真夏日の五月の金曜日。
早朝から高速インター至近のシネマ・コンプレックスで、映画『碁盤切り』を鑑賞。
モト・ジャニーズのタレント・草彅剛主演の時代劇。
ふと、同じ事務所で、同じグループメンバーだった木村拓哉の『武士の一分』を思い出したりして?
どちらも『武士』の在り方を問う作品で、武家に生まれることの宿命(武士だけではないけれど、あの時代より、幾分、自由・・・本当の自由とは程遠いような気もするけれど・・・になった現在の庶民にも、宿命的なことはあるにはあるけれど)を、全うするには、あまりにも人間は不自由過ぎるかも・・・???といつもと同じように、訳わからん感想。
清廉潔白が武士のポリシーでもあろうし、その清廉潔白さのみに生きようとすると、他の人間の自由意志を損なうことにもなりで・・・水清ければ魚棲まずのたとえもあるように、やはり清濁飲み込んでの人間なのでもあろうか・・・と。
落ちぶれたかつての武士である柳田格之進は、濡れ衣を着せられ、喰いつめ浪人に身を落とす。娘・お絹とともに、貧しくも清く正しい長屋暮らしをしていた。
そんな江戸市井で、大店の店主・萬屋源兵衛と賭け碁の勝負をすることになり、その品格のある囲碁にほれ込む源兵衛。
格之進と源兵衛は信頼関係を築きながら、平穏な日々を過ごしていたが、ある些細な事件から、格之進の過去の冤罪事件の真相を知り、仇敵・柴田兵庫に復讐を誓う。
静かな時代劇で、実直な主人公をそのまま表現しているような作品でもあった。
萬屋兵衛役の國村隼が、味を出していた。
敵役の斎藤工は、相変らずの『シン・ウルトラマン』で、こちらもナカナカ・・・ひとつのスタイルになったのかな???とか。
観客の年齢層は、やはり(かなり)高い。
そういう映画なのね・・・。