4月17日(月) 晴
昨日の興奮さめやらぬ今日。
いつものルーティーンで来てもらっている、シルバー人材センターの馬場さんが、「今日で辞めさせていただきたいのです。 実は・・・」ということで、なんでも、2か月の予定で入院しておられたご主人が、「ご飯がまずいし、早く家に帰りたい、と言うて聞かないので退院させるることにしました」
今どきの高齢者後ご夫妻のありようは、大抵が奥さまになじられておられるケースが多いというのに、せっかくの仕事も辞めて、ご主人に尽くされるという、馬場さんのお顔が輝いて見えた。
最後の仕事に、作業椅子を組み立ててくださり、短い間でしたけれど、毎週ご一緒に、楽しく断捨離が進みました。
ほんとうに、ありがとうございました。
来週から断捨離・終活は一人の作業になる。
一人作業のデメリットは、モノにまつわる思い出に浸り込んで、作業がはかどらなくなることだ。
さっそく、60㌢×200㌢の長い紙に『‘17吉本晴彦さんを偲ぶ 金つなぎふれあいクリスマス』と印刷された横幕が見つかった。
亡くなられたその年の、金つなぎクリスマスパーティは、吉本さんがオーナーであった大阪駅前の丸いビル・大阪マルビル大阪第一ホテルの宴会場で、最初だけしめやかに故人を偲び、やがて賑やかに華やかに盛り上がった。
横幕はその折、会場の正面に掛けられたものである。
40年前。新米記者のころ、取材に伺ったのがご縁で、お亡なくなりになるまでご厚誼をいただいた。
【浪速のケチ本さん】と親しまれ、全身ユーモア精神に包まれた紳士であった。
初めて金つなぎの会が、このホテルでクリスマスパーティーを開くことにした折の打ち合わせには、吉本さん自らが総料理長と臨席下さり、食材から調味料に至るまで吟味してくださった。
「がん患者さんは、こんなもん食べはるかなぁ?」などと、レシピにもこだわってくださった。
いつも、金つなぎの力強い応援団で、会創設10周年記念に、紀州熊野の七里ヶ浜で打ち上げた『金つなぎ逝者鎮魂・生者安寧 祈りの海花火』を初めて呼びかけたホテルのパーティ会場で、賛意を表されたご来賓の吉本さんが、ポケットからサイフを取り出し、一万円を寄付してくださった日の感動を思い起こす。
「ボクはケチやから、普段から寄付は絶対にしません。奉加帳にあの吉本が寄付してるから、と後に続く人が多いそうなので、頼まれたら名前だけは貸してますけど、な」とユーモア溢れるご挨拶とともに、一万円を頂戴した、あの感激が総額240万円の寄金を集める原動力となり、2005年8月17日、熊野の夜空に、華麗な桜花と蛍を含む100発あまりの花火となって、光の乱舞をくりひろげたのであった。
「ケチを貫くのは、恥ずかしいことやない。 【ケチ、すなわち経済の智慧】、経智(ケチ)ですがな」とおおらかに笑っておられた吉本晴彦さん。「大日本どケチ教」を打ち立てられ、自ら教祖となって、「お経は簡単や。【もったいない、もったいない】と唱えれば良いだけやから」と。
さくら♪は、教祖直々に頭に手を置いて認めていただいた信徒である。
もったいない、もったいない。
モノも思い出ももったいない・・・
なので、なかなか断捨離・終活が進みませぬ。
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