久しぶりに学生時代の友人たちとラインのやり取りをした。
3年前までは年に一度集まって6〜7名でランチをしていたが、コロナの流行以来、集まることは無くなり代わりに年に数回のラインになった。
ラインは会ってお喋りするのとは違って、文章のやり取りだけでは細かな感情の起伏までは伝わらない。
ましてや大人数なのでどうしても形式的なやり取りになってしまうのは仕方がないことかもしれない。
ただそのようなやり取りであっても、古い友人とのお喋りは楽しい。
みんなが元気でやっていることがわかるだけで安心する。
今回も総勢9名という大人数でラインのお喋りをしたのだが、気のせいかみんなの元気が無くなってきたように思える。
、、、と言う私も同じかもしれない。
身体は元気なものの、ニュースやネットを見ては気持ちが暗くなる。
世界では戦争がいつまでたっても終わらず、多くの方が苦しんでいる。
札幌より寒い地域で停電なんて、どんなに寒いだろう。
また国内に目を向ければ、今年はびっくりするほど多くの方が亡くなっている。(なぜなのか、、、)
友人たちも元気そうに見せてはいるが、体調が悪いことを歳のせいにして自虐的に書いている人もいたり、言葉の端に暗さが見えたりと、明るかった三年前とは違ってきていると思う。
今の時代のなんとも言えない暗さや不安感を、みんな無意識に感じているのだろうか。
すべてのものは移り変わっていく。これを諸行無常というとおっしゃったのはお釈迦さま。
すべてのことや物は変化していて、固定したものやことは無いのだという。
だから今、苦しみや悲しみがあったとしても、それはいつか変わっていく。
お釈迦さまが生きていらした頃も、そしてこれからもどんどん時代は変わって行くのだ。
移り変わって行くのなら、今よりもっとよい世界にしたい。
人生が始まったばかりの孫に、そしてたくさんの若い人たちのためにも良い世界を作ってあげたいと思う、、、が、悲しいことに自分にはそんな力がない。
思い出したのが、「愚になれ。自分の愚かさをよく知った者が、まことの人間」とおっしゃった法然聖人の言葉。
浄土真宗でいう阿弥陀様のように他人の喜びを自分の喜びとし、他人の悲しみを自分の悲しみにするとはなかなかできない自分自身だが、それでもそんな自分を認めて、いつかそうなりたいと思いながら生きること。
もしかしたら、そんな小さなことが世界を変えるのかもしれないと思う。