みどりの野原

野原の便り

3月9日 飛鳥史跡めぐり

2007年03月09日 | Weblog
自治会の史跡めぐり同好会から、飛鳥を回った。
天気は快晴。歩きやすかった。10キロぐらい歩いた。

主な所では、軽寺~丸山古墳~菖蒲池古墳~石舞台~甘橿丘
~孝元天皇陵

            甘橿の丘から

見瀬丸山古墳
169号道路に一部をえぐられ、方形の部分は畑にされていたら
しく、明治の頃、ヘリコプターで上から見て初めて全体の形が
わかったらしい。

今は方形の部分は買い上げられて草地になって広々している。
そして、後円部だけが木の繁った古墳らしい形で残り、陵墓参
考地として宮内庁の管理となっている。

墳丘の全長318mで、全国でも6番目の大きさ、奈良県では1番
大きい前方後円墳だという。玄室に対し、仙道が非常に長いと
いう特色がある。

被葬者ははっきりしないが、欽明天皇とその奥さんの墓?とか、
曾我氏関連の墓?とか説があるらしい。
石棺は2つあり古い方が手前にある。葺き石や埴輪が全く出土し
ていないなど不思議なことがあり、未完成なのではという説ま
であるとか。

天井石は橿原神宮の手洗に使用されているそうだ。
      
        見瀬丸山古墳の後円部

石舞台古墳
子供の頃はこのあたりは遊び場であったが、有料になってからは
入ったことがなく、久しぶりに中に入った。

近くの細川谷周辺には200基ほどの古墳がある。その西の7基を壊
して石舞台を作ったという。

天井石は77トンの石を使用。こんな大きい工事が出来るのは、当
時の権力者、蘇我氏しかないと見られている。

石は談山神社の辺りから運ばれたものだそうだ。
こんな大きい石をどうやって積み重ねたのか。
土を積み上げながら石を置いていったなどと聞くが、重機もない
当時にすごいと思う。

発見された時にはすでに天井石が見えていたというのも不思議だ。
  
           石舞台古墳                      内部

発掘などによってだんだん歴史もわかってきているが、まだまだ
謎だらけ、不思議がいっぱいの飛鳥である。
コメント
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