睦月最終日。
寒中だからやはり寒いけれど、今冬は、寒くなるのが遅かったせいか、やはり暖冬だったのかも・・・とか。
年があけてお正月は、31日前なのに、もうかなり昔の事のように思えてくる。
閑人(ひまじん)と言えば、閑人なのだけれど、この閑人は、いつも何かに追われている恐怖があって、それが、体調不良だったり、近隣の騒音だったり、中古住宅の不具合だったりと、何もしていないにも関わらず、本当に、いつも、いつも、いつも憂いてばかりいるものだから、行動に向けるエネルギーは、いつも枯渇していて、さて、出かけようか・・・と思うのに、どうもアタマもカラダもついていかない。
詰まらぬ憂い事で、頭がいっぱいなので、心が休まる暇がなく、眠れば、気持ちの悪い夢ばかり見て、それで、目覚めて、また憂うという終わりのない心配事のループ。
結局、その足りないアタマで考え付いた結論は、どっちに転んでも、ロクなことにならず、骨折り損の草臥れ儲けというヤツで、それでまた疲弊する。
心配事がひとつ、頭に浮かんで、その打開策を講じるものの、結局、疲労して、忘れるまでに時間がかかる。
切り替えがうまくいかない。
スイッチがいつまでたっても、切れない状態が四六時中続く。
このバカ脳ナントカならぬものか・・・。
そんな睦月の晦日の週末。
ああ・・・週末なんだけれど、変換したら『終末』が出てきた。
なにかの悪い予兆なのかもしれぬ・・・そんなふうに、なんの関係もないのに、何かに関連付けようとする。
このところ、家族の夢をよく見る。
めったに見なかった父や兄や姉の夢。
母は、毎晩のように登場してくる(死を極端に恐れていて、その恐れていた死を自覚せずに、逝ってしまったようなので、もしかしたら、旧居宅のあの部屋にまだ居るのかもしれない・・・とよく思うのだけれど)。
ごめん。先月の四十六回目と今月の四十七回目の月命日については、書いていなかったな。
忘れていた訳じゃなくて、毎日、思いだしているし、死んでしまったなんて、未だ思えず、あの家にいるような気がしている。私は、もう戻れないけれどね・・・。