11月19日(日) 晴
風は冷たいけれど、温かい日差しが嬉しい日曜日。
午前10時を期して、母子3人が『金つなぎ・逝者鎮魂・生者安寧~祈りの電飾』の飾り付けに取り掛かる。
まずは、絡まった電飾ネットをほどくことから、スタートだ。
さくら♪が一人で取り付けていたころは、1本ずつ隣の空き地に広げて、絡まった部分を丁寧にほどいていった。 時間も手間もかかって、今日のように息子たちがあっという間にスタンバイOK !にしてくれるのが、ウソのようだ。
少し下り坂の空き地で上からシャッターを切ったものだから、まるで50年昔にタイムスリップしたみたいで、二人の息子は10歳と7歳の少年に還ってしまっている。 おまけに次男は彼の次男でさくら♪の四孫そっくりとあって、笑って笑って夜を過ごした。
門かぶりの槙の木に、赤黄緑色の電飾ネットを3本取り付けるのは、3年前から長男が受け持ってくれ、隣の松の木は次男が担当してくれる。
いずれも約2㍍の高さの大谷石の塀に上っての作業なので、さくら♪の場合は、足がぶるぶる震えたりして「怖い」と思ったら続けられなくなり、笠石の上に座り込んで小休止したものだった。
視点が低くなることで恐怖心が薄れるのだった。
28年前、亡夫の鎮魂のために灯した1本の木の電飾がいつしか家じゅうを飾る灯となり、5年前には金つなぎの会の平井喜美子理事と玉ちゃんこと玉置須巳子さんが、「私たちにも飾り付けをさせて…」と申し出てくださったのをきっかけに、広野光子個人の手から患者会全体のものとなり、会員の西川宗賀くんが【ヒロナリエ】と命名してくださって、一段と光輝を増した。
息子たちは、年初にまだ撤去されない電飾の取り外しから始まり、同じころから手伝うようになり、さくら♪が80歳を過ぎて内心、【電飾の幕引き】を思うようになった心の隙間を埋めてくれ、「よぉし、死ぬまで続けるぞ、おー!」と決意させてくれた。
彼たちは多分、私が逝ったその年にも今日のように電飾を取り付けてくれると思う。 点灯式にはむろん、私は金つなぎ天国支部・吉原敦子支部長の新会員として、喜び勇んで舞い降りてくる。 「天国支部でお待ちしています」と笑顔で逝かれた吉原さん、後に続いて逝かれた仲間たちのことを思い出す、幸せな一日となった。
【継続は力なり】の電飾、おかげさまで8割がた完成をみた。
皆さま。私たちは、逝きてなお、脈々と生き続ける存在なのです。 幸せです♪
毎年、逝かれた皆さまや闘病中の皆さまのために祈念の電飾飾り付けを、ありがとうございます。
ご子息様のお手伝いも本当にありがたいですね。
点灯式まであとわずか、私の家族も応援させていただきます。お体おいとい下さり、どうぞ頑張ってくださいませ。