wi-Fi付き。

 

シングルと言っても、ダブルベッドだが。中東地域のホテルでは、シングルベッドにあまりお目にかかったことがない。

 

 

バスルームも広めで、シャワーとトイレの間の床に気持ち程度の仕切りがあった。

 

 

大通りに面しているが、窓を閉めたら騒音はさほど聞こえない。

 

 

ノルマスホテルのチェックアウト期限の12時の直前にこちらに移るとおじいちゃんに伝え、外に出てSIMカードを買いに行く。スーク(市場)の周辺にいくつかスマホ関係の店があるのだが、その一つに入ったら、「オレンジ」(Orange フランスの会社)のSIMが17JDだか18JDだかと言われ(たぶん20GBのこれ)、高いと抗議したら15JDに下がった。それでも高いので、近くにあるもっと安い店を探しに行ったのだが、場所がうろ覚えなので見つからず、まためんどくさくなって、結局その店に戻ってオレンジのSIMを買ってしまった。

 

後で調べたら、ヨルダンのSIMカードは「ウムニヤ」(Umniah)という会社のものが一番安いらしい(10GBで6JD)。失敗した…下調べ不足だ。ホテル選びも今一つだったし、今回の旅では、ずっと判断力がポンコツだった気がする。日本ボケか、それとも年のせいか…

 

ノルマスホテルに戻って荷物をまとめ、12時前にチェックアウトして、ママヤホテルに移った。チェックインして支払いを済ませ、部屋に入ってから、トイレットペーパーやタオルがなく、しかもWi-Fiのパスワードを教えてもらっていないことに気づく。フロントのおじいさんに言ったら、トイレットペーパーとタオルはすぐもらえたが、Wi-Fiのパスワードは後でね、インシャーアッラーと言われた。不吉な…

 

14時頃に現地在住の日本人の友人Hinaさん(仮名)が車で迎えに来てくれた。彼女はこちらで子育てをしている主婦で、かつて私がこの街に住んでいた時に知り合い、帰国してからも、ツイッターなどで常にやりとりしている。彼女もブログを書いているが(これ)、私などよりもずっと読者が多い。ふっ…

 

Hinaさんと会うのは数年ぶりだったが、外見はあまり変わっていなかった。海外在住の友人は、あまり年齢を感じさせない人が多いと思う。

 

まず一緒にスークの辺りにある庶民的な安食堂「アンワール・アル・クドゥス」(またの名を「ハンニーニー」)に行き、ランチにした。メニューが非常に多く、どれも他の店より確実に安くて、しかも美味しいので、いつも賑わっている。

 

アンマンの食堂にしては珍しくコシャリもある。シャワルマもとても美味しい。

 

私はかつて時々この店でチキン・シャワルマのサンドイッチ・サーダ(焼肉以外の具やソースを一切入れない)を買って、猫におすそ分けしつつ食べていた。ソースなしだと、味がなくて人間には物足りないが、猫は喜んでくれていた。

 

入口付近のショーケースに料理がワイルドに盛られている。

 

マハシー(米などを詰めた野菜の煮物)も色々ある。

 

満腹になって幸せそうな人たち。飲み物はセブンアップやペプシ等の甘い炭酸飲料が基本。

 

 

私たちは、家族連れ・女性用のスペースである2階で食べた。2階はいつも比較的空いている。

 

 

 

なんと、今回は英語メニューもあった。以前はなかったと思う。

 

私はチキンのマンサフ(参考)を食べた。ヨルダンに来て、国民食のマンサフを素通りするわけにはいかない。Hinaさんは揚げた魚とカバーブの定食を取ってシェアしてくれた。

 

 

私が久しぶりのマンサフを前にして、幸福感に浸っていた時、Hinaさんはいそいそと、こういう写真を撮っていた。

 

 

彼女の推しの「竹財輝之助」という俳優さん(のアクリルスタンド)がヨルダン料理に囲まれて微笑んでいる…彼も自分のアクスタがヨルダン料理と一緒に映ることになるとは思わなかったであろう。うちにはテレビがないし、彼のことはよく知らないのだが、非常に人気があるようだ。

 

Hinaさんによると、推し活は人生とお肌に輝きと潤いを与えるらしい。私は何を隠そう、20代後半でジャニーズJr.にハマったことがあるのだが(特に声変わり前の錦戸亮君)、ハマったと言っても、私の場合はせいぜい毎週彼らの出演する番組を見る程度で、コンサートに行ったりグッズを買ったりしようなどとは考えたこともなかった。今は特に推しはいないが、あえて言えば猫かな…

 

 

久しぶりのマンサフはとても美味しかった。ご飯の量が多かったので、けっこう残してしまったが。ここはHinaさんが全部払ってくれた。それ以外にも、餞別(旅費のカンパ)をいただいたし、気を遣わせてしまったようで、なんだか悪かったかな…

 

会計後、店を出る前に給仕係の彼に頼まれて写真撮影。エジプト人かな。

 

ランチの後、店の正面にあるスークを少し散策した。

 

野菜や肉、冷凍の魚などの屋台が並んでいる屋根付きの市場だ。

 

甘くて美味しいひしゃげ桃(蟠桃)があった。

 

黄色いメロンは5個1JD(約190円)

 

事件現場っぽい肉屋

 

袋入りの米や豆、食用油などの店

 

市場にも猫がちょろちょろしている。

 

Hinaさんは息子さん用の靴の値段をチェックしていた。

 

靴屋にも猫

 

金曜日だったので、市場の周辺にも色々屋台が出ていた。

 

何の役に立つのか分からない中古のガラクタばかり売る出店。

 

座薬型のアーチが目立つアーケード

 

周辺にはこういう地層がむき出しになった高台も多い。

 

市場を出て、ダウンタウンのへそとも言えるフセイニーモスクの前を通りかかったら、何か黄色いせっけんのようなものを売っているおじ様がいた。

 

 

Hinaさんがそれは何かと質問したら、アロマワックスバーのようなもので、皮膚(手首など)にこすりつけて香りを移すと良いとのことだった。Hinaさんがいくつか買って、1つ私にくれた。

 

フセイニーモスクは非ムスリム立ち入り禁止

 

 

市場の後は、アンマンのドバイと呼ばれる(私に)「アブダリモール」に車で連れて行ってもらった。私が住んでいた頃にはなかったオシャレスポットだ。

 

 

 

 

ここに来たのは、中に入っている免税店で、免税のワインを買うためだった。ヨルダンは酒税が高いのだが、入国から2週間以内(たぶん)の外国人は、パスポートを提示すれば免税で一定量の酒を買える制度があったのだ。

 

しかし、今回このモールの免税店のスタッフに尋ねたら、「コロナの影響で酒類の免税措置はなくなった」と言うではないか。なんてこと…コロナと酒の免税がどう関係するんだろう?国の経済が苦しくなったから免税は止めたってこと??

 

なんにせよ、免税でないのならここで買う理由はないので諦めて、お茶でもすることにした。このモールにはトルコの「シミットサラユ」(=シミット宮殿、伝統的なリング型のゴマパン・シミット専門のチェーン店)が入っていたので、そこに決める。ここは私が出させてもらった。

 

シミットサラユに入ったの、実は初めてかも。あえてヨルダンで初シミットサラユ。

 

シミットではないパンもあった。

 

チャイグラスがトルコっぽい。

 

シミットは冷凍だそうで、いまひとつだったが、チャイはトルコの味だった。

 

お茶をした後は、私がかつて住んでいたアパートを見に行くのに、付き合ってもらった。一人で行くのはなんとなく気が引けたが、Hinaさんが一緒だと心強かった。

 

 

(長くなったので、残りは次回。取捨選択して簡潔にまとめようと思っても、結局いつも長くなるのはなぜだろう…)

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

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2022年イタリア・ヨルダン・トルコ周遊記(12)~ローマからアンマンに移動・後編~

2023-04-28 09:27:17 | ヨルダン(猫中心)

 

 

前回の更新からまたずいぶん間が空いてしまったが、皆様はいかがお過ごしだっただろうか。私は相変わらず、のたのたのたのた暮らしていたのだが、その間に日本には春が来て、夏が来て、さらに冬が戻ってきてしまった。もしかしたら、そろそろ秋が来るのかもしれない。

 

書くのをあまりに長くサボっていたので、書き方を忘れてしまったが、なんとか思い出せたらいいですね。(他人事か)

 

前回はローマのフィウミチーノ空港からライアンエアーのアンマン行きの便に搭乗したところで終わっていた。

 

出発予定時刻は16:35だったが、30分ほど遅れて離陸した。遅延の理由は不明。

 

機内はほぼ満員で、添乗員を含め、ほとんど誰もマスクをしていないかった。私の席は最後列の窓側だった。たどりついたら、そこにはどことなくレトロな化繊のワンピースを着た国籍不明の若い女の子が座っていたが、私と目が合ったら何も言わずにどいてくれ、隣の席に座った。

 

ライアンエアーは、機内放送も添乗員の説明もイタリア語と英語で、アラブ色は全くなかったが、ヨルダン人(パレスチナ人も)らしき人達もけっこう乗っていた。

 

約4時間のフライトの間、大方寝ていたが、目を覚ました時に周りを見渡すと、機内食のセットやスナック、ドリンクなどを買って飲食している人が結構いた。LCCの機内で販売されている飲食物はけっこう割高だと思うのだが、頼む人が多くて、なんだか不思議だ。私の隣りの女の子もチョコボールを買って美味しそうに食べ、私にも勧めてくれたが断った。コロナはどこへ行った?

 

 

ネットで拾った数年前のメニュー表(内容や価格は変わってると思う)

 

 

 

22時頃にようやくアンマンに到着した。着陸時に、例によってイタリア人界隈から拍手が起こった。それは私の中で、イタリアの余韻のように響いた。ここはもうヨルダンなのだ。

 

 

 

 

入国審査は一瞬で終わった。入国に必要なはずのQRコードや旅行保険の証書、ワクチン接種証明の提示は一切求められず、ほぼ素通り状態だった。私はローマの空港でライアンエアーの窓口のおじ様に、保険証書がなくてもヨルダンは絶対に私を入国させてくれると言い張ったわけだが、やはり私は正しかった。ヨルダンがそんな細かいものチェックするはずないもんね。ふっ…

 

入国審査を済ませた後、まずトイレに行った。

 

 

 

ペーパーを流せず、手動ウォッシュレット的なシャワーが付いたトイレを見ると、いつも「ああ、帰ってきた…」と思う。

 

ATMを探して、クレジットカードで100JD引き出してから、預け入れたスーツケースを受け取って出口に向かった。

 

アラブ諸国の空港の出口では、抱き合って涙を流し、再会を喜び合う家族らの姿がみられる。

 

 

アンマンの空港の出口付近にはスタバがある。入ったことないけど。

 

 

エアポートバスで市内中心部(旧市街)に出るつもりだったので、まずチケット売り場でバスのチケットを買った。1枚3.3JD(現在のレートで約620円)

 

 

バスの発着場所がわからなかったので、その辺をうろうろしている空港職員やタクシーの運ちゃんたちに聞いたら、連れて行ってくれた。

 

私の記憶では、エアポートバスは黄色い大型バスのはずだったが、今回乗ったのは街中をよく走っている乗り合いのミニバスと同じタイプだった。

 

 

運転席の後ろに、荷物を置くスペースがあった。

 

 

終点は北ターミナル(空港から約1時間)だが、いつも途中の第7サークルで降りて、そこから乗り合いのミニバスに乗って旧市街(=ダウンタウン)に出ていたと記憶していたので、今回もそうしようと思ったが、第7サークルで降りようとしたら、運転手さんに「旧市街に行くならそのまま乗ってなさい」と言われ、座り直す。

 

どこで降りればいいんだっけ…と考えながら、暗い窓の外を眺めていたら、後方の席から英語の会話が聞こえた。話を聞いてみたら、乗客の一人のトルコから里帰りしたヨルダン人(パレスチナ人かも)のおっちゃんが、ダウンタウンに向かっている欧米人のバックパッカーたちに、ドウワール・ダーヒリーエ(内務省建物があるロータリー)で降りてセルビス(安価な乗り合いタクシー)に乗るよう説明していた。そうだ、エアポートバスはダーヒリーエにも停まるんだった。あそこの方が第7サークルよりも旧市街に近いし、あまり歩かずに乗り合いタクシーに乗れるから便利なのを忘れていた…

 

バスがダーヒリーエに停まった時、その乗客のおっちゃんはバックパッカー4人を連れて下車し、寄ってきたタクシーの運転手たちからバックパッカーズを守ってセルビスに乗せてあげていた。おっちゃん、天使か…?ここで深夜に外国人がタクシーに乗ったら、ぼったくられるに決まっているが、セルビスなら1JD(約190円)で旧市街に行けるのだ。タクシーの運ちゃんたちは怒っていたが、おっちゃんが相手にしないので、やがてあきらめて去って行った。バックパッカーズは瞳を輝かせておっちゃんを見つめ、「ありがとう!!」「あなたは僕たちのヒーローだ!!!」などと感謝の言葉を述べつつ去って行った(アメリカ人かな)。なんなの、このヒューマンドラマな展開は…

 

私は彼らとは別にセルビスを探して乗ろうと思ったが、おっちゃんはなぜか「あなたも来なさい」と私まで誘導して、自分と一緒のセルビスに乗せ、どこで降りたいのか聞いて運転手に伝え、自分は途中で先に降りて行った。私は旧市街中心部のアラブ銀行の前で降ろしてもらった。

 

旧市街に着いた時にはもう夜中の零時を過ぎていたのに、木曜日だったせいか(ヨルダンは金土が休日)人通りが多くて賑やかで、イルミネーションがキラキラしていた。

 

アラブ銀行の脇の辺りの、クナーファ(チーズ入り焼き菓子)を買い食いする人でいつもいっぱいの老舗菓子店「ハビーバ」の支店がある一角にも、まだ人々が座っていた。さすがに店は閉まっていたが。

 

 

今回は深夜到着の便だったので、宿を1泊分だけ予約していた。3週間にわたる旅の間中、ホテルを予約したのはこの時だけだった。予約というものが苦手だからだ。しかし、深夜に荷物をかかえて宿探しするのはイヤだったので、今回初めてブッキングコムを使って、「ノルマスホテル」という安ホテルを予約してみた。シャワー・トイレ付きのシングルが1泊17JD(約3200円)。すごく安いわけではないが、便利な場所にあるし、ヨルダンは物価が高いからしょうがない。(現在ブッキングコムではこのホテルの予約を受け付けていない模様)

 

建物を入って階段を少し上がったところにエレベーターがあるから、それに乗ってフロントのある階まで上る。

 

 

チェックインして宿泊料を払い、部屋の鍵を受け取る。

 

部屋は大通りに面しているので騒音がひどいし、全体的になんとなく気配が暗かったが(気のせい?)、まあまあ清潔だし、テレビや冷蔵庫、エアコンなどが付いていて、設備面では申し分なかった。

 

 

シャワーはトイレのすぐ脇にあり、浴びると床がびしょびしょになるタイプだった。

 

 

部屋に荷物を置いてすぐ出かける。まず、ホテルのそばの路地にある、かつてよく行っていた酒屋でビールを買った。アンマンは深夜でもお店が開いていて助かる。

 

アムステル(AMSTEL)ビールのマークが酒屋の目印。

 

この酒屋は営業中でもシャッターが半ば降りているので、初めて見た人は閉まっていると思うかもしれないが、よく見たらドア部分は開いているのだ。入り口付近が酒類の販売コーナーで、奥は飲み屋になっている。全体的に後ろめたさがほんわりと漂っているのが味わい深い。店主は堂々とした、押し出しの良い男性なのだが。ヨルダン産のビールが欲しいと言うと、アムステルの他に「ペトラ」という見慣れないビールも出してくれたので、それにする。ヨルダンといえばペトラ遺跡だからね。

 

酒屋のそばのファラーフェル屋さんでロールサンドを買う。こんな時間でも他の客がいた。

 

 

夕食とビールを手に入れたら、速やかにホテルに戻った。疲れていたし、長時間飲まず食わずで、とてもお腹が減っていたのだ。

 

アンマンの旧市街の夜景を眺めながら遅い夕食を取った。

 

 

久しぶりのヨルダンのファラーフェルサンドは、とても美味しかった。ファラーフェルはヨルダンが一番だと個人的に思う。値段も安い(0.4JD=80円弱)。ビールの方は330 mlで2.5JD(約470円)と高い。ヨルダンは酒税が高いのだ。イスラムの国だから、飲めるだけでもありがたいと思わねば…味は普通に美味しいラガーだった。

 

疲れていたので、シャワーは省略して(床がびしゃびしゃになるし)、3時頃に寝た。外は夜中の2時半頃まで騒がしく、ダブケを踊っている若者たちなどもいたが、やがて静かになった。



 

 

(続く)

 

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