至福の時とはどんな時だろうか。
人によってそれぞれ違うだろうし、その時の年齢や背景によっても違う。
子どもたちがまだ幼かった時の至福の時は、子どもたちが寝静まったあと、ひとり静かにお茶を飲みながら読書をすることだった。
今と違って自分の時間が無いほど毎日が忙しかったので、ひとりで読書できるのは貴重な時間だった。
またそれとは真逆だが、三人の子どもたちとワチャワチャじゃれ合う時間もまた至福の時だった。
一人目を出産する前に続けて流産したので、三人も子どもが居て、じゃれ合うことができるなんて夢のようだ、幸せだーといつも思っていた。
では今の至福の時は?と考えると、真っ先に思い浮かぶのは、平凡だけど温泉に入っている時かな。
どこか遠くの温泉に行かなくてもいい。いつも行く近くの温泉に入っている時が至福の時だと、お湯に浸かる度いつも思う。
そして、最近新たに至福の時だと思ったことがある。
それは隣町の大型書店でコーヒーを飲みながら読書をする時。
江別市にある蔦屋書店は、スタバで飲み物を買って、本棚から持ってきた本を読むことができる。
もちろん気に入った本があれば買うが、立ち読み禁止が多い中、遠慮せずに色々な本を読み比べることができるのがいい。
本は読まず、スタバでコーヒーを飲みながらぼーっと窓の外の景色を見ていてもいいが、「書店に住みたい」と思うほど本が好きな私にとっては夢のような場所。
スタバ店内から見た景色です。昨日行ったらほぼ紅葉が終わっていた。
そこである本を読んでいたら、私が子どもの頃に見ていた「現実には見えていない景色」と同じものを見ていたという人のお話が載っていて、思わず身を乗り出して読み耽ってしまった。
それは海外の方で、多分私と同世代の方のお話。
その方が子どもの頃に、夢でなのか、いわゆる第三の目で見ていたのかわからないが、よく見ていた風景があるそうだ。
それは大きな窓から、もしかしたら宇宙船の中の窓だったかもしれないが、そこからよく宇宙を見ていたそうだ。
周りには大勢の人がいて、みんな同じ想いを持った仲間だと感じたそうだ。
そこにいた仲間たちはこれから地球に生まれて、地球に住む人々の意識を変えようと思っていたそうだ。
なんだか夢のあるいい話だなぁと思ったが、それのどこが自分と同じだったかというと、子どもの頃によく宇宙を見ていたという部分で、私の場合は夢ではなくて、夜布団に入って目を開けているとよく見えてきた。
真っ暗な宇宙に浮かぶたくさんの岩(たぶん星だと思うが)、遠くの方で光るたくさんの星。
いつもきれいだなと思いながら見ていると、そのうち自然に寝てしまっていたのだけど、たまに自分が乗り物(今思えば宇宙船)の中から、大きな窓を通して宇宙を見ていることもあった。
ただ本の方のように、周りに人がいたかは不明で、宇宙を見ながら「これから意識を変えに地球に生まれに行こう」なんてこともまったく考えておらず、ただただきれいだなと思って見ていた。
成長するにつれて宇宙は見えなくなったが、子どもの頃は多くの人が、そのような景色を見ているものだと思っていた。
その後、周りの友だちや夫にも聞いてみたが、誰一人見たことはないと言うので、この本を読んだ時には、同じ経験をした人がいるんだと、ものすごく嬉しくなった。
というわけで、美味しい飲み物を飲んで、普段は出会えない本を読むことができて、至福の時を過ごしてきた。
同じ体験をしている方がいるんだと分かっただけで、一日中嬉しい気持ちで過ごすことができて幸せだった。