民族衣装姿の、ウイグル人の美少女
「中国旅行(1) あらまし」で書いたように、私の中国旅行の主目的は、ウイグル自治区でウイグル人の暮らしぶりを観察することだった。
上海のインパクトがあまりに強かったため、そちらのほうは幾分かすんでしまったことは否めないが・・・。
「ウイグル人の印象は?」と聞かれたら、「見かけはトルコ人みたいなのに、お箸を使って食事をし、ウイグル語と中国語を話す人たち」と、私は答えるだろう。
トルコ系の民族だけあって、ウイグル人の顔立ち、体型、行動パターン、生活習慣などは、かなりトルコ人に近いように思えた。
だから、ウイグル文化を目の当たりにしても、トルコで数ヶ月暮らした経験のある私にとって、特に新鮮な驚きはなかったといえる。
ただ、彼らが箸を自在に操って麺類を食べている姿をみるにつけ、「ああっ、この人たち一見トルコ人なのに、箸使って食事してる~!」と不思議な気持ちになったものだ。
箸を使用する習慣は、中国支配の影響かもしれないけど。
ウイグル人が中国語を話すのは、もちろん学校で強制的に習わされるからである。
だから、ウイグル人はみんなバイリンガル。
英語を話せる人は少ないので、私が外国人だとわかると、みんなこう聞くのだった。
「中国語は話せますか?」
話せません。
ウイグル人男性は民族衣装ではなく、普通の洋服を着ているが、緑色のウイグル帽をかぶっているのが特徴的だ。
おかげで中国の他の都市で見かけても、「あ、この人ウイグル人だ!」とすぐわかる。
女性はというと、サイケデリックな模様の、極彩色の民族衣装を身につけている人をたまに見かけたが、たぶんお祝い事の時だけ着るのだろう。
普段は男性と同様、洋服を着て過ごしているようだ。
ヒジャーブで髪を被っている人は少ないが、中には髪だけではなくて、頭部全体をすっぽり被っている人もいて、多様である。
ウイグル自治区には、漢人も大勢住んでいる。
これは中国政府による、自治区への漢民族入植政策の結果である。
カシュガルはいまだにウイグル色が濃厚だが、それでも漢人の姿はいたるところで見かけたし、ウルムチにいたっては、入植があまりにも進んでいて、ウイグル人は狭いウイグル人地区に追いやられてしまった、というかんじだった。
漢人とウイグル人の衝突を警戒してか(あるいは、ウイグル人の独立運動を取り締まるためか)、警察のパトロール隊がいたるところで目についたし、ウルムチ・カシュガル間の国内線では、セキュリティチェックが異様に厳重だった。
カシュガルに到着した日、夜中の2時頃、誰かがホテルのドアを激しくノックする音で目を覚ました。
ぐっすり眠り込んでいるところを起こされて、何がなんだか分からない状態でドアを開けたら、そこには警官が数人立っていた。
早口の中国語で何か言っている。よくわからないが、どうやら身分証明書を見せろと言っているようなので、パスポートを渡した。
受け取った警官は、こちらが外国人だとわかって当惑した様子で(外国人が泊まるようなホテルじゃなかったので)、パスポートをめくりながら、どこかへ携帯で問い合わせていたが、結局無罪放免という結論になったようで、パスポートを返して立ち去った。
ドアを閉めて様子を伺っていると、彼らはほかの部屋のドアをひとつひとつ叩いて、泊まり客の身分証明書をチェックしているようだった。
やがて廊下に甲高い叫び声が響き渡ったので、ドアを開けて覗いてみると、寝ているところを起こされて憤懣やるかたない、といった風情の若いウイグル人女性が、警官に食ってかかっている。
どうなるか気を揉んだが、警官たちはあまり相手にせず、あっさり別の階へ移動していった。
あたりがすっかり静まったあとも、私はしばらく眠れなかった。
あれは一体なんだったのだろう。
人民公園をパトロールする警官たち
ウイグル人はこのまま、自治区とは名ばかりの漢人支配地域の、そのまた片隅に追いやられて、ひっそり暮らすしかないのだろうか?
中国からの独立は彼らの悲願だろうが、その日は一生こない、と私は思う。
ウイグルやチベットが中国からの独立を果たす日、それは中国崩壊の日である。つまり、ほとんどありえない。
しかし、いずれ中国全体で民主化運動が盛んになり、その波にのって、ウイグル人もより多くの権利を手にする可能性はある。
これがおそらく彼らにとって、最良のシナリオだろう。
ウイグル人自身は漢人による支配をどう思っているのか、自分たちの民族の将来についてどう考えているのか。
語学力不足のせいで質問できなかったのが、とっても心残りである。
顔を完全に被ったウイグル女性
郊外のバザールで、羊を売る男たち
民家のドア
アパック・ホジャの霊廟 中央アジアっぽい骨太な建築
羊肉屋
写真は全部カシュガルで撮影したものです。