ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

家の話

2014-09-29 15:58:12 | 日記
「家がかわいそうだった。すっかり荒れ果てていたよ」

そう言いながら夫が帰宅した。

家とは私たちが以前住んでいた家のこと。

まだ子どもができる前に建ててから15年間住んでいたが、夫の両親と同居することになって、二世帯住宅に住み替えるために手放した。

その家が、また売りに出されていると聞いていたが、近所まで行ったついでに夫が見てきたらしい。

100坪を越える広さの土地だったが、土地の値段はとても安かった。

近くに店もなく、交通の便も悪いという不便な場所にあったので安かったのだと思う。

土地は安かったが、まだ若く経済力が無かった私たちは、そこに小さな家を建てるのが精一杯だった。

それでも当時あこがれていたアメリカンカントリー風の家にして、広い土地には芝生を敷き詰めた。

それから次々と子どもが産まれ、広い庭は子ども達の絶好の遊び場になった。

当時のビデオを見ると、その庭で笑い声をあげて遊ぶ子ども達の姿や、親戚や近所のママ友が集まって和気あいあいとバーベキューをしている様子が映し出されていて懐かしくなる。

その後、夫の両親との同居が決まり家を売ることになったとき、長男パインと次女のチェリーが「引っ越すのは嫌だ」と大声を上げてと泣いたほど、楽しかった思い出がたくさんつまった家だった。

それが今や無残に荒れ果てていたとか。

たしか買ってくれた方は若いご夫婦だったが、不便な場所だし、何と言っても冬の雪かきが大変だったから売ったのかもしれない。

公道まで出るためには、玄関前から続く長い通路を延々と除雪しなければならず、雪の多い日はかいても、かいても、道路に辿り着かないような気がしたものだった。

実際に荒れ果てた家を見てしまった夫は、もう自分の家ではないと分かっていてもすこしショックだったらしい。

「あれは夢の跡って感じだな」とか「自分が行って手入れをしてやりたいくらいだ」などとブツブツ言っていた。

ところでジョギングで、たまに周囲の家々を見ながら走っていると、思わずふらふらと入ってみたくなるような家がある。

小綺麗にしているのは必須条件だが、どことなく家全体からウエルカムの雰囲気を醸し出している。

またそれとは反対に夫の話ではないが、人が住んでいても「荒れ果てた」という印象を受ける家もある。

こういう荒れ果てた印象を受ける家は、しばらくすると風の噂で奥さんが家を出て行ったとか、時には何かあったのか警察が来て「立ち入り禁止」のテープが貼られたりして驚く。

これは建物が立派だとか、古いだとか、そんなことは全く関係が無い。

やはり中に住む人なのだろう。

以前読んだ本でとても印象に残っている言葉がある。

それは「戸が笑う」ということ。

「そこに住む人や働く人が、お互いに仲良く、和気あいあいとしていると、建物の入り口が、まるで笑っているかのように、光を放ち、人を呼び寄せる。戸が笑うとは、そのような福の現象を表している」

北川八郎さんの「繁栄の法則ー戸が笑う」より

手前味噌だが、前に住んでいた家を写したビデオには、庭で子ども達が笑顔で駆け回り、集まった親戚や近所のママ友たちが和気あいあいとおしゃべりをしている様子がある。

それは客観的に見ても、確かに「戸が笑っている」ように見える。

ところで、今はどうだろうかと思う。

以前のように、今も我が家の戸は笑っているだろうか。

子ども達は大きくなって、もう庭を駆け回って遊ばないし、引越しでママ友たちともすっかりご無沙汰になってしまった。

親戚は・・・たまに来てくれるかな(笑)

でも、これからもず~っと戸が笑ってくれるように、家族仲良く和気あいあいと暮らしていきたいと思う。

もちろん、掃除もせっせとしまっせ。







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