ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

2019-11-12 15:19:37 | 日記

ブログを書く前は、大抵これが書きたい、これを書こうと思って書き始めるのだが、たまに書こうと思っていたことを書けずに終わってしまうことがある。

それは書いているうちに話の流れが変わってしまったり、これ以上書くと長くなりすぎて、他人様はおろか自分でも何が言いたいのかわからなくなる場合など。それから、これは滅多にないことだけど、自分の心の深い部分が、それを書くことを許さないので書けないという場合もある。

どちらにせよ、私の文章を書く力が不足していることが大きいかと思う。

ところで前回の記事「家事」もそうだった。一番書きたかったことが書けずに終わってしまった。

これは、ずっと前から書こうかなと思っていたものの、自分の心の深い部分が書くことを許さなかったので書かなかったのだが、やっと「もういいよ」と許された気がしたので、いざ書こうとしたら、なんと文章力の無さからそこが書けなかった記事だった。

というわけで、今日はそこを書こうと思う。

一ケ月ほど前のことだが、いつものようにネットを見ていたら、ある写真に目がとまった。

それは外国の山の写真なのだが、見た瞬間「やっと見つけた」と思った。

その山は、数年前に脳内で鮮明に見た山とそっくりだった。

鮮明に見た山がとても面白い形であり、さらに山と一緒に見えた女性が気になって、時々ネットでその山を探していた。

女性は、もうこの世には存在していないだろう。でも、山ならば今もどこかにあるはず・・・と思っていたが、忘れていた頃に見つかるとは。

映像が脳内で見えるということは、ごくたまに起きる。

オーラの時もそうだが、見えるのは本当にリラックスしている時だけで、それは寝ている時に見ている夢とは違って、起きて意識がある状態の時に見る。

映像は災害の様子だったり宇宙だったり、そして全く自分が知らない、このような外国の山や部屋の中だったり、そしてこの時の女性が初めてだったが見知らぬ人物も見えることがある。

それらの意味についてはここでは書かないが(実際、私自身もわからないので)この奇妙な形の山と女性は、私の過去生に関係するものだと思っていた。

この時は、自分の家の無風状態の静かな部屋にいるにもかかわらず、頬を撫でる風を感じた。また、自分が身に着けているらしい羽飾りが、風に揺れてふわふわと首筋に当たる感触まではっきりとわかった。

映像は、鳥の目のように上空から山を見ながらゆっくりと旋回して地上に降りていった。地上には何もなく、乾いた赤土だけが風に舞うのが見える。

すると、突然目の前に女性が現れた。

真ん中から分けた長い黒髪を三つ編みにして、顔の色は浅黒く、彫りの深い顔立ちをした女性がまっすぐに私を見つめていた。

その表情からは何も読み取ることができなかったが、すくなくとも怒っているようではなかった。

実は、この時の私は男性のインディアンだった。女性は、私の妻とか母親だったのかもしれない。

今の生を受ける前の記憶は女性だったので、もっとずっと古い時代だと思う。

ところで私の記憶の中にあるいくつかの過去生の自分は、いつも一人で生きていて家庭とか家族を持たない暮らしだった。

それは自分の魂が望んだことであり、表明意識ではそんなことはないと思っていた人生もあったが、それでもやはり自分が望んだことだったと今はわかる。

で、ここで前回の記事の「家事」に戻る。

このように一人で生きた幾つもの生を経験してきた結果、今世は家族を大切にして家族のために働く人生を送りたいと思った。

だから今、それができることが本当にうれしいし楽しいと思える。

ところで、この記事で私が言いたかったことは、決して過去生のことではない。過去生なんてどうでもいい。

文章力がないので誤解されないように書きたいが、過去生なんて分からなくても、自分が望んでいる事、やりたいことを今、精一杯やることが大切だということが言いたかった。

やりたいことや望むことがわからなくてもいい。

過去や未来にとらわれることなく、ただ今を精一杯生きること。

私はそのように生きたいと、いつも思う。

過去でも未来でもなく、あるのは今、今、今。今だけ。

ニューメキシコ州「シップロック」


 


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