10月25日(火) 晴
銀座のシンボルとして大方に親しまれてきた東京・銀座の資生堂パーラーは、日本を代表する化粧品会社資生堂(国内売り上げ第1位、世界第5位)の子会社で、【美味・お洒落】がウリのカフェ・レストランである。
今日、友人から頂戴したシンプルな味わいのビスケットは、このパーラーの代表的なスィーツで、私たちの世代には懐かしい「花椿」のデザインを冠して今も愛されている。
添えられたカードに、「まるでお母さんが作ってくれたお菓子のような、素朴で優しいおいしさです。資生堂パーラーを代表する、昭和初期から誇りをもって作り続けてきたあらゆる年代の方に愛される味」と書かれている、シンプルな味わいが捨てがたいビスケットである。
暮れなずむ秋の夕方、たっぷりのココアを淹れて、美味しくいただいた。
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銀座の資生堂パーラーで、女優の岸恵子さんを取材したのは、もう40年近くも前のことだ。
岸さんと親しい「丸さん」こと、サンケイスポーツの丸山記者のご紹介で取材が叶ったすっぴんの岸さんは、当時、資生堂のキャラクターを務めながら、「お仕事以外は化粧をしないのよ」と言い、1階のグランドピアノの陰に隠れてパフをはたき口紅を塗って、「岸恵子」になって現れた。 鏡も持たず、ピアノに映ったご自分に、鮮やかに化粧をして見せたのである。
「プロの女優さんなのね」、脳裏にメモを残した。
パリのこと、ヨーロッパのこと、お洒落のこと、ご家族のことなど、時間の許す限り伺ったけれど、どんな質問にもよどみなく答えてくださり、しかもすべてに含蓄があり1本筋の通った言葉選びに、「なんて、頭の良い方!」と感じ入ったことを思い出す。
産経新聞東京本社から、写真部長が直々に部下を連れてきてくださり、定休日のパーラーのフロアをいっぱいに使って、大きな反射板をパラソルのように開いて、スタン・バイ。「あ、あたし。こちら側から撮ってね」
その日は地味派手の鬱金(うこん)色のミッソーニを難無く着こなし、オリンピックの体操でされる「2秒静止」の声掛けそのままに、いくつかのポージングを決めて、カメラに鮮烈な画像を残された。
2日後、東京本社から岸さんの写真がFAXで届いた。ITやNETなど、言葉も概念もない時代である。同時に、特急便でフィルムが届く、という時代であった。
写真を手に、東京に電話を入れた。
「部長、岸さんの写真、あの日と違うようです。 …だって、手の甲にあったシミや首筋のしわが消えていますぅ」、「あのね。 岸さんほどの大女優のシミやしわをモロに撮ったら、撮影した者が笑われるんだよ。 自然にうまく撮れてるだろ?」
言外に、うまく修正できてるだろ?と匂わせて、電話は切れた。
岸さんはそのころから達意の文章をものされ、読み応えのあるエッセイを出版されたりして、パリと東京を行き来する己が人生に、確たる自信を秘めた女優であった。
夫君と離婚後は女優のほかにも、作家としてジャーナリストとして、多彩に活躍なされ、今年89歳を迎えてなお、ますますの矍鑠ぶりである。
図らずも、ビスケットが思い出させてくれた、見事な日本女性の生き方は、『岸恵子自伝』(岩波書店)に、うかがえる。
ご一読を♪
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