昔、タウン誌の制作を手伝っていた時に知り合った記者から、年賀ハガキが届いた。「5年間の中国勤務を終えて昨年9月に社会部に戻りました」とある。家族ぐるみで駐在していて、毎年の年賀ハガキに家族写真が載せてあった。
「司法担当のデスクを拝命し、新聞社に入って初めて自分で取材しない仕事をしております」と続く。出世したのだ。私が地域新聞を作っていた時に知り合った記者たちも定年を迎えている。議員秘書だった時に出会った写真週刊誌『フォーカス』の記者はどうしているのだろう。
『フォーカス』は写真が売りだったが、記事の文章が絶妙で、私がそのことを話すと若い記者は少し照れながら、「やった」と自慢気な顔をした。人に伝える仕事をしている連中は皆、信念を持っていた。そんな気がする。
今、誰でも発信者になれる。スマホで動画を撮って、SNSに載せれば、正しいとか正しくないとかに関係なく、みんなに発信することが出来る。メチャクチャ怖い時代だ。発信する側に誠意とか信念があるとは思えない。「オモシロイ」「ユカイ」「スゴイ」しかない。
新聞や週刊誌のように、「よいもの」だけが生き残るのだろうか。いや、新聞は購読者が減っている。暴露型の週刊誌しか生き残れないのかも知れない。予想が出来ない時代になってきた。正しいと思うものを応援しないといけない時代なのかも知れない。