ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

旅日記①

2022-03-27 21:28:46 | 旅行

楽しみにしていた伊勢神宮へ参拝と観光へ行ってきた。

23日の早朝に家を出て、昨日26日の夜に帰宅という三泊四日の旅だったが、心残りなく十分に満喫した旅ができた。

満喫し過ぎて疲れがなかなか取れず、ずっと眠い、、、

さて一日目は、名古屋で電車を乗り継ぐと、まっすぐ岐阜へ向かった。

岐阜は夫もまだ行ったことがない土地だそうで、夫婦ともにぜひ行ってみたかった。

車窓から見える景色が、北海道とはまるで違うのが興味深い。

瓦屋根の家並み、細い道、そして黄色の実がなっている庭木と黄色い菜の花。

住んだことはないのに、どこか懐かしいと感じる景色を見ているうちにあっという間に岐阜駅に着いた。

到着したのがお昼だったので、まず向かったのはカレーとアジアン料理のお店「ラサマンダ」

安心安全な食材と調味料を使っているそうで、味も美味しいと評判が高いく、岐阜へ行ったら是非行ってみたいと思っていたのだが、食べてびっくりのカレーだった。

いくつかあるカレーの種類の中から二つを選び、辛さを聞かれて「普通」をお願いした。

でてきたカレーは、辛いのが苦手な私や長女でも平気で食べられる辛さで、味の方も評判通りとても美味しかったのだが、驚いたのは食べ終わった後。

お腹の方から頭に向かって徐々に熱さが昇ってくる。これは初めての経験だった。

カレーは辛くなかったのに、額にはうっすら汗まで出てきて、身体中がぽかぽかしてくる。

私と同じように感じたのが長女で「お腹から温かくなってきた」と言う。

この日、長女は生理痛があったのだが、なんとカレーを食べた後に痛みが嘘のように消えたそうだ。

「またカレーを食べに岐阜に来たいなぁ」というほど長女は気に入ったようで、いつかまた食べに来たいと思うが、かなり遠いので、できれば北海道に支店を出してほしいと思う、、、無理か。

さて店を出たあとは、行きも徒歩だったが、帰りも徒歩で駅まで戻った。

いつものようにGoogleくんの道案内で行ったのだけど、どうしていつもGoogleくんは、ディープな道ばかり教えるのだろうと思う。

まるでそこの住人のように住宅地の細い通りを歩き回り、決して団体旅行では見ることのできない景色に出会い、とても楽しかった。

さて駅に戻ると市内を走るバスに乗り、昔の町並が残ると言われている川原町へ行くことにした。

ところでバスの中からみた町の風景もまた懐かしかった。

個人でやっているような小さな本屋さん、薬屋さん、文房具屋さんを見ることができる。

これは本州では当たり前の風景なのだろうか。

今から50年くらい前、小学生の頃は札幌にもたくさんあったが、今は大型店ばかりになって、そのような小さなお店はほとんど姿を消してしまった。

大型店は便利だけど、やっぱりこのような小さなお店のある風景が好きだなぁと思う。

下は川原町の景色。時代劇のセットのよう!

川原町を通り過ぎて、岐阜公園まで歩き、それから金華山ロープウェーで岐阜城を見学したが、歴史でさらっとしか習っていない織田信長のことが詳しく説明されていて面白かった。

見学した後は、前より少し織田信長さんが身近になった気がした。

そして、たくさん歩いて一休みに頂いた甘酒と五平餅。美味しかった〜

上の写真が甘酒。お茶碗に入って真ん中にお箸が一本。

お茶碗に入っているというのも面白いが、箸が真ん中に置かれているというのも面白い、、、

はて?どうやって飲むべきかと考えた。

このように置かれているからには、何か作法があるのかもしれない、、、

まずお箸で仕切られた片側から口をつけ、さらに半分お茶碗を回して、別の方から口をつけるとか?

甘酒を前にして色々と考えていたら、横で夫が言った。

「箸で混ぜるんだろ」

多分、夫が正しいと思う。。。

風情のある場所に行ったので、特別な飲み方をするのかと思ったわ。

というわけで、まだ旅は続くのだけど、長くなるのでまた今度。

 


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十勝、根室(続き)

2021-11-21 15:43:15 | 旅行

60年、北海道に住んでいても行ったことが無い場所がまだまだある。

根室市もその一つ。

根室の近くの知床は何度も行ったのだけど、根室は行ったことがなかった。

そこで今回は初めて根室へ行ってみることにした。

その前に中標津町で有名な観光スポット「開陽台」へ寄り道。

開陽台(かいようだい)が有名になったのは、「振り返れば地平線」という佐々木譲氏の小説で、北海道をバイクでツーリングする話だそうだが、その中で開陽台が登場するのだとか。

見渡せばぐるりと330度の大平原が広がる雄大な眺望が、ライダーの口コミで広まり、北海道を旅するライダーに聖地と呼ばれた所だそうだ。

それにしてもつい数年前までライダーをやっていた夫が、この小説を読んだことがあるのか無いのか、、、開陽台へ行っても何のコメントも無かったので、多分読んだことが無いのかもしれない。

せっかく夫自らバイクをやめる決断をしたので、小説の話はしないでおこうと思う。

焼けぼっくいに火がついてはいけないので(笑)

開陽台の展望台から見た景色。

地平線が見える雄大な景色を見ていると、日常生活の悩みなど、ほんの小さなことに思える。

ところで開陽台近くの道路に立っている標識が珍しかった。

動物に注意の「牛」の絵はまだわかるとして、馬に乗った人の絵というのは初めて見た。

開陽台付近には、ライダーのほかにカウボーイもいるのだろうか、、、

というわけで、開陽台を後にすると根室へ向かった。

根室に入って感じたのは、北方領土返還という看板がやけに多いことで、同じ北海道でも、他の地域では北方領土返還をあまり目にすることが無い。

根室がこれほど多いのは、北方領土が肉眼でも見えるくらい近くて、国境の海では漁船がロシアに拿捕されるなどの事件が相次いでいることもあるのだろうか。

本土最東端の「納沙布岬」

納沙布岬からは、北方領土である歯舞群島の貝殻島や水晶島がすぐ近くに見える。

望遠鏡を使って見ると、水晶島にロシアの監視塔やレーダー施設を確認できて不気味さを感じる。

写真には映らなかったが、この海の先に水晶島が見える。

「北方領土モニュメント四島(しま)の架け橋」

アーチ状のモニュメントの向こう側に見える塔火台には、昭和47年5月に祖国復帰を実現した沖縄県波照間島で自然発火し、青年団体によるキャラバン隊により太平洋、日本海の両コースを通って各都道府県庁に立ち寄って根室納沙布岬まで運ばれた「祈りの火」が「北方領土返還運動の火を絶やすな」という合言葉のもとに、現在も燃え続けている。

モニュメントを見学している時に、見回りに来た地元の方とお話することができた。

今年になって二度も、モニュメントに「奪還」と大きく落書きをされて、監視カメラを付けるのと同時に見回りもしているそうだ。

これは大きなニュースになったので知っていたが、地元の方は大変怒っていらした。

まったくどういうつもりで二回も同じ落書きをするのかと思うが。

「祈りの火は、四島すべてが戻って来るまで燃やし続けるんだ」と、地元の方が話しておられた。

北方領土はいつの日か戻ってくるのだろうか?

先祖が北方領土に住んでいた人は特に、北方領土の返還が悲願であろうと想像できる。北方領土は、あまりに不条理にロシアに奪われた。

そして私も返して欲しいと思うが、それと同時にアイヌ民族のことが頭に浮かんだ。

北海道開拓のために、アイヌ民族が住んでいた土地を奪うことがあっただろう。

また言語も明治政府の同化政策によって、それまで使っていたアイヌ語から日本語にしたという経緯がある。

そのような事を思いながら、最東端から海を眺めてきた。

この後、帯広へ行き美味しいスイーツをお土産買ったのだけど、それを書きだすとブログ記事が終わらないので、この辺にしておきます。。。

 


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十勝、根室

2021-11-14 15:57:00 | 旅行

十勝と根室へ行ってきた。

前日は大雨だったが、天気予報では道東は午後から晴れるとのことだった。

たしかに雨は小降りになっていたので、何の心配もなく出発した。

ところが前日の大雨で高速道路が使えず、途中で通り抜ける予定の町では、河川の氾濫で避難警報が出されたというのを、行く途中のカーラジオで知った。

また河川の氾濫以外にも土砂崩れが起きているという情報も聞いて慌てた。

よほど引き返そうかと思ったが、家人が行くだけ行ってみようというので、いつでも引き返せるように心の準備はして向かった。

結局、河川の氾濫も土砂崩れもそれほど大ごとではなく行くことができたが、一般道を通って行った為、目的地の中標津町まで八時間近くかかってしまった。(高速道路だと5時間弱くらいで行ける予定だった)

でも途中からお天気も良くなって、一般道を通ったお陰で観光をしながら行くことができた。

途中で寄ったのは、釧路湿原国立公園にある温根内ビジターセンター。

ここでは釧路湿原について知ることができるほか休憩もできる。

また木道も設置されていて、釧路湿原の中を少しだけ散策できるようになっている。

木々と枯草の野原にしか見えないが、よく見ると水が溜まっている場所があって、足を踏み入れるのはとても危険。

「やちまなこ」と呼ばれる場所は、見た目には小さな水たまりに見えるが、地中は壺のように広がって水深が2メートル以上もあり、馬が落ちるともう引き上げられないそうだ(湿原そばに住んでいたことがある義母情報ですが)

間違っても木道から降りませんように。

そして八時間かけて辿り着いたのが、中標津町の養老牛温泉。

養老牛温泉は、400年ほど前からアイヌの人々が利用していたそうで、私たちも利用できるようになったのは100年くらい前からだとか。

自然に囲まれた場所にあって、川のせせらぎを聴きながら入る温泉は最高。また野鳥の宝庫でもあって、鳥好きとしては一度行って見たかった。

もしかしたらシマフクロウも見ることができるかもしれないと期待して行ったのだが、残念ながらシマフクロウは見ることができなかったものの、たくさんの野鳥を見ることができた。

また中標津町は酪農の町でもあるが、さすが牛乳の美味しさと言ったらなかった。

宿で瓶に入った牛乳が出たのだが、蓋と外して飲もうと口をつけても牛乳がでてこない。

なんと牛乳が濃すぎて、上の方が生クリームのように固まっていたのにはびっくりだった。とにかく生クリームか牛乳かというくらい甘くて美味しい。

特に牛乳好きというわけではないが、中標津の牛乳は何度でも飲みたくなる味で、この牛乳を飲むために養老牛温泉まで行く価値はあると思う。

そして、もちろん野鳥と温泉と料理もおすすめ。

昔は北海道の宿の料理は、素材で勝負というだけで工夫がないと言われていたが、今はどこも工夫があって食事が美味しい宿が本当に多いと思う。

というわけで、まだ書きたいことはありますが、長くなるのでまた後日にしたいと思います。

 


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高松、神戸

2021-10-11 17:06:59 | 旅行

前回の続きです。

夕陽に感動した小豆島をあとにして、次に向かったのが高松市。

団体旅行では観光名所だけを周ったのだが、できれば町の中を歩いて地元の人が行くお店を見たいと思っていた。

そこで高松では、混み合う時間は避けて、地元の人が行くお店でご飯を食べたりスーパーマーケットへ行ったりした。

特に興味があったのがスーパーマーケットで、地元ならではの珍しい食材があるのではないかと期待して行ったのだが、結論から言うと、スーパーマーケットはどこも同じだった。

いくつか北海道では見ることができないメーカーの調味料があったが、基本的には変わらず、あらためて日本の流通の素晴らしさを認識した。

それにしても野菜売り場で、北海道産と書かれたじゃがいも、玉ねぎ、人参、ブロッコリーを見た時には、思わず懐かしさが込み上げてきてしまった、、、

というわけで、高松での滞在時間は一日限りだったので、早速レンタカーで観光に出かけた。

まず最初に行ったのが栗林公園。

観光ミシュランで三つ星をとったそうで、特に松の木が、まるで大きな盆栽のように美しく形作られていて素晴らしかった。

この庭園では14人の庭師さんがいて、毎日たくさんある松の木のどこかしらの世話をしているのだそうだ。やはり美しい庭園を保つには、それなりの管理が必要なのだろう。

そして次に向かったのが、金毘羅宮。実は、ここがもう一度来たかった場所だった。

金毘羅宮といえば785段の長い階段が有名だが、昨年はこの長い階段を82歳のガイドさんの後に付いて駆け上がるかのように一気に登った。

ガイドさん曰く「これくらいの人数だと、大抵10人は脱落しますなあ」と最初に言っていたが、ガイドさんの足の速いことと言ったらなかった。

とても82歳とは思えない健脚。さすが毎日、金毘羅さんの階段を登り降りをしていらっしゃるだけのことはあると思った。

もうガイドさんの後に付いて行くのが精一杯で、ゆっくり参道のお店を見るどころか、せっかく御本宮でのお参りも汗びっしょりになって、肩で息をしながらの、ちょっと神さまに失礼ではなかったかと思われるような参拝になってしまい後悔が残った。

というわけで、今回はゆっくりと周りを見ながら登って行こうと思っていた。

昨年もコロナの渦中だったが、今回は昨年とは違い、参拝客がとても少なかった。

昨年来た時の10分の1くらいの少なさで、参道に並ぶお店も閉まっている所が多かったが、お陰で静かにゆっくりとお参りをしてくることができた。

そして最終日は神戸。

神戸は三宮にホテルを取ったので、賑やかな街を見て歩くことができた。

それにしても街を行く女性のおしゃれなこと!

若い子はもちろんだけど、お年を召した方もおしゃれな人が多くて、とても参考になった。

こうして神戸市内を街歩きをして、その後、有馬温泉で日帰り入浴をして、さらに神戸市内に戻ってまた街歩きをした。

唯一、観光したのが生田神社。

女性的でとても美しい神社だった。

ところでここで参拝していたら、同じく参拝をされていた年配の男性から声をかけられた。

「どこから(来たの)?」と聞かれたので「札幌です」と答えたら、「ほお〜そんな遠い所から。北海道なつかしいわ〜。昔よく出張で行きましたわ」とおっしゃった。

今回は被ってこなかったが、その方が被っていた帽子が夫の持っている帽子と同じで、夫もそれで親近感が湧いたのか(そんな訳はないか、、、)その方と夫で話が盛り上がっていた。

街の歴史など知らなかったことを教えて頂き、思わぬところで良い出会いがあるのも旅の醍醐味だと思う。

そんな訳で、初めて万歩計が一日で二万歩を越えるという、私にとっては実にハードな一日になったが、やりたかったこと、見たかった所をすべてクリアできて、本当に満足な旅だった。

なんだか帰って来たばかりなのに、もう旅に出たくなっている。

 


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小豆島

2021-10-09 22:50:46 | 旅行

クレジットカードで貯まっていたマイルの有効期限が迫っていた為、旅行へ行ってきた。

行った先は四国と神戸。

四国は一年前にも行ったので二回目になる。

前回は初めて団体旅行に参加して四国を周ったのだけど、もっとゆっくり観たかったと思う旅だった。

団体旅行は自分で決めなくても名所に連れて行ってくれるので楽ちんだが、そのかわり時間に追われるように観光地を周る。

時間が決められているので、観光地に着いたら急いで写真を撮って、駆け足で観てと、とにかく忙しかった。

四国旅行の終わりに「いつかもう一度来よう、次は個人で来よう」と思ったのだが、思いがけず早くに願いが叶った。

昨年の旅では、四国をぐるりと駆け足で周ったのだが、今回は飛行機が到着する神戸と、時間の関係で香川県だけの観光にした。

香川では、どうしてももう一度行きたい所があった。

さて神戸空港に着き、すぐにフェリーに乗って向ったのは小豆島。

小豆島は長男のお嫁さんオススメの場所で、一度は行ってみたかったのだけど、ここは若い女性やカップルに人気があると知って、60代の夫婦が行くのは場違いなのではないかと思った。

でも若い女性である長女も一緒だったので、思い切って行くことに決めた。

でも行って本当に良かった。

海に沈む夕陽の美しかったこと、、、いつか命が尽きるときが来た時、この夕陽の風景を思い出すかもしれないと思うほどだった。

夕陽の写真ではないが、高台から見た景色もまた素晴らしかった。

そしてこちらも、、、

干潮時に海に道が現れて小島と繋がるというエンジェルロード。

なんでも大切な人と手を繋いで渡ると願いが叶うとかで、若いカップルが多かった場所。

だから私たち夫婦も、、、もちろん離れて歩きましたとも。(笑)

ところで小豆島の町を歩いている時、どこからか笛や太鼓のお囃子が聞こえてきた。

音の鳴る方へ行ってみると、商店の前で獅子舞をしていた。

休んでいた関係者の方がいらしたので、「今日はお祭りですか?」と聞いてみると、「伊勢大神楽です」と教えてくれた。

伊勢大神楽とは室町時代から続いている風習だそうで、かつては伊勢神宮のお札を配って歩き、厄祓いをしたのだとか。

ほかにも色々とご丁寧に教えていただき、とても良い旅の思い出になった。

そして小豆島の旅の思い出と言えば、もうひとつ。

若い女性が小豆島で必ずと言ってもいい程、行く場所がある。

それは映画「魔女の宅急便」の実写版でロケ地になった小豆島オリーブ公園。

ここで無料で貸してくれる箒にまたがって飛び上がって写真を撮ると、まるで本当に飛んでいるように映るそうで、たしかに飾ってある写真は、みんな箒で飛んでいるかのよう。

若い女性たちが、箒にまたがって飛んでいる写真がずらりと並んでいた。

早速、長女にもやってみるよう促し、夫がカメラをかまえたのだが、どうもうまくいかない。

長女の飛び方がいけないようだ。

「ちょっと箒、貸してごらん。こうやって両足一緒に飛び上がるんだよ」

長女から箒を借りてお手本を見せたら、夫が写真を撮ってくれた。

写真は大成功で、本当に箒で飛んでいるように見えた。

「それにしても(歳が)60で、箒にまたがって飛んでる人っていないんじゃないか」と夫が笑いをこらえながら言った。

たしかに映画では可愛らしい女の子だったっけ。

でも魔女というイメージでは、若い女の子より合っているのではないかと思うが、、、

同年代の女性も若い娘に負けず、どんどん箒にまたがって飛んでみてほしいと思う。

でも、きっと嫌だろうなあ。。。

                続きます

 

 

 


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小樽

2021-09-16 20:58:07 | 旅行

天気が良かったので小樽へ行ってきた。

小樽はコロナの影響をかなり受けている町。

コロナ以前は、海外を始めとして大勢の観光客が訪れていたが、今は通りを歩く人の数は少なく閉まっている店も多かった。

これまで海外からの観光客が多い小樽の中心部を歩くことはあまりなかったが、今回は久しぶりに歩いてみて、賑わいのあった頃とのあまりの落差に飲食店やお土産さん、観光業の方々が気の毒になった。

ところで小樽が観光の町として有名になったのは、昭和61年に小樽運河が整備されてからだそうだ。

たしかにそれまでの小樽運河は、どんよりと濁った水が溜まっていて、お世辞にも美しいとは言えない場所だった。

昭和50年代後半はまだ観光客も少なく、現在のようにたくさんの店が並んでいるような町ではなかったが、お寿司や海産物の美味しい店、それからレトロな喫茶店などがあって、友人同士でたまに遊びに行くのが楽しみな町だった。

でも小樽が観光都市となって海外から観光客がたくさん来るようになると、自然と足がむかなくなり、小樽は車で通り過ぎるだけになった。

小樽に海外から観光客がたくさん来てくれるのは、道民としては嬉しいことだが、昔のように気軽に遊びに行こうと思えなくなったのも事実で、経済的に見れば良いことなのだろうけど、個人的には落ち着かない場所になったという感じだった。

でも小樽は好きな町なので、今のこの閑散とした状態が良いとは決して思わないが、これをきっかけに何度でも来たいと思うような落ち着いた観光都市に進化して行くといいなぁと思う。

さて、小樽の中心部を抜けて祝津にも行った。

祝津といえば小樽水族館やニシン御殿だが、私にとって祝津といえば小学校の遠足を思い出す。

今から50年近く前、小学校の遠足で行ったのが祝津だった。

もしかしたら小樽水族館の見学が目的の遠足だったのかもしれないが、それは全く記憶になく、今でも記憶に鮮明に残っているのは、みんなでズボンを捲り上げて海へ入ったことで、これが本当に楽しかった。

海に入って何をしたのかというと、浅瀬に打ち上げられた昆布を拾った。

拾った昆布は、そのままお土産として家へ持ち帰ったのだったが、昆布出汁にして母が味噌汁を作ってくれたのが嬉しかった記憶がある。

みんなでシートを広げてお弁当を食べた場所は、今は大きな石が積み上げられ、そのまま海へ入っていくことができなくなっている。

すぐ横では、海岸に塀らしきものを作る工事がされていた。

時間の流れが、景色をゆっくりと変えていく。

50年前と変わらないのは、今も浅瀬に打ち上げられる昆布だった。

それを見て、拾いたいという気持ちが沸いてきたが、もう海に入っていく元気がない私も50年でずいぶん変わったと思う。

祝津パノラマ展望台から見た風景。丘の右手にある住宅がニシン御殿。手前の海に沿った建物が小樽水族館。50年後は、どんな風に変わっているのだろう、、、

 

 


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旭岳

2021-09-13 10:34:03 | 旅行

濃厚接触者の濃厚接触者ということで出勤停止の夫だったが、濃厚接触者の方が検査の結果陰性であることが判り、夫は出勤できる事になった。

もしも陽性だった場合、夫は濃厚接触者になり、今度は家族が濃厚接触者の濃厚接触者になる。なんかややこしいが、とりあえず一安心だった。

ところで夫が濃厚接触者(の濃厚接触者)になる前だが、大雪山の旭岳へ行ってきた。

行ったのは先々週で、旭岳は一部に紅葉が見られるくらいだったが、それから一週間も経たず紅葉が進み、今がちょうど紅葉の見ごろだとか。

大雪山の雄大な景色は美しく、帰ってきたばかりなのに今度は紅葉を見にまた旭岳に行きたいと思っている。

旭岳温泉からロープウェイに乗って、標高1600mの旭岳五合目まで行くと、散策路が整備されており、約一時間程かけて散策することができる。

この日の平地の気温は23°で半袖の薄着だったが、五合目の気温は10°と聞いて持っていたありったけの洋服を重ね着して登った。

山の気温が低いことを想定して、もっと厚手の上着を持ってくればよかったと反省、、、でも歩いているうちに身体が汗ばむくらいに温まってきた。

噴火した場所にできた池や高山植物の風景が本当に美しかった。

カムイミンタラ、神々の遊ぶ庭と言われる理由がわかる。

そして、美しい自然の景色を楽しんだあとに訪れたのは美瑛町と富良野。

美瑛町もまた美しい景色が見られることで有名で、なだらかな丘に作られた畑がまるで絵のように美しい。

こちらは、富良野の富田ファームの花畑。人の手で作られた景色もまた美しかった。

こうして美しい風景の中にいると、気になっていたことも心配していたことも全部忘れる。

まるで天国のようだな〜と思った。

ところで帰宅後、いつもの道を車で通ったら道路沿いにたくさんの花が植えられていた。

この景色は何度も見ていた筈なのに、この日は何故か見える景色が違った。

花壇に植えられた花も家並みも、目の前に続く道も、すべてがいつもよりずっと美しく見えた。

そして、こんな近くに天国があったんだとあらためて気づかされた。

最近、色々なことが心配でちょっと地獄寄りの心だったから余計に美しく見えたのかもしれない。

そして、地獄寄りだった心を清浄にしてくれたのが、大雪山だったと思う。

というわけで、旅行が自由にできるようになったら、ぜひ大雪山へ行って見てください。おすすめです。

 

 


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一期一会

2021-07-25 18:05:04 | 旅行

八雲へは内浦湾沿いに行ったのだが、帰りは日本海沿いを走ってきた。

いつも道南へ行った帰り道は、遠回りになるので日本海側を通ることは無いのだけど、今回は私が途中で運転を代わるという条件で、初めて日本海沿いを帰ってきた。

「お母さんの運転、怖いー!」という家族の声は無視して、後続車がまったく来ないことをいいことに、安全運転で海沿いを走って来たのだが、運転に集中するあまり、せっかくの美しい景色を見逃すという痛恨のミスをおかしてしまった、、、

でも、たまに車を停めて風景を楽しんできた。

八雲の日本海側は、奇岩が多く風光明媚な所が多い。

海沿いに並んだ家の裏山にあるのは、津波が起きた時の避難用階段。

東日本大震災の時に津波被害のあった函館に近いので、ここも多少の津波がきたのかもしれない。

いくつかの場所に同じような階段を見た。

ところで、途中で寄った道の駅で楽しい出会いがあった。

着いた道の駅の駐車場に、一台のキャンピングカーが停まっていた。

それを見た夫は、「おっ、キャンピングカーだ!いいなー欲しいなー。何処から来たんだ?倉敷かあ」と、子どものように興味津々。

せっかくなので、キャンピングカーがよく見えるように、キャンピングカーの隣に車を停めて降りたら、ちょうどキャンピングカーから一人の男性が降りてきた。

初老の上品な感じの方で、目が合ったので声をかけてみた。

「こんにちは。倉敷からいらっしゃったのですか?」

すると、その方は声をかけられるのを待ってましたという感じで、足を止めてくれた。

「そうです。今、家内と二人で北海道一周の旅をしているんです。もう一週間以上になります」とおっしゃった。

そこへキャンピングカーに興味津々の夫が加わり、さらに男性の奥様もいらして、しばらくお話しをすることができた。

「いいキャンピングカーですね」という夫に、「実は定年退職しまして、ずっとやりたかったキャンピングカーの旅をしようと、新車を買ったのですが、車がくるのに一年も待ちました」と男性が教えてくれた。

今、キャンピングカーは人気だそうで、買ってから納車までずいぶん待たされるのだとか。

「いや〜楽しいですよ。キャンピングカーの旅は。昨日は、鮎の塩焼きを食べました。うまかったです。川で魚釣りをしている人が、持っていきなさいって鮎をくれたんです。そういう出会いも楽しいですね」

一年待って、やっと旅に出たご主人は、とても楽しそうだった。

「もう歳なので無理はせず、午後3時には宿泊する道の駅やキャンプ場に入って休むことにしているんです」とご主人。

「でも疲れてくると、宿に泊まっちゃうの。やっぱり車の中よりゆっくり休めるから」と、横から奥さまがおっしゃった。

無理をせず、自分たちのペースで旅を楽しんでいる素敵なご夫婦だった。

たぶん、もう二度とこのご夫婦に会うことは無いだろう。

楽しいひとときを共にできたことに、なんとなく一期一会という言葉が浮かんだ。

ところで、ご夫婦から「どちらへ行って来られたのですか?」と聞かれたので、八雲へ行ってきたことを話した。

そして、八雲が木彫りの熊の発祥の地だということを教えたら、奥さまがすかさずおっしゃった。

「一家に一つはある、木彫りの熊」

びっくりだった。これで3回目かな、同じ言葉を思い出したり聞いたりしたのは、、、

それにしても倉敷でも一家に一つはある(あった)ほど、木彫りの熊って日本中に浸透していたのかと、そっちの方が驚いた。

 


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八雲

2021-07-22 14:44:40 | 旅行

道南の渡島半島北部にある八雲町へ行ってきた。

八雲町は、昔一度キャンプに行ったことがあるが、今回はキャンプではなく温泉が目的。

八雲町は渡島半島を横断するように町が広がっており、そのため半島の西側と東側に日本海と内浦湾の2つの海が面している。

さらに内陸には1000mを越える山並みがあって、海と山の両方が楽しめる町になっている。

ちなみに泊まった温泉は、内陸の山の宿。

八雲温泉「おぼこ荘」

こちらの宿の露天風呂からは、目の前に迫るような森林と川を見ることができる。

どこかで見たような景色だなーと思ったら、トムラウシの露天風呂から見た景色とよく似ていた。どちらも露天風呂から森と川が見える。

トムラウシは山奥の秘湯という感じだったが、八雲温泉は日帰り入浴もできるくらいなので秘湯ではないが、それでも夜になると辺りは漆黒の闇に包まれて秘湯っぽさが漂う。

ところで温泉は期待通りの心地良さだったが、なんと言っても夕食の料理が美味しかった。

さすが海と山がある八雲町だけのことはあって、地元でとれた新鮮な海の幸と山の幸(山菜)を使った料理は、他の泊り客からも「美味しい〜」と言う声が聞こえてくるほど美味しかった。

ところで、地元の食材を使った料理が並んだ中に、宿の方が「名古屋コーチンときしめんのお鍋です」と紹介してくれたものがあった。

なぜここに名古屋のものが?と不思議に思ったが、昼間に行った郷土資料館と八雲神社を思い出して納得した。

八雲は、明治11年に旧尾張藩士族の集団移住によって開拓が始まった地域だそうだ。

尾張藩徳川家第17代当主の徳川慶勝は、明治維新によって失職し、生活に困窮する旧家臣たちを憂い、北海道開拓による士族の授産および国益に供する事業を目指して集団移住をしたのだそうだ。

そのため、八雲神社が熱田神宮の御分霊を、唯一正式に許可された神社であることからもわかるように、愛知県名古屋への想いは深く、もしかしたら今でもそうなのかもしれない。

ちなみに「八雲」という地名は、豊かで平和な理想郷建設を願い、日本最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」を引用して、徳川慶勝が名づけたことに由来しているそうだ。

尾張藩士による集団移住の開拓事業は、徳川家が150万坪の土地を無代価で払い下げを受けるかわりに、開拓使から移住者への扶助は無く、開拓にかかる費用は、徳川家が負担するという、官費に頼らない、民間資本による北海道開拓の先例となった。

この時に作られたのが、徳川農場で、現在も八雲産業株式会社として事業が引き継がれている。

ところで郷土資料館の中に「木彫り熊資料館」と名がつけられた展示室があった。

入って見てみると、木彫りの熊がたくさん展示されていた。

そこで初めて知ったのだが、なんと八雲が木彫り熊の発祥の地なのだとか。

てっきりアイヌ民族が彫ったのが始まりなのかと思っていたが、アイヌの方々は、八雲の影響を受けて彫り始めたのだそうだ。

今はあまり人気がなさそう?だが、北海道の観光みやげといえば木彫りの熊と言われるほどになった木彫り熊の始まりは、八雲町の旧徳川農場主、徳川義親が大正10年に欧州を旅行した際、スイスで買った民芸品の木彫りの熊がきっかけになったそうだ。

当時もなお貧しかった八雲の農民に、徳川義親が、スイスの木彫り熊を見せて、木彫りの熊の制作を奨励したことから始まる。

その後、木彫り熊の人気は徐々に高まり、昭和30~40年代には、北海道の観光ブームが起こり、木彫りの熊が爆発的に売れたそうだ。

そういえば、子供の頃、ウチにも鮭をくわえた木彫りの熊があったこと思い出し、「一家にひとつはある、木彫りの熊」という言葉が浮かんだところで、非常に不思議な感覚に襲われた。

この言葉、つい最近も同じことを言った・・・

そう思った途端、まるで時間をさかのぼるかのように思い出していた。

昨夜(旅行に出発する前夜)夢を見た。

夢の中で、見知らぬ人から木彫りの熊についての話を聞いていた。

それはずいぶん長く聞いていたように思う。

そして、最後に私が「なるほど。。。だから一家にひとつはある、木彫りの熊」と言ったのだった。

旅に出るまで、八雲の郷土資料館や木彫り熊の資料館のことを知っていた訳ではなく、もちろん行こうとは微塵も思っていなかった。

昼食で入った八雲の食堂で「宿のチェックインに少し時間があるし、どこか見る所はないか」と、スマホで調べていて、資料館があることを知った。

この時は、まだ木彫り熊の夢は思い出していなかったのだが、木彫り熊の数々を見て行くうちに突然思い出した。

なんとも不思議な感覚だった。

それにしても、木彫りの熊のことをずっと教えてくれていた人は、誰だったのだろう?

今でも時々、考えている。

熱田神宮の御分霊がある八雲神社。


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トムラウシ

2021-06-27 19:14:27 | 旅行

トムラウシへ行ってきた。

トムラウシは少し前に行った十勝岳と同じ大雪山系の山だが、ガイドブックによると、トムラウシ山は、登山の難易度5段階のうち最も難度の高いグレート5の「大雪山の極めて厳しい自然に挑む登山ルート」とあって、本格的な登山などしたことがない私はもちろん下から眺めるだけ。

一応、トムラウシ山の登山口までは行ってみたが、十勝岳の登山道入り口とは違って、うっそうとした草木の中に細い登山道が続いていた。

トムラウシ山と言えば、2009年7月の遭難事故が思い出される。

8名もの方がお亡くなりになったが、悪天候の中、ツアーを決行したガイドさんの判断の誤まりが原因とされた。

変わりやすい山の天気に的確な判断など、山へ登るにはそれなりの知識や経験が必要なのだろう。

そんなことを思っていたせいか、トムラウシ山は、なんとなく素人(私)が気楽な気持ちで登ってはいけないような気がした。

それにしても下から眺めたトムラウシ山は、そこだけがまるで別世界のように美しく見えた。

実際にトムラウシ山は、昔からカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)とあがめられてきた山だそうで、特に山頂付近は、人の手が入っていない湖沼や花畑があり、壮大な大自然が息をのむほど美しいのだとか。

一度は見てみたいものだと思いつつ、今回は温泉を堪能してきた。

登山口のすぐそばに立つトムラウシ温泉東大雪荘

山奥にあるため「秘湯」と呼ばれているが、すぐそばまで迫る森林を見ながらの露天風呂は最高だった。

ところでトムラウシは新得町の中にある地名だが、大きなダムによって新得町から隔離されている。

トムラウシに行くには、大きなダム川を渡る。

渡り切ってしばらく行くと、トムラウシの集落が見えてくる。

集落と言ってもぽつんぽつんと家があるくらいで、あとは大自然なのだが、そんな大自然の中に可愛らしい学校があった。

豊村牛小中学校。(トムラウシをあて字で漢字にするとこうなるらしい)

この学校は山村留学生を受け入れており、映画にもなった「羊と鋼の森」は、作者の宮下奈都さんが、お子さんの山村留学でトムラウシに滞在していた時に書かれたそうだ。

主人公の外村(とむら)は、もしやトムラウシのトムラかな?

ところで宿へ向かう途中にたくさんの鹿がいた。

周囲を金網で囲われた中にたくさんの鹿がいる。

飼っているのかと思ったが、鹿は我が家の周辺でもいるくらいなので、わざわざ繁殖させることもないだろう。

そこで宿の方に聞いてみた。

すると「あれは鹿をキャッチしているんです」と教えてくれた。

金網の柵は罠で、入ってきた鹿を食肉用にするそうだ。

私も鹿肉を食べた事があるが、こうして鹿を見ると、なんだか可哀想だなあ、、、と思う。

というわけで、鹿は食べなかったが、新鮮な山の空気を胸いっぱい吸い込んで、山のエネルギーを頂いて元気になって帰って来た。

 

 

 


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富良野

2021-06-14 17:08:46 | 旅行

富良野へドライブに行ってきた。

富良野と言えば、ドラマ「北の国から」で有名になったが、スキーやラフティングなどの遊びができることでも人気がある。

またこれからの季節は、ラベンダー畑が人気で、周囲の空気まで紫色に見えてしまうほど、見渡す限り一面、紫色のラベンダーの畑は本当に見応えがある。

しかし今はまだラベンダーの季節には早すぎで、ラベンダー以外の花もまだほとんど咲いておらず、富良野は人も車も少なくてひっそりとしていた。

富良野に着いてまず向かったのは、お菓子屋さんの「六花亭」

富良野に行くと必ずと言っていいほど、ここへ寄る。

六花亭の建物の周囲はぶどう畑が広がっている、のどかな風景。

上の写真は、店内から見た風景。奥に見える山は、十勝岳連峰。

北海道民は、六花亭が好きな人が多いと思う(多分、、、)

そういう私も六花亭が大好き。

まずお菓子が美味しいというのが一番だが、六花亭ののどかで何処か懐かしい雰囲気が好き。

家の近くにも六花亭があって、よく普段のおやつにお菓子を買うのだけど、たまの休日には家族で六花亭へ行って、お茶とお菓子を頂いてくる。

これだけ食べても道内を旅して六花亭があると必ず入るし、手土産や御礼の品などにも六花亭のお菓子を使うことが多い。

ここまで書いて、自分でもどれだけ六花亭が好きなのかと思うが、六花亭のお菓子なら間違いなく、贈っても喜んでくれるのではないかと思うからで、実際に私も六花亭のお菓子を貰うとすごく嬉しい。

北海道にはたくさんの美味しいお菓子の会社があるが、(私の中では)六花亭は別格になっている。

ところで六花亭を出た後に向かったのは、遠くに見えていた山、十勝岳連峰にある十勝岳温泉。

日帰りで温泉に入りに行った。

露天風呂から見える雄大な山の景色に圧倒された。

温泉に浸かって山を眺めていると、元気をもらえる気がしてくる。

海と山どちらも良いが、どちらかを選びなさいと言われたら(言われないと思うけど)間違いなく山を選ぶだろう。

山は、いくら見ていても見飽きない。ずっとずっと見ていられる。

ところで温泉宿の横に登山口があって、これから登山をされる人と少しお話しをすることができた。

その方が大きなおにぎりを食べながら、十勝岳の美しさ、特に秋が素晴らしいと教えてくださった。

そして一時間程度で登れる初心者向けの道もあるから、今度登ってみるといいと言われた。

雪がまだ残る登山道。

登りたいなあと思いつつ、おにぎりを食べ終えて登って行く方を、家族で手を振ってお見送りをした。

 


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ニセコ・倶知安

2021-06-02 16:25:55 | 旅行

いまだ緊急事態宣言が続いているが、お天気が良かったので家族の運転でドライブをしてきた。

行った先は、俱知安(くっちゃん)町とニセコ町。

特に行きたかった場所が倶知安町の「芝桜の庭」で、元農家をされていた三島さんが、丹精込めて育てられた自宅の芝桜をご好意で無料開放されている。

今は芝桜が満開の時期で、我が家の庭にも芝桜が咲いているのだが、こちらのお宅の芝桜は、とにかくスケールが違う。

広々とした土地一面に芝桜が、まるで絨毯を敷きつめたように美しい。

そしてこちらも・・・雪を残した羊蹄山とのコントラストが素晴らしかった。

芝桜の間には道がつけられていて自由に散歩することができる。

訪れたのは平日だったが、密になるほどではないものの、それなりに人出があり、これが土日になるともっと混むことが予想されるので、混雑状況を確認して行くのが良いかもしれない。

混雑状況などは、倶知安町観光案内のホームページから確認できる。

美しい芝桜を見た後は、倶知安の駅近くにある「食工房 旬菜」さんでランチをした。

このお店も一度は行って見たいと思っていたが、今回やっと行くことができた。

お料理が三島さんちの芝桜と同じくらい美しく、自家栽培の野菜や食用花がふんだんに使われている。

こちらのお店で使われている食材は、野菜はもちろん肉やシーフードも道産食材だそうだが、とくに目を引いたのがエゾシカ肉のステーキで、これは北海道ならではの料理かもしれない。

というわけで、私もエゾシカを・・・と思ったが、実は子供の頃に父の友人が獲ってきたエゾシカ肉を何度も食べたことがあって、豚肉のほうがおいしいなという記憶があった。

こどものくせになんと贅沢なことを言っていたのかと、今なら思う。

ただ父の友人が届けてくれた鹿肉を、母が塩をふって焼いただけだったので、きっと旬菜さんでエゾシカを食べたら絶対においしいと思う。

しかしどうも子どもの頃の記憶が邪魔をして、結局エゾシカではなくハンバーグにした。

デミグラスソースで煮込んだハンバーグが見えないくらい、野菜たちが周囲を取り囲んでいる。(写真でみるよりずっと美しいのだが・・・)

たっぷりのサラダと本格的なオニオンスープ。そしてドリンクもセットになって、なんと税込み1100円という安さに驚く。コーラが瓶で出てきたのにも驚いた・・・

どれもみんな美味しくて、付け合わせのフキのきんぴらも美味しくて、また絶対に来ようと思ってお店をあとにした。

そして次に行ったのは、ニセコ町にある五色温泉。

この温泉は建物が古くてひなびた感じが好き。子供の頃、毎年夏に遊びに行った母方の祖父母がやっていた旅館に似ていて懐かしい。

建物周辺はまだ残雪があり、硫黄の香りがかすかにしている。

五色温泉の由来は、泉質が5種類あるとか湯の色が日によって五色に見えるためなどといわれているそうだが、この日は白っぽいお湯に見えた。

そういえば先日、家族の意向もあって温泉は(コロナで)入り納めという記事を書いた。

それなのになぜ五色温泉に行ったのかというと、家族の気持ちが変わってきたことが大きい。

札幌市内のお風呂は混んでいるが、札幌から離れると空いていることが多く、特に平日ならば市外はどこも空いているのでいいんじゃないか・・と考えが変わって来た。(この日の五色温泉は、私たちだけの貸し切り風呂状態だった)

ワクチンも含めて家族の考えが柔軟になってきたと思う。

ただ今は厳密にいうなら、宣言が出されているのだから、不要不急の外出はするなということなのだが、こういった良い温泉や飲食店を応援する意味でも密を避けて利用したいと思っている。

 

 


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積丹

2021-04-22 16:25:37 | 旅行

前回、余市へ行ったことを書いたが、その日はさらに積丹町まで足を伸ばして日帰り温泉に入って来た。

「岬の湯しゃこたん」

ここは露天風呂からのロケーションがとてもいい。

お湯に浸かりながら眼下に広がる雄大な日本海と、積丹岬、神威岬を見ることができる。

ここに来たのは3度目で、まだ一度も見たことは無いが、たぶん夕日が沈む時に入ったら最高の眺めじゃないかと思う。

ところが、残念なことに2022年1月で閉鎖することが決まっている。

2002年の開業当初から経営赤字が続き、施設の老朽化と入館者の減少で収支の改善が見込めず、町による施設の維持が困難となり、2019年(令和元年)3月から民間譲渡を図っていた。
ところが施設の買い手が見つからず、老朽化した施設の改修には約1億円以上の経費が必要となることから、施設の運営を断念し閉鎖する方針を固めた、、、とのこと。

20年近く経っているとは言え、まだまだきれいだし、何より良い温泉施設がまた一つ消えると思うとさみしい。

とは言え、開業当初から赤字だったとは知らなかった。

写真で少し伝わるかもしれないが、行った日も広い駐車場に停まっている車は数台のみだった。

入館者が増えなかったのは、(シロウトの考えですが)人口が多い札幌から離れているのが原因のひとつではないだろうかと思う。

この温泉がロケーションも含めて札幌近郊にあれば、けっこう人は入っていたのではないかと思う。

積丹は札幌から高速道路を使わずに車で行くと、片道2時間半くらいかかる。

往復で5時間もかかるとなると、そうそう頻繁には行けない。ましてや冬に行くのは難しい。

周囲に小さな集落はあるが、そこだけでは黒字になるほどの集客は見込めないだろうし、、、

良い温泉が、無くなるのはとても残念だけど、来年1月の閉館まで時間があるので、また行こうと思っている。

ところで、ここへ来るまでの道すがら、外の景色を見ていたら、ずいぶん空き家が多いことに気づいた。

跡を継ぐ人が居なくて離農したのか、雑草が生い茂って荒れ果てた牛舎や畑が、やはり朽ち果てた家と共に残っていた。

かつては、ここに汗を流して働く人たちがいて、多くの生活があったのだと思ったら、なんだか切なくなった。

そして今、人が居なくなって手入れがされないままの家や畑を、たくましく成長する雑草が飲み込もうとしているのを見ると、また開拓前の原始林だった頃に戻って行くのだなと思った。

果たしてそれが良いことなのか、良くないことなのか、、、

人間側から見れば、人が居なくなることはさびしいことだけど、自然にとっては良いことなのかもしれない。

というわけで、「岬の湯しゃこたん」に入浴できるのもあとわずかです。

ぜひ露天風呂からの絶景を眺めにいらして下さい。

 


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余市へ

2021-04-19 14:28:00 | 旅行

余市町へ行って来た。

お目当てはこれ↓

溢れんばかりに海鮮がのったちらし寿司。「まんぷくちらし」と言い、お値段は税抜き880円。

具材だけではなく、ご飯の量も多めなので、女性はご飯少なめでと頼む人もいる(私も)、ボリューム満点の一品。

隣の汁物は、煮物かと思うような厚切りの大根やニンジン、鮭のあらが入ったあら汁で、お値段は税抜きで100円。

安くて美味しいので、お店はいつも混んでいる。

余市は小樽に隣接する小さな町で、今は観光客もほとんど見かけず、町中を歩く人の姿もまばらなのだが、平日の午前11時過ぎにはすでに満席で、入りきれない人の行列までできているという混みようだった。

一体、どこにこんなに人がいたんだと思う。

ファミリーすしガーデンハウスさんは、まんぷくちらしをはじめとしたランチのお寿司が人気だそうだが、メニューは他にもたくさんあって、小樽特産のシャコや八角なども食べられるようだ。(次回は食べてみよう)

ところで余市といえば、海産物のほかに果物の栽培も有名で、特にりんごは特産品になっている。

しかし余市町がりんごで有名になったのは、「りんご侍」と呼ばれた人たちの働きがあったというのは、あまり知られていないかもしれない。

「りんご侍」とは戊辰戦争で敗れて、逆賊の烙印を押されて北海道に渡ってきた会津藩の藩士と家族らのことを言う。

1869年、明治2年に第一陣として北海道に渡った約200戸の藩士とその家族は、2年後に余市に入植した。

「天皇の御恩に報い規則に従って、仕事に励み、怠ればきつく戒めていただきたい」

当時、開拓使に提出した血判書には、そのような言葉が書かれ、侍としての誇りが読み取れる。

余市でりんごの栽培を始めたのは、200戸のうち、わずか10戸の会津藩士だったが、すぐにりんごが実ることは無く、初めてりんごが実ったのは、入植して8年が過ぎた時だったそうだ。

りんごが実ったのは、畑の片隅に植えた苗のうち2本で、このりんごは「緋の衣」と名前がつけられた。

ちなみに「緋の衣」という名前の由来は、会津藩主、松平容保が孝明天皇からもらった「緋の御衣」にちなんだという説と、会津藩降伏の調印式で、真っ赤な緋色の敷物の上で敵軍にひれ伏した無念を忘れないためという説があるそうだ。

「緋の衣」は当時としては実が甘くて、第二次世界大戦前までは全国に特産品種として知られ、ロシアに輸出するなどしていたそうだが、現在、余市では100年を越える原木が一本残っているだけで、「緋の衣」を入手するのは困難になっている。

ところでりんごの栽培に力を注いだのは会津藩士だけではない。

「緋の衣」が初めて実ることになる年の春(1879年)に、秋田亀田藩の旧藩士らが余市に入植してりんごの栽培を始めている。

秋田の一団は農民が多く、最初から鎌や鍬を持って入植したため、開墾に勢いがあり、農業技術もあったそうだ。

会津からは、りんご栽培の指導者が多く出て、秋田には農業技術あった・・・ということで会津と秋田の関係を分かりやすく言うと、りんごは会津が実らせ、秋田が広めたと言われている。

その後、徳島県など他県からも入植者が入り、りんごの栽培規模はどんどん大きくなっていったのだそうだ。

現在は、りんごの他にもさくらんぼやぶどうなど様々な果物が栽培されていて、道内では「フルーツのまち」として、果物狩りなどで賑わっている。

というわけで、コロナが衰えたらぜひ余市へ、北海道へお越しください。おいしいものがたくさんありますので。ぜひぜひ、、、

 


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四国旅行

2020-11-17 16:09:04 | 旅行

「えーこんな時期に行くの?やめたら?」と散々次女に言われた旅行。

ニュースを見れば(特に札幌は)日に日にコロナ感染者数が増えているという。

北海道をゴーツートラベルから外すとか外さないとかのニュースの結果が気になった。それならいっそのこと外してほしい。そうすればきっぱり止められるのに、、、なんてことを思っていた。

実は一ケ月ほど前に国内旅行の団体ツアーを申し込んでいた。

団体で行く国内旅行というのは初めての体験だったが、ゴーツートラベルでずいぶん安く行けることがわかり夫が申し込んでくれた。

行先は四国。4泊5日で四国をぐるっと巡るというものだった。

団体ツアーなので添乗員さんが付き、観光場所もホテルもすべて決められ、予め決められたスケジュール通りに観光地を貸し切りバスでまわる。

次女が心配したのは、「感染者が少ない四国へ行って感染を広げたらどうするの?北海道から来たと言ったらぜったい歓迎されないんじゃない?それから何日も一緒に団体で同じバスで移動したら、感染リスクが高まるのではないか」ということだった。

旅行会社に確認してみると、今回北海道から行く客は総勢70名だった。

2台のバスに45名と25名で分かれて乗車して、松山空港からそれぞれ逆回りで回るのだと言う。コロナの増加でキャンセルした人はまだおらず感染対策には気を付けています・・・とのことだった。

なぜ45名と25名なのか、なぜ35名ずつにしなかったのかわからないが、私たちは25名の方のバスだった。

さて出発だが、新千歳空港から松山までは直行便が出ているはずだが、今回は減便の影響で乗り継ぎをして行った。

四国、遠っ!と思いながら、新千歳→羽田→伊丹→松山となんと三回も飛行機に乗った。

というわけで一日目はほとんど移動だけで終わり、宿に向かう前にテレビで観た道後温泉をささっと観光して終了した。

翌日からはいよいよ本格的に観光だったが、なんせ4日間で四国をぐるっと周るというのでかなり忙しかった。

朝は暗いうちに起きて、朝食を流し込むように食べてからバスに乗り込む。

そして午前8時前にはホテルを出発して、目指す観光地へバスを飛ばす。

いやいや、バスの運転手さんはホントによく飛ばしてくれました。こんなに早いスピードのバスに乗ったのは初めてかもしれないというくらい、旅のスケジュールに合わせてすばやく移動して下さった。

またずっとガイドをして下さった愛媛のバスガイドさんの喋りは絶品で、さらさらと流れる清流のように、ほどよく笑いを取りながら、かゆい所に手が届くような案内をしてくださった。

優しい方言の混じる語りを聞いていたら気持ち良くなって、ついつい瞼が閉じてしまうことも何度かあった(朝が早いのでなおさら、、、)

旅の最後に添乗員さんに「バスガイドさんすごく上手でしたね」と言ったら、「本州のバスガイドさんは皆さん上手ですよ。北海道は当たり外れがあるんですよ」とのことだった。

道内で観光バスに乗ったことが無いので分からないが、日本中を何度も旅している添乗員さんがそうおっしゃるのなら、そうなのだろうと思う。道民としては、ちょっと残念だけど。

初めて訪れた四国は、まだコスモスが咲きチョウチョが飛んでいたりと、初冬をむかえている北海道から行くとまるで夢の世界のようだった。

松山城、今治城、高知城といった北海道では見られないお城を見て、四万十川で暖かな日差しを浴びながら川下りをしたり、祖谷のかずら橋を渡ったり、鳴門公園で渦の道を渡ったり、琴平・金刀比羅宮を参拝したりと、とりあえずは押さえるべき名所は行ったかな・・・という感じで忙しく観光して来た。

時間に追われるようにしか観光や参拝ができなかったのはとても心残りではあるが、これもパックツアーなので仕方がないのだろう。

また次女に「北海道から来たとわかったら嫌がられるんじゃない?」と脅されたが、実際はとてもよくして頂いた。

かつおのたたきや鯛めしの食べ方を親切丁寧に教えてくれたおばちゃんたち、観光バスに手を振ってくれた農作業中のおばあちゃん、琴平・金刀比羅宮を案内してくれた面白いおじいちゃん、たくさんのよい思い出ができた。

食べ物も美味しかった!愛媛のみかん、鯛めし、うどん、ワカメ、さつまいもにかつおのたたき、、、実はかつおは苦手だったのだけど、こんなに美味しいものだったのかと驚いた。臭みが全くなくて本当に美味しい。さっそく教えてもらったように家で作ってみようと思う。

でも本当はその土地でとれたものは、その土地で食べるのが一番美味しいのかもしれない。

そして最後に忘れてはいけないのが、5日間一緒だったツアーの方々。

「このツアーのお客さんはみんな良い方ばかりで、わたしもとてもやりやすかったです」と添乗員さんがおっしゃった通り、皆さん良い方ばかりでツアー最後の日は名残惜しかった。

というわけで四国を満喫してきたのだが、やっぱり残念だったのはもっとゆっくりしたかったという事。

今度は個人旅行で来ますと、四国を離れる飛行機の中で思って帰ってきた。

 


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