鼎子堂(Teishi-Do)

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夢うつつ・・・。

2016-05-15 04:21:17 | 睡眠

私は、眠ってみる『夢』については、結構、いつまでも、覚えていて、夢の断片を記録したものを読み返すと、夢をみたときの雰囲気だとか感覚だとか、思い出していたりする。

記憶に残る夢というのだろうか。

夢の断片を思い出せるもの、記録してあっても、さっぱり忘れてしまっているもの・・・様々、あるけれど、あの全く、つながりのないストーリー展開は、いくら考えても、自分では、作りだせない。
私の『脳』(・・・だとか・・・、一説には、別の次元の世界だとか・・・)が、勝手に作り出している。

色についても、モノクロームのような世界であったり、鮮やかな色彩があるもの、透明感、美しさなども、現実と想像がコラボレーションしているのかもしれないなぁ・・・と思ったりもする。

小学生の頃、仲の良かった友達が、死んでしまった・・・という内容の夢をみたことがあって、そのとき、夢の中で、もう世界は、終わってしまった・・・みたいな切望的な感覚で、目覚めたときは、夢なんだか、現実なんだか・・・わからなかったりした。

子供の頃の夢でも、はっきり覚えている。

ほんとうに・・・世界は、終わってしまって、一人取り残された私が、目覚めても、そこにいた。

この夢は、私の脳の中で、何度も、何度も、再生され、そのたびごとに脚色されているだろうから、実際に見た夢とは、もしかしたら、違うのかもしれないけれど、あの眇々とした絶望感は、何時まで経っても、忘れることがでない。

20代になりかけの頃みた屋根の上にいて、空から降ってくるダイヤモンドの雪を手のひらで受ける夢もよく覚えていて、このブログ内でも書いていると思う。
ほんとうに、綺麗なダイヤモンドで・・・でも、受け取れず、地上に落ちたものは、融けて消えてしまって、私の手のひらには、ふたつかみっつ、小さなダイヤモンドが残ったという夢だった。

失業したての頃は、爆発や大地震の夢をよくみたし、氾濫する川や迫ってくる水の夢などもよく見た・・・バイアスが、掛かっているけれど(後知恵というか)、もしかしたら、昨年の鬼怒川氾濫の予知夢かな・・・とも思えるけれど、単なるコジツケの後付け。

最近は、夜中に見るよりも、昼間、うとうとしているときに、面白い夢をよく見る。
面倒なので、記録には、取っていないけれど。

眠ってばかりで、夢ばかりみているから、現実の人生のほうが、夢のように思えてくる。



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