お正月頃に過去のブログをなんとなく読み返していて、エジプト・カイロ滞在記が途中で終わっていることに気が付いた。
かつてこの滞在記の1回目の時、「しばらく前、過去に撮った写真を整理していて、エジプト滞在中に撮った写真をまとめてブログにアップしていないことに気が付いた」「そういうわけで、2010年3月末から半年の間滞在したカイロで撮った写真に説明を添えて、何回かに分けて載せようと思う。といっても、枚数は非常に少ないので、すぐ終わる予定(インシャーアッラー・・・)」などと書いていたが、それから1年半以上経ってしまっている。私にはありがちなことだが。
というわけで、今回はその続き。カイロ滞在の最終月の2010年9月に撮影した写真を載せる。それ以外にもエジプトで撮った写真はいくらかあるし、マドリードやパリ等に旅した時の写真も放置したままになっているので、そちらも順次載せていこうと思う。(インシャーアッラー・・・)
2010年9月にカイロで撮った写真はわずかで、大半がボケボケだった。
これは、アパートの自室に出現したヤモリさん。エジプトにもヤモリはいるのだ。
日本のヤモリと特に変わったところはないようだった。この後、窓から外に出てもらった。私はヤモリがけっこう好きだが、部屋の中にいられるとうっかり踏んでしまったりしそうで、落ち着かない。
こちらは友人たちと訪れたヘルワーン地区の「10月6日公園」(いわゆる「日本公園」) الحديقة اليابانية
地下鉄のヘルワーン駅から徒歩で行ける公園で、広くて緑も池も東屋などもあって居心地がいいので、地元の子供や若者たちが遊びに来るようだった。
地元の新聞(英語)によると、この公園は1917年(ウィキペディア・アラビア語版では1919年)にエジプト人技師ズールファッカール・パシャがアジア風の様式で設計し、当時のエジプトの支配者スルタン・フセイン・カーミルに献上したそうだ(イタリア人技師が設計して中国人が建てたという話もあるが詳細不明)。つまり、元々は日本とは全く無関係。その後、1992年に日本大使館の協力の下で、日本の会社によってこの公園の内部に「東京庭園」と呼ばれる部分が付け加えられ、2010年には改修工事も行われたという。浜離宮庭園・旧芝離宮庭園をモチーフとした池泉回遊式日本庭園だ。この池については、「なんかそういう池、あったな・・・」という程度にぼんやりとしか記憶にない。他の部分のインパクトが強すぎたせいだ。
写真をちゃんと撮っていなかったので、インターネットから拝借した写真を並べる。
動画
御覧のように、ツッコミどころが満載の愉快な公園なのだ。ここを「日本公園」と呼ぶのはいかがなものか。「アジア風公園」と呼ぶべきではなかろうか。
こちらは、シタデル(城塞)の中にあるムハンマド・アリー・モスク。滞在の終わり頃に1人で行った。
外観は撮ってなかったので、ウィキペディアから借用
ムハンマド・アリー・モスクは、オスマン建築のモスクで、薄暗い内部に座って天井から吊り下げられたシャンデリアを眺めていると、イスタンブールにいる気分になれる。やや行きにくい場所にあり、特に帰りはなかなかバスが見つからず、くじけそうになった。
19世紀前半にムハンマド・アリーの命令で建設されたそうだ。ムハンマド・アリーは、当時オスマン帝国の属州だったエジプトの総督(任期1805~1848)で、事実上の支配者だった人物だ。帝国にシリアの支配権を要求してエジプト・トルコ戦争を起こしたりしたこと等で有名だ。世界史で習った覚えがある。
この人
庭にあった趣のあるライオンさん
モスクの紹介記事
https://tripnote.jp/egypt/mosque-of-muhammad-ali
2010年3月末から9月末の半年間、エジプトに滞在した時のカイロの写真はこれで終わり。9月の終わりにはパレスチナに移動し、東エルサレムに3か月住んでからヨルダン入りし、アンマンに1か月滞在してからトルコ入りして、イスタンブールで3か月ほど過ごし、そこから帰国したのだった。エジプトの前はイタリア→シリア→トルコという経路だった。あの頃の私は、すでに若くもなかったが、けっこう元気だったのだな。(遠い目)
カイロから遠征して、アレクサンドリアとバハレイヤ・オアシスに行った時の分や、2011年5月にエジプトを旅行した時の写真もあるので、今後そちらを載せたいと思う。がんばって更新しなきゃ・・・
(終わり)