半年ぶりに相馬神社へ行ってきた。
年々登るのがつらくなってきた急勾配の参道を、今年は長女が手を繋いで引っ張って登ってくれた。
あと20年くらいは、長女に引っ張ってもらいながらも自分で登れるかな。(欲を言えばあと30年)
大好きなこの場所に来るためにも足腰を鍛えておかねば。
参道を登りきって見えてきたのが、こちらの景色。
御神木の大きな栗の木と満開の桜、新緑に彩られた木々、そして境内の上に広がる青い空。
それらすべてが、小さいけれど威厳のある相馬神社と一体になり美しい空間を造り出している。
神さまというと、なんとなく個人を想像してしまうが、実はそうではなくて、このような調和のとれた場というのか、空間のことをいうのかもしれない。
前に相馬神社に来た時に、これまで感じていた厳しさだけではなくて「よく来た」と言われたような気がしたのは、この場所にやっと受け入れてもらえたからだったのかもしれない。
そして、こういった調和の取れた場とは逆に、決して足を踏み入れてはいけない場というのも、見える世界と見えない世界の両方に存在すると思う。
見えない世界で、行ってはいけない場に行ってしまったかもしれないことが、かつて二ヶ所ほどある。
そのうちのひとつは、もう何年も前のことで、一年に数回の割合で、必ず同じ場所に行く夢を見ていた時期があった。
それは地下へ続く階段がある場所から夢が始まる。
階段を降りると長い廊下があり、そこを進んでいくと左側にドアが見えてくる。
もう何度もそこへ行っているので、部屋の中がどうなっているかわかっているのだが、木製の重たい扉を開けて中へ入ると、そこは雑然とした薄暗い部屋になっている。
薄暗いのは、古いけど立派なカーテンが窓にかけられているからで、部屋の中には、ヨーロッパにあるような古い赤いビロード生地の一人用の椅子があって、周りに古い家具や絵画などが雑然と置かれている。
その時の気持ちは決して楽しいものではなくて「またここへ来てしまった」といつも思う。
そして目覚めると、必ず後味の悪さだけが残った。
ある時、またいつものようにその部屋へ行く夢を見ていたら、突然耳元で大きな声が聴こえた。
「もうここへ来てはいけない」
男の人の声だったが、不思議なことにそれ以来、ぱったりとその夢は見なくなった。
なぜ同じ部屋にいつも行くのか、もしかしたら前世と関係しているのかなど思ったが、それはいまだにわからず、分かったのは、行ってはいけない場所だったと言うことだけで、まさに神から遠く離れた場だったと思う。
そして一番問題だったのは、そこへ何度も行く自分の内面の問題だったと思う。
見える世界でも自分の心一つで、どこでも神さまを感じることができるのだと、最近やっとわかってきた。
雲海ならぬ桜の海のような美しい景色だった。