11月7日(日) 晴
明け方に名張では雨が降った。
今日の天候は雨、とのことであったが、「いつも催しするときは晴れるの。【金つなぎ晴れ】(金晴れ)と病友は言っておられるわ」
言葉通りの天候で、「今年逝かれた友を悼み互いの元気を喜ぶつどい」は、前回の同窓会同様、松坂駅前の新粋に20人がご参集。2500円会費で始まった。
逝友・典ちゃんへの献杯は、学友にして元三重県議の福山瞳ちゃんが。
引き続き互いの元気を喜ぶ乾杯は、生命の駅伝事務局長の上村真由さん(写真右端)が引き受けてくださった。
簡単な自己紹介のあと、食事が始まり、高名な疫学学者にして地元の臨床医、詩吟教室の教師でもいらっしゃる田島和雄さん(田島麟芳師)が、王維の代表作『送元二使安西』など吟詠3種を朗々と吟じてくださり、心にズンと沁みた。
なかでも、最後に吟じてくださった『桜島山』(『わが胸の』とも。 作;平野國臣)は、さくらの好きな短歌で、技巧に走らず思いの丈を堂々と歌い上げて、むしろ小気味良い。
平野國臣は、福岡藩士、尊王攘夷派の志士。 享年37。 著作に『尊攘英断録』がある。
幕末の動乱期に、日本国の未来に熱く思いを致し活動なされた、彼のような人士が礎となられて明治新政府が樹立。 今に至る国の発展につながっていることを思えば、もっと評価されて良い。
明治24(1891)年に、正四位を追贈されてはおられるものの。
左から、学友の辻くん、文ちゃん。
右端は、4年前に市議選を共に戦った今村君と長女の妃那ちゃん♪
手前の右端は、中村悦子さん♪
田島師と、花束を調整してくださった稲葉嘉子さん(花工房イナバ)
集いを終えて、いつものように夫の実家と私の実家の墓所に詣で、早逝なされた親友の生子ちゃんの墓前で、20歳で逝かれたころの市松人形のような美しいお顔を偲び、それから典ちゃんのお墓のある願証寺さんに立ち寄った。
金つなぎの会の象徴のひとつ、【金つなぎの茶碗】は、実は、このお寺の宝物の一つである。 今は亡き先代夫人のご厚意で、お許しをいただいた。
「お墓は、石屋さんに行っていて、無いと思うよ」
途中にお声掛けした、別の親友の妹・祥子ちゃんが一緒に来てくださって、小林家のお墓を探した。
二人の心のような明るくまぶしい日差しの中、「あった! 戻ってるね」
墓石の横に、親友は次の世の名前をもらって静まっておられた。
「お戒名は、覚えたからね」と帰宅して、9文字の戒名のうち、「妙典大使」の4文字しか思い出せないの。
さくら@認知症!
駅前のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅 )に入居なされた、病友の紀久ちゃんを見舞って名張に戻った。
独り暮らしで、日々の生活に不具合を来たし、駅前の高級マンションを手放してここを終の棲家に決められた彼女の英断は、後期高齢者の老後の生き方の一例になるだろうと思う。
相変わらずの「利他」への思い・・・
私には到底真似ができません。
従いまして、そのお気持ちの一部でも感じ取ることができればと早速「平野國臣」で検索し、色々と感じるものがありました。
「我が胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」
自分が持っている尊王攘夷の燃えるような熱い思いに比べれば桜島の噴煙などはまだまだ薄いものだという情熱と心からの言葉はさくらさんが仰るとおり
堂々たるものですね。
さくらさんのお気持ちが少し理解できたような気がします。
私は短歌のことはよくわかりませんがブログ友の「ポエットM」さんならきっと素晴らしい感想で
お応えになるでしょう
素晴らしい写真もそうですが、尊敬できるお人柄に
心酔しきっているような私です。
下記のURLに一度お尋ねされてはいかがでしょう
https://blog.goo.ne.jp/shou1192_2010
思えばさくらブログは、昨年の7月7日にあなた様から優しいコメントをいただき、「志を同じくする者同士、こんな形でご縁をいただき、感謝いたします。
あなた様のご縁から、SUZU.さまのご訪問をいただき、とても麗しいプレゼントのエピソードに心打たれました。
元は知らない同士の関係が、志を同じくする土俵に上がれる喜び♪
ご縁を本当に、ありがとうございます。」と返信して以来、shimaさん、すずさんのご縁から、uncle-Kenさん、yamaさん、syouさん、middleaxisさん、oraiさんほかの皆さまにご縁をいただき、有難い次第です。
「ポエットM」さんのブログももちろんそっとお邪魔して、水曜サロンの確かな推敲添削に感じ入ったりしております。
皆さまの画像の素晴らしさ、渋い歌声、力づよい太鼓、心地よいエレクトーンの音色、
主張、みんなみんな、深夜族・さくらの背中を優しくなでて癒してくださいます。
ありがとうございます。