静かな大つごもりの夜。
暖かい歳の暮れ。
雷都に来て、1年と2か月。
心が休まる事もなく、憂い事ばかりだったのも事実。
すっと深呼吸。
さよなら今年さん。
ありがとう今年さん。
来年さんは、あと少しで、やってくる。
様々な今年さんへの思いを、来年さんに、バトンタッチ。
今年もお世話になりました。
来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
静かな大つごもりの夜。
暖かい歳の暮れ。
雷都に来て、1年と2か月。
心が休まる事もなく、憂い事ばかりだったのも事実。
すっと深呼吸。
さよなら今年さん。
ありがとう今年さん。
来年さんは、あと少しで、やってくる。
様々な今年さんへの思いを、来年さんに、バトンタッチ。
今年もお世話になりました。
来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
明け方の気温氷点下4度。
乾いた晴天が続く・・・。
4日前に、某・公共施設にて、血管性迷走神経反射を起こして、具合が悪くなる。
脈弱・徐脈なんで、電子血圧計は、反応しない。
暫く、休めば、復旧するのは、いつものことなので、このへんな反応は、もう半世紀近く、年間に一度か二度くらい症状がでるので、馴れてはいるものの、大抵は、家に居る深夜に起こるので、今度のように、日中の待合室という人ごみのなかというのは初めてで、血圧低下による顔面蒼白、夥しい冷や汗、動悸が激しいのに、脈が取れず、救急車を・・・ってハナシになったのだけれど、私は、失神にまでは至らないから、意識はちゃんとあるので、今回は、無罪放免された。
過去に、山手線の中で、発作に見舞われたときは、電車から降りて、なんとかホームの柱の陰に、座り込んで、転倒を避け、歩けるようになってから、ベンチで少し休んだりしたこともあった。
まあ、そんなこんなで、過ぎてしまえば、普通に歩けるし、食欲もあるし、車の運転もできる。
念のため、循環器内科で、診察を・・・ってことで、放免されたけれども、母の死因は、心不全だったので、私も、心臓に疾患があるのかも・・・。
なんだか、いろいろと来年に憂いを残す誕生日になってしまった。
それにつけても、インフルエンザ大流行とかで、医療機関には、出向きたくない。それに罹患して、命を落としては、本末転倒・・・。
この迷走神経反射は、不安などがトリガーになることもあるらしいので、もともと超心配性で、杞憂のひとだから、長年付き合うことになったのかもしれぬ・・・。不安なんて、潜在意識の領域だから、どうにも太刀打ちできず、きっとこの世からいなくなるまで、脅え続けるのやも知れぬ・・・。
風もなく、寒気も少し緩み、穏やかなクリスマス。
子供頃は、楽しかった(ような気がする)クリスマスだけれど、大人になってからは、普通の日になったような?
それでも、街中は、クリスマス商戦で、イヤでもクリスマス・ムードかな。
クリスマスイブもクリスマスも今年もケーキなどはなかった。母が居た時分には、毎年ではないけれど、母が、コンビニでケーキを買ってきたり、私が買ってきたりして、お昼のランチがわりとか、夕餉のあとに食べたりした。
昨日は、郊外の造り酒屋迄。
叔父に歳暮と思っていたのだけれど、ついつい日延べしてしまった。
以前、相方と訪れたことのある酒蔵で、『四季桜』という銘柄の日本酒を製造している。
一度行ったことのある店舗なのに、道を一本間違えてしまい、鬼怒川の西側の農道などをグルグルと巡り、ナビに従って走行しても、今度は、店舗近隣で、通りを間違えて、再び、グルグル・・・午前中は、正午迄の営業なので、ちょっと焦ったけれど、やはり一度来た事があったから、なんとなく・・・な方向で、たどり着いた。
先々週だったか・・・。友達とランチに選んだお店もこちらの方角なんだけれど、あのときも、結構、迷ってしまった。どうもスマホのナビとは相性が悪いらしく(方角も)?なかなかたどり着けないこの頃???(いつもか・・・)。
お店の前には、黒塗りの高級車が止まっており、後のトランクがあけてあって、そして先客がいた。
お正月の御年賀用だろうか・・・たくさん購入されていた。
商品を選び、叔父宛てに送り状など書き、発送手続きをして店舗を出たのは、もう正午少し前だった。
市内のCOOPで、食材を買い、家に戻り、生鮮食品の小分けなどしていたら、玉子を買ってくるのを忘れてしまった。
家の中を掃除してから、近隣のスーパーへ。
お正月用品がいろいろと並んでいて、このへんの老人向けのスーパーなので、食材も小分けして売っているのだけれど、かまぼこ、伊達巻などは、随分と値上がりしていておどろいた。
COOPでも、伊達巻や玉子焼きは、1000円以上だったし・・・。お正月は、年に一度だから、高値でも、お財布のヒモが緩くなって、買ってしまったりするのだろうな・・・。
そんなこんなしていたら、すぐに陽が暮れて、寒くなってきた。
昼間、いろいろと駈けずり回って、疲れたせいか、0時前に眠ってしまった。
朝方、二度寝のときに、夢をみた・・・。
凶夢・・・なんだろうな・・・と思われる夢だけれど、それほどの恐怖はなかった・・・逆に、その荒廃した風景が美しいくらいだったんだけれど・・・(はなはだ不謹慎なのだった)。
あまりよくなさそうなので、書かないでおこうか・・・。
何か変化があったら、ここに書くかもしれない。
昨日の強風は収まって、よく晴れて乾燥した寒い週明け。
♪さっちゃんはね、バナナが大好き本当だよ
だけどちっちゃいから、バナナを半分しか食べられないの
かわいそうね・・・さっちゃん。
お昼に、玄米フレークに豆乳をかけて、バナナ半分とミックスナッツを一緒に食した折に、ふとこの『サっちゃん』という童謡を思い出した。
私は、もう大人だから、1本丸々食べられるけれど、半分くらいがちょうどいい。
私が小学生だった昭和後期には、給食で、バナナを供されたとき、やはり、半分にカットされていた(ような気がする。1本丸々ではなかった記憶があるけれど・・・)。
小学校の給食のときは、5~6人くらいで、隣と前後の机を並べて、グループを作って食べていたけれど、日替わりで、担任教師が、このグループ内で、一緒に食事をするのがルールだったような気がする。
以前、このブログにも書いたけれど、小学校の給食は、地獄であった時期もあって、完食できない生徒は、5時間目、6時間目迄も、教壇に座らせて全部食べる迄、席に戻ることを許されなかったことがあった。
そのときの女性教師からは、2年間で解放されて、男性の担任となったけれど、この男性教師は、完食を強いなかった。
バナナの正式な食べ方と称して、バナナの皮を全部剥ぐのではなくて、皿にのせたバナナの上の部分の皮を剥ぎ、ナイフで果肉を切って、フォークで食べるということを教えてもらった(もっとも・・・この年齢になっても、そのバナナの正式な食し方?を披露するシチュエーションには恵まれず、役に立つことはなかったけれど)。
昭和後期には、バナナは高級品ではなくなり、普通にスーパーで売られるようになったけれど、獅子文六の随筆などでは、娘と銀座のパーラーで、バナナを注文して、出てきたバナナが、変色していて・・・なんて文章が出てくるのは、太平洋戦争直後の日本がまだ貧しかった時代の話だし、色の黒くなったバナナしかなかった当時は、南方から輸送するのにコストも時間も掛かったためだろう。
亡母は、この獅子文六の小説が好きで、特に、『悦ちゃん』が好きであった。
引っ越しの際に、私の姉に捨てられてしまった『悦ちゃん』を読みたいなあと晩年によく言っていたので、南米の密林(アマゾン)の中古本のサイトで、見付だし、注文してあげた。
よほど、懐かしかったのだろう。
生さぬ仲の娘(姉)に、捨てられた本への愛着、義理の娘になんの愛情を感じられなかった母は、いつまでも、恨みに近い感情があったに違いない。
その後、やはり南米の密林で、中古本の『胡椒息子』だの『大番』だの・・・買い求めては読んでいた。
老眼でも、亡くなる直前迄、新聞を読み、本を読み、裁縫をして、クロスワードやナンクロを日課のように解く母であった。
脊柱管狭窄症で、家の中では、なんとか自立歩行ができたが、外へは全く出なくなる前に、母は、徒歩15分くらい離れたドラッグストアやコンビニに日参(散歩)していた。
その時々の彼女の買い物に、『バナナ』があった。
母もバナナを半分しか食べられなくなっていたけれど、朝は、自分でお湯を沸かし、インスタントのポタージュスープを作り、パンとバナナで、朝食を取っていた。
今にして思えば・・・母の納棺のときに、獅子文六の小説を入れてあげればよかったな・・・と思っている。
あのときは、バタバタしていて、思いつきもしなかった。
もっと早く思いつけばよかったのに・・・と、ちょっと悔やんだ。
明け方、強い風。午前中はいったん止むものの、午後になって、再び、冷たい西風。
冬至翌日の早い日暮れののち、雪舞う。
本格的な冬に突入・・・。
この間?迄、いつまでも・・・の夏気分だったのに・・・。
夏のあと、いきなり冬になった感のある今年。
もう秋は秋じゃなくて、十二月の初旬に、ちょこっと秋の気配だけ。
↓ 2週間くらい前の中央公園。
街中の都市公園で、博物館を併設した広い敷地の中には、赤く染まった楓がいっぱい。
今年は、市内の二か所にて、紅葉狩り。
もう秋じゃなくて、師走になってからの紅葉。
やはり、紅葉は秋に観たい・・・としみじみ思う雪舞いの日曜日。
穏やかな冬至の土曜日。
一陽来復。
陰極まりて陽に転づる日。
真冬の始まりの日・・・。
昨年は、旧居住地よりも30Km北ある雷都に転居してきて、初めての冬で、対流型の灯油ストーブを購入したのだけれど、対流型ストーブは、灯油タンク一体で、灯油を給油するとき、ストーブを階下に下すか、灯油缶(ポリタンク)を二階迄、持ち上げるか・・・いづれもかなりな重労働?だったので、結局のところ、対流型ストーブは使わず仕舞いで、エアコンとカセットガスボンベのソロストーブで、ひと冬凌いだ。
エアコンも温かくなるのだけれども、流石に灯油ストーブにはかなわない。
・・・仕方がないので、給油タンクの取り外しのできる反射式のストーブを購入した。
折からの原油の値上がりで、灯油も高額になったという・・・タイミングの悪い時期であったけれど、流石に、灯油ストーブは暖かい。
旧居住地に居た頃、私は、ハロゲンの電気ストーブを使っていて、それで充分だったのだけれど、母は、起きている間は、終日、灯油ストーブを使っていた。
普通の反射式のストーブだったけれど、18リットルの灯油は、1週間から10日くらいで、使い切って、1週間に一度くらい、近所のガソリンスタンド迄、灯油を買いに行っていた。母が亡くなって、灯油を買いに行くことはなくなったけれど、今度は、自分のために灯油を買うことになりそうだ。
昭和から平成の初め頃迄は、灯油ストーブと炬燵が、冬の暖房だった。
11月の中旬頃から、灯油ストーブを使うために、灯油を給油するのだけれど、あの頃は、灯油タンクを取り外す形式のストーブでなくて、反射ストーブも一体型で、灯油缶を部屋迄持ってきて、給油していたように思う。
灯油タンクとストーブ本体が、セパレート型になったのはいつの頃からだろうか・・・???
そんなことを思いながら、やっと暖かくなった雷都の家。
灯油の匂いをかぐと、子供の頃を思い出し、クリスマス、冬休み、お正月・・・と、それに伴う灯油ストーブの暖かさを思い出す・・・。
灯油ストーブは、冬の記憶を呼び戻す・・・。
氷点下3度の朝。早朝、階下のキッチンは、室内でも、デジタル温度計は、氷点下1度だった。
それでも、日中は、穏やかに晴れた冬の日。
真冬になってきた・・・。
一昨日(12月18日)。
午前中、『はたらく細胞』鑑賞後、相方とランチ。夕刻から、『ふしぎ駄菓子屋銭天堂』を鑑賞。
1日2本の贅沢映画鑑賞Day・・・。
(昭和の頃・・・まだシネコン形式じゃなかった時代・・・2本立て・3本立てって当たり前だったような気がする。東京などのロードショー映画館では、1本立てだったような???)
黒猫の導きにより、選ばれしお客さまのみが、訪れることのできる路地裏の昭和レトロな駄菓子屋銭天堂(このレトロ感?のロケ地は、我が居住地・雷都???らしい)。
そこには、店主の老婆?が居て、お客様の望みをかなえてくれる駄菓子を売ってくれる。
その駄菓子を食べると、望みがかなうけれど、使用上の注意を守らないと・・・不幸への転落が待っている・・・
ひとつかなえば、次の欲望が、湧いてくる。あんなに叶えたかった望みも、かなってしまえば、それが普通になって、違う願望が頭をもたげてくる・・・。
人間の願望って、再現がない・・・。
小学校の教師となって、かつて子供頃を過ごした街に赴任することになった等々力小太郎(大橋和也)。
彼の生徒たちや妹・後輩が、噂の『銭天堂』で、駄菓子を買っていると聞きつけ、銭天堂へ向かうが・・・その先に待っていたものは・・・。
勧善懲悪的なわかりやすい物語。
自己中心的な望みは、淘汰される結末。
銭天堂店主の老婆・紅子役に天海祐希。太ったおばあさんの役どころなのだけれど、いかんせん・・・このひとは、きれいすぎる。
いつものことだけれど、銭天堂の紅子ではなく、銭天堂の天海祐希なんだけれど、まあ、こういうのも有りかもね・・・???
その紅子に敵対するのは、たたりめ堂の店主・よどみ(上白石萌音)。
ファンタジーのノスタルジー溢れる冬休み映画といったところだろうか。
なかなかに楽しい作品となった。
昼前からよく晴れて、寒い師走。
お昼から、旧居住地のカーディーラーで、12ヶ月点検作業。
今日から、ガソリン・灯油の政府助成補助金が無くなったらしく、軒並み値上がり。
ガソリンは、多重課税で、半分以上が、税金。必要な課税ではなく、上級国民さまが、潤う課税。
なんだかな〜〜〜。
昨日(12月18日)。
朝イチの上映『はたらく細胞』を鑑賞。
鈍くさい赤血球とそれを見守る白血球好中球を主軸に、様々な細胞達のお仕事ぶりを、擬人化して描く。
ウィルスの体内侵入を防御する白血球役に佐藤健。るろうに剣心の抜刀斎役を彷彿させる。
鈍臭い赤血球役に、永野芽郁。ほんわかなごみ系。
前半は、ギャグ満載の明るい展開だったけれど、後半は、化学療法や放射線治療による細胞達へのダメージが描かれ、体内の修羅場。みていて辛くなる。
がん細胞も、本当は、大切な細胞のひとつだったのに。
こういう映画を、若い頃に見たかったと思う。
生物の授業に興味が持てただろうに・・・。
風のないよく晴れて乾いた師走続く・・・。
法事のお返しで、ギフトカタログをいただいた。
コレと言ってほしいものがないあたり・・・。高額な割に、あまり役に立つようなものもない・・・。
消えものといわれる食料品とか、日用品も、あまりご縁のないものばかりだった。
何がよいか・・・と物色していて、ふと・・・旧居宅に居た時に、使っていた体重計は、錆が出てしまい、燃えないゴミで廃棄して、こちらには持ってこなかったので、体重計にしようと決めた。
体組成計なるものを注文。
届いたので、使ってみた。
体重測定は、1年ぶりであった。
測定項目は、『体重』、『BMI値』、『内臓脂肪』、『推定骨量』、『筋肉量』、『水分量』、『基礎代謝量』、『体内年齢』。
乗るだけで、測定してくれる。
大体、平均値よりかなり少ないというか・・・。
特に、骨量、筋肉量なんかは、ヤバいのではないか・・・と思える???
以前、某ショッピングモールで、血管年齢を測定する機械というものがって、100円入れて、指と手のひらを測定器の上にのせると、血管年齢がわかるというものがあって、面白そうだったので、計ってみた。
結果は・・・82歳だった。
何かの間違いなんじゃないだろうか?私の血管は、もうこんなに老人なんかい???とちょっと・・・いや・・・かなりショックだった。
この体組成計で、同じように驚いたのが、『体内年齢』であった。
おもちゃに毛が生えた?ような測定器?でショックを受けたので体内年齢を見るのが恐怖だったけれど、意外なことに、私の体内年齢は、48歳だった。
何か、設定でも間違えたのかも???と何度か、やり直してみたけれど、やはり『48歳』だった。
(この体内年齢は、この体組成計の製造会社独自?のデータによるものらしいけれど???)
少なくとも、血管年齢よりはるかに若かったので、まあ、こんなもんか・・・と思う。
それにつけても・・・。
ただ乗るだけの体重計が、こんなに進化したのか・・・と思うと、なにやらちょっと恐ろしい。
良く晴れて、乾燥した冬日。午後になって、鉛色をした雲沸き立ち、風も強くなったけれど、暫くして、また日差しが戻る。
日光連山から流れ込んでくる雪雲、雷都で迎える二度目の冬。
今週は、一昨日、久々に友達にあったのだけれど、その三日前の夜(12月9日)から、左上の奥歯(親知らず?)周辺が痛くて、柔らかいものでも噛むのが苦痛になった。
歯が浮いているような?感じで、これは歯科医院へ行かなければ・・・と考え続けた。
例の流行り病の流行した2020年から、都下の歯科医院への通院は中止していて、事実上、検診中断状態だったから、悪くなっているのかもしれない・・・。
友達とのランチの日がまじかで、コレでは、痛みをこらえながらの会食になるのかも・・・料亭の予約をしてしまっていたし・・・不安で憂鬱になった。
痛くなったキッカケは、玄米フレークを食べていて、奥歯に当たってから痛くなった。
一夜明けて、唐辛子の含まれた料理を食べて、ものすごく歯?にしみて、痛かった。
噛まなければ痛くない。下の歯に当たると痛いのだった。
歯・・・というよりは、歯肉炎の可能性も否定できない。いずれにせよ、歯科医にはいかなくてはならないだろうなと相当重い気持ちになっていた。
塩化マグネシウム(にがり)で、歯をブラッシングし、そのあと重曹とホウ砂を適当に混ぜたお湯で、うがいして休んだ。
そしてまた一夜明けた朝、痛みが殆どないし、きちんと噛める状態に戻っていた。
これなら、明日のランチ会食に行けそうだ・・・。
(たぶんであるけれど)神経治療した歯だったと思うし、左下の親知らずは抜歯しているので、この痛む(と思われる)左上の親知らずは、あってもなくても、たいして影響がないような気がしている。やはり歯に問題があったのではなくて、歯肉の炎症による痛みだったのだろうか。
唐辛子の辛味は、歯そのものでは感じない気がする。
とにかく、きちんと噛めるのは有難いことで、毎晩、重曹+ホウ砂での口内リンスは効果があった。
*ホウ砂は、絶対に飲まないでくださいと箱の注意書きにあるので、実行される方はいないと思うけれど、使用の際には、自己責任でお願いいたします。