夫と二人で小椋佳さんのコンサートへ行ってきた。
夫が高校時代からのファンだそうで、昨年たまたま見かけた広告からコンサートがある事を知り、夫が喜ぶのではないかと思い、私がチケットを購入していた。
案の定、夫はとても喜んでコンサートを楽しみにしていたが、実は私の方はあまり小椋佳さんのことを知らなかった。
「シクラメンのかほり」や「愛燦々」などの歌を作った人というくらいの認識だった。
でもコンサートへ行くなんて久しぶりなので、私も楽しみにして行ったのだが、会場に着いて驚いた。
会場前に並んでいる人が多いこと!
こんなに多くの人が来るとは正直思っていなかった。
小椋佳さんの人気にはびっくりだった。
さらに驚いたのは、ファンの年代の高さで、一番多い年代は60代くらいの方々だろうか。
なかには両脇を支えられながらの80代位のお年寄りもいらっしゃる。
50代の私たち夫婦は、まだ若い方かもしれないなんて思っていた。
さて、しばらく並んでやっと場内に入ることができたのだが、場内はほぼ満席で、会場内は高齢者がほとんどにもかかわらず開演前の期待と興奮の熱気が感じられた。
さすがに「うちわ」や「ペンライト」を持っている人はいなかったが、私の近くの席に座っていた高齢の男性などは、こぶしを突き上げる練習をしていた。
「はて、小椋佳さんの歌でこぶしを突き上げるような曲はあっただろうか?」としばし考えたが、コンサートが終ってみても、やっぱりこぶしを突き上げるような曲はなかったような・・・
あれは、ただの肩こりの運動だったのだろうか?
それはさておき、コンサート自体は小椋さんのおしゃべりも歌も素晴らしかった。
小椋さんは、先日の大雪の時に転んで腕を骨折されたそうで、ギブスをしての痛々しいお姿だったが、今年70歳になったとは思えないほど若々しい歌声だった。
そして、小椋佳さんのコンサートを初めて聴いて思ったのは、日本語の美しさだった。
母国語として当たり前に使っていた日本語が、小椋さんの歌やお話を聴いてとても美しいと思った。
小椋佳さんという方が日本語を非常に大切に思って使っていらっしゃるので、余計にそう思ったのかもしれない。
「花かんざし」「闌(たけなわ)」「山河(さんが)」などなど、小椋さんの口から出てくる聴きなれた日本語に、その美しさをあらためて気づかされたような気がした。
こんなに美しい言葉を、私たちはもっと誇りに思っていいとさえ思った。
ところで、小椋佳さんは今年9月に東京で「生前葬コンサート」というのを最後に引退されるのだとか・・・
70歳になったらやめようと、ずっと思っていらしたそうだ。
ということは、北海道でのコンサートはこれが最後ということ。
なんとも残念な気がしたが、最後のコンサートに行くことができてよかったと思った。
この日は、大雪で飛行機が欠航になり「東京に帰れなくなりました」ということで、コンサートの時間を大幅に延長して沢山のおしゃべりや歌を聴かせて頂くことができた。
帰る事ができなくなったのはお気の毒だったが、会場のファンからは喜びの拍手が起こっていた。
コンサートの心地よい余韻に浸りながらの帰り道、「よし!9月に最後のコンサートを聴きに東京へ行くぞ」と夫は言っていたが、どうなりますか・・・
夫が高校時代からのファンだそうで、昨年たまたま見かけた広告からコンサートがある事を知り、夫が喜ぶのではないかと思い、私がチケットを購入していた。
案の定、夫はとても喜んでコンサートを楽しみにしていたが、実は私の方はあまり小椋佳さんのことを知らなかった。
「シクラメンのかほり」や「愛燦々」などの歌を作った人というくらいの認識だった。
でもコンサートへ行くなんて久しぶりなので、私も楽しみにして行ったのだが、会場に着いて驚いた。
会場前に並んでいる人が多いこと!
こんなに多くの人が来るとは正直思っていなかった。
小椋佳さんの人気にはびっくりだった。
さらに驚いたのは、ファンの年代の高さで、一番多い年代は60代くらいの方々だろうか。
なかには両脇を支えられながらの80代位のお年寄りもいらっしゃる。
50代の私たち夫婦は、まだ若い方かもしれないなんて思っていた。
さて、しばらく並んでやっと場内に入ることができたのだが、場内はほぼ満席で、会場内は高齢者がほとんどにもかかわらず開演前の期待と興奮の熱気が感じられた。
さすがに「うちわ」や「ペンライト」を持っている人はいなかったが、私の近くの席に座っていた高齢の男性などは、こぶしを突き上げる練習をしていた。
「はて、小椋佳さんの歌でこぶしを突き上げるような曲はあっただろうか?」としばし考えたが、コンサートが終ってみても、やっぱりこぶしを突き上げるような曲はなかったような・・・
あれは、ただの肩こりの運動だったのだろうか?
それはさておき、コンサート自体は小椋さんのおしゃべりも歌も素晴らしかった。
小椋さんは、先日の大雪の時に転んで腕を骨折されたそうで、ギブスをしての痛々しいお姿だったが、今年70歳になったとは思えないほど若々しい歌声だった。
そして、小椋佳さんのコンサートを初めて聴いて思ったのは、日本語の美しさだった。
母国語として当たり前に使っていた日本語が、小椋さんの歌やお話を聴いてとても美しいと思った。
小椋佳さんという方が日本語を非常に大切に思って使っていらっしゃるので、余計にそう思ったのかもしれない。
「花かんざし」「闌(たけなわ)」「山河(さんが)」などなど、小椋さんの口から出てくる聴きなれた日本語に、その美しさをあらためて気づかされたような気がした。
こんなに美しい言葉を、私たちはもっと誇りに思っていいとさえ思った。
ところで、小椋佳さんは今年9月に東京で「生前葬コンサート」というのを最後に引退されるのだとか・・・
70歳になったらやめようと、ずっと思っていらしたそうだ。
ということは、北海道でのコンサートはこれが最後ということ。
なんとも残念な気がしたが、最後のコンサートに行くことができてよかったと思った。
この日は、大雪で飛行機が欠航になり「東京に帰れなくなりました」ということで、コンサートの時間を大幅に延長して沢山のおしゃべりや歌を聴かせて頂くことができた。
帰る事ができなくなったのはお気の毒だったが、会場のファンからは喜びの拍手が起こっていた。
コンサートの心地よい余韻に浸りながらの帰り道、「よし!9月に最後のコンサートを聴きに東京へ行くぞ」と夫は言っていたが、どうなりますか・・・