ここ数日間、私はあることをずっと考えていた。
ご飯を食べながら。
仕事をしながら。
テレビを観ながら。
夕方散歩しながら。
お風呂に入りながら。
眠りに落ちながら。
猫ブログを読んでいる人ならほとんどがご存知だと思うが、くるねこ大和さんちのもんさんが4月8日をもって旅立たれた。
最近になってもんさん、ちょっと体調が崩れたかなと思っていたら、
くるねこ大和さんがブログを更新されない日があった。
たった一日ブログを更新しないだけで、「もんさんに何かあったのではないかと心配です」という
コメントの量がはんぱなかった。
それだけ彼女たち(くるねこ大和さん、及びもんさん)が超人気者ということだ。
私なんてブログを1週間、いや2週間でも更新しなかったとして、存在を忘れられるだけである。
私もそんな大量の「もんさんを気にかけるコメント」に煽られてか、
ちょっと胸騒ぎがしていた。
だから月曜日、家に帰ってきてから真っ先にPCを立ち上げて彼女のブログにアクセスしたのだったが
みんなの胸騒ぎは当たっていたのである。
読み進みながら涙していると、ミディが走ってやってきて
膝に飛び乗って手を舐めてくれた。びっくりした。
こういうことはしない彼女だったので、何かしら彼女にわかることがあるんだろうかと
彼女を抱きしめて、もんさんの旅立ちに涙した。
何をずっと考えていたのかというと。
数年前、『ジュルのしっぽ』のジュルちゃんが旅立ったときもそうだったように
飼い主さんはみんなみごとに愛猫を看取ることができた。
私はミディ、またはフリスキーを看取ることができるだろうか。
ジュルちゃんともんさんの飼い主さんに共通することは、「ずっと家にいる人」ということ。
朝も昼も夜も家にいるんだから、飼い猫を看取る確立は高い。
私はというと、最低でも8時間は家を開けている。
ハニバニもそうだ。
彼女たちに何かあったら、看取ってやるどころか
仕事から帰ってきて愛猫の亡骸を目の当たりにして泣き崩れる、というパターンだ。
おお、嫌だ嫌だ嫌だ。
そんなの、絶対に嫌である。
ってなことをずっとここ最近思っていたのですよ。
もんさんはとてもインパクトがある猫だったので、淋しいです。
しかし、知る人ぞ知る。
彼女、2008年に大病をして本当に危なかったときがありました。
そして帰還してきたのです。
それを考えると、実にたくましい生涯を生きてきたんだなと思います。
もんさんが旅立った日のブログの終わりにくるねこ大和さんが
『よく頑張ったね、もんさん』
と言っています。
もんさんの病気と直に向き合っていた彼女の心からの言葉でした。
生き物を飼うということは楽しいことばかりではなく、
相手が生身の生き物ということなので病気もするし、難しいことにも直面するし。
いや、本当に病気したときは大変。
だって薬も自分から飲んでくれないんだよ。
極端に言えば、何から何まで飼い主が面倒みなくてはならないんだよ。
それに何といっても、高い確率で飼い主よりも飼ってる動物の方が先に旅立つということ。
これは辛い、辛い現実。
こういうことをふまえて、動物は飼うべきだと思う。
動物を飼うには覚悟が必要だ。
改めて、『動物と一緒に生きていく』ことを軽々しく考えてはいけないんだと思ったよ。
大切な、家族の一員だからね。
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ミディが馬みたいなナンバー2をした日は(おぃ)
とても嬉しくて嬉しくて、ショッピングに出かけたい気分になるのです。
この気持ちわかってくれるかなあ。
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