友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人生はどこで何があったのかで大きく変わる

2024年11月30日 18時13分25秒 | Weblog

 友だち夫婦が絶賛していた映画『海の沈黙』を観て来た。何も知らずに行って、身につまされる思いがした。ふたりの画家の喜怒哀楽が、ねじ込まれていた。ひとりは本木が演じる痛烈な個性の画家で、もうひとりは石坂が演じる画壇の頂点に立とうとする画家である。ふたりは同期で、同じ先生の門下生である。

 映画は首相が見学に来る展覧会で始まった。誰もが高く評価する石坂のデビュー作を、石坂自身が「贋作」と暴露してしまう。本当に贋作なのかという疑問が沸き起こるし、じゃー誰が描いたのかと疑念も湧く。次に北海道に場面が移り、全身に刺青をした飲み屋の女将の入水自殺となる。

 女将に刺青をしたのが本木が演じる画家で、贋作を描いたことも分かって来る。本木は優れた才能の持ち主で、見事な絵を描いて高い評価を受けた。けれど、金が無かったのでキャンパスが買えず、先生の絵の上に描いたことがバレて画壇を追放された。彼は行方を晦まし、贋作と刺青で暮らしていた。

 美術を専攻した私は、絵描きの苦しみがよく分かる。技術的に凄い絵であっても、世間に評価されなければ売れない。どんなに発想が面白くても、技術が伴わなければ作品にはならない。評価はあくまでも世間が下すもので、世間は時代によって大きく変わる。ひたすら自分が信じる作品を描き続け、世間の評価を待つしかない。

 本木が描きたいと思い、血を吐きながらでも描いた最後の海の絵は、素晴らしいと私は思った。世間がどう評価しようが、自分が描きたい絵を描くしか、画家の生き方は無い気がする。映画のポスターに「あなたのぬくもりを覚えていた」とあったが、誰が誰に言った言葉なのだろう。

 本木が演じる狂気の画家と、石坂が演じる画家の妻、小泉今日子は愛し合っていたから、本木が小泉にまたは小泉が本木に発した言葉かも知れない。人生は複雑だ、どこで何があったかで大きく変わってしまう。私はダリを超える画家を目指していたが、無理だったなとつくづく思う。

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女の子の人生が狂わないように

2024年11月29日 18時26分41秒 | Weblog

 昨日の中日新聞のコラム『中日春秋』に、「罪を憎んで人を憎まず」が載っていた。人を裁くことの基本なんだろうけれど、被害者にとって加害者は殺したいほど憎いだろう。5年前だったか、池袋の暴走事故で妻と娘を殺された事件があった。運転していた80代の男性は当初、「車の不具合」と主張していたが、ブレーキとアクセルの踏み間違いによるものだった。

 被害者の夫は、交通事故防止を呼び掛けた。加害者の男性は、高齢のため獄中で亡くなった。それを聞いた男性は、「複雑な心境」と語っていた。今度はその男性に、「そんなに苦しいなら、殺してあげよっか」というメールが届いた。メールの差出人は中学3年生の女の子だった。「内に問題を抱えていて、相談する相手が欲しかった」らしい。

 文面から、友だちに送るメールのように見える。でも、受け取った人がどう思うかまでは全く考えていない。SNSの顔が見えない者同士の、やり取りの怖さがある。それにしても、どうしてこうも短絡的かと思うが、これが現代教育のひつとの典型かも知れない。

 嫌な事件が多い中、ホッとする判決もあった。大阪で2歳の女の子の死亡が、1審では「暴行を加えられるのは被告しかない」という理由で、懲役12年が言い渡された。被告は女の子の父親だが、母親の再婚相手である。被告は娘をとても可愛がっていたが、状況から揺さぶられ症候による死亡と判断された。

 被告は裁判で、無罪を主張したが受け入れてもらえなかった。警察や検察は、ドラマでもあるように事件が起きれば、犯人を見つけなければならない。女の子が連れ子であったからというだけで犯人扱いは惨い。今日の高裁では無罪が下された。被告の男性は、「無罪の判決ですが、わたしは無実です」と述べていた。

 無罪の人を有罪にしてしまう「冤罪」があってはならない。けれども人が人を裁くのだから、絶対は無い。事件が起きないことが一番大切だが、事件の解決には「慎重に、慎重を重ねて」取り組んで欲しい。中3の女の子の人生が狂わないようにと願うばかりだ。

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困った高齢者になっていた

2024年11月28日 17時25分19秒 | Weblog

 側溝のコンクリートの蓋を持ち上げようと試みたり、這いつくばって蓋の隙間から中を覗いたりしている小学生の男の子がいた。余りにも一生懸命なので、つい、「どうしたの?」と声をかけた。男の子は腹ばいのまま、「アメを落としてしまった」と言う。

 傍に自転車がひっくり返っていたから、カギでも落として困っているのかと思い、手を貸すつもりだったので、「アメ?!」と言い、「拾っても汚いから、食べられないよ」と言った。すると男の子は立ち上がり、「そっか」と言うなり自転車に跨がって行ってしまった。

 ドブに落ちたアメを本当に食べようと思たのかと、不思議な気がした。東山動物園でも子どもの発想は面白いなと思ったことがあった。1つは白クマのプールで、飼育員がバケツに入っている魚を投げ入れていた。

 その度に白クマは飛び上がったり、プールに飛び込んだりするから、観客は大喜びだった。なのに私の前の女の子は、「これって虐待じゃーない。食べやすい所に置いてあげれば、冷たい水の中に飛び込むこともないのに可哀想」と母親に話していた。

 確かに白クマはエサを投げられる度に水に飛び込み、水中から出るとブルッと身体を振るわせて水切りをしている。女の子の言うことにも一理ある気がした。

 もう1つは植物園の温室の中での出来事だった。家族4人で来ているようで、父親がウツボカズラの前で子どもたちに教えていた。「これは食虫植物で、虫の好む匂いを出してこの袋におびき寄せるんだ」と言うと、上の女の子が「でも、この温室には虫はいないよ」と指摘する。

 父親がどう話を続けるのか興味があったが、立ち止まることが出来なくて聴けなかった。子どもたちの素直な気持ちが、大きく育つようにと願いつつ、帰ることになったが、どこへ行ったら駐車場に着くのか分からない迷子になった。

 係りの男性に尋ねると、地図を持って来て説明してくれた。高齢の男性係り員はふたりともとても親切だった。横には若い男性スタッフがいたが、「困った老人夫婦」という顔で私たちを見ていた。実際、困った高齢者になっていた。

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ちょっときついデートになった

2024年11月27日 18時53分06秒 | Weblog

 今日のデートコースは、名都美術館で「平山郁夫」を観て、時間があれば東山動植物園の紅葉を見て来ようというもの。出掛けるのが遅かったので、名都美術館に着いたのは正午ちょっと前だった。「私、じっくり観たいから先にランチしよう」とカミさんが言う。

 そう来るのではないかと思い、昨日、調べておいた。実はそのために激しい悶着があったが、それを書けば穏やかに暮らせなくなる。とにかく、調べておいた店に入った。北欧風デザイナーズカフェ『Photovel Cafe』で、先客はひとりで来ていた男性と、子連れの女性たち3組の7人と幼児ふたりだった。

 女性たちが座っている場所は畳敷で、堀炬燵ののように足が伸ばせる。2・3歳の子どもはオモチャで遊んだり、スマホを見たりしている。互いに気兼ねなく食事が出来るから、若い母親たちには有難い店なのだろう。我が家の孫娘にも教えて上げたい。私はワッフルの上に、サラダやベーコンなどがのったものを食べたがとても美味しかった。

 食事を終えて「名都美術館」へ。以前も来ているのにまた駐車場を探してしまった。「名都美術館」がどのようにして出来たのか、尋ねるつもりだったのにその機会が無かった。入ってすぐの日本庭園が見事だ(写真)。平山郁夫さんが、広島の原爆被害者だったと私は知らなかった。

 シルクロードやインド・パキスタンの絵画をなぜ描いたのか、それは被爆体験にあったようだ。平和への強い思いが仏教への関心となり、仏教の経典をインドから中国に持ってきた三蔵法師・玄奘の道を辿り、絵筆で描きとめた。砂漠を歩くラクダの群れは、そうした旅から生まれたものだった。

 東山動植物園へ行く時間があったので、運動のためにと出かけた。私が知っている動植物園とは全く変わっていた。平日なのにたくさんの人で賑わっていた。紅葉の名所を求めて彷徨い迷子になってしまった。園内は見事に紅葉した場所もあり(写真)、ベビーカーを押す若い夫婦が盛んに写真を写していた。ジジババにはちょっときついデートになった。

 

 

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高齢者問題の解決はどこにある

2024年11月26日 18時03分22秒 | Weblog

 また寒くなって来た。昨日はあんなに暖かかったのに。もうすぐ12月になるのだから、寒くなるのは当たり前なのに、気候の変化が分からなくなってしまった。

 昨日、中学の時の友だちが集まって話していて、「みんな年取ったね」の声が上がった時、すぐに「当たり前でしょう。私たちが還暦の歳に生まれた子が、二十歳になるのよ」と指摘する。

 20年もアッという間だったけれど、中学を卒業してから65年間もあったのに、アッという間だった。同級生でも亡くなった人は結構いる。それでも、こうして集まることが出来たのは幸せなことだ。世話役をしてくれた岡崎の友だちは、カラオケがしたかったみたいだが、みんなで話せて良かったと思う。

 ビックリしたこともたくさんある。女性たちの子どもや孫の話を聞いていたら、東大を出たとか、津田塾を卒業して東大出と結婚したとか、それだけじゃーなくて、今では会社の社長になっているとか、立派な息子や娘そして孫を育てている。どんな子育てをしたのかまでは聞かなかったが、大したものだ。

 家でカミさんにその話を報告した。すると、「そういう教育をされたからでしょう。なんでもいいわ、いいわで放っておいて、東大なんかに行ける訳無いでしょう」と、私の放任主義が子どもをダメにしたと厳しく指摘された。「でも、いい子に育たんだから、ヨシよね」とも言う。バカだった。他人の家の子の「出世」(?)を妬ましく思うとは、なんと恥ずかしいことか。

 高齢者が増えていても、みんなが幸せに暮らしているなら問題ないが、連れ合いを亡くして家に閉じ籠りの老人もいる。そんな年寄りを引っ張り出して、仲間と交流させようと頑張っているボランティア活動がある。

 私は、ひとり静かに逝きたいと願っているが、友だちが出来て活力を得る高齢者は多いそうだ。そこまで世話をしなければならないのかと思うが、それでみんなが幸せになれるのなら、そうした努力も無駄では無いだろう。高齢者問題の解決は、そう簡単では無い気がするが‥。

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私たちは置いてけぼりね

2024年11月25日 17時46分55秒 | Weblog

 今日は中学の時の友だちの集まりで、東岡崎に集合した。私は大学3年の時、1年間通った街だったが、すっかり変わっていた。駅舎は工事中と言うこともあって、どこが集合場所なのか、散々迷ってしまった。

 昼食は駅ビルの中の和食店だった。だんだん混んで来たので、場所を変えることにした。駅からすぐのところに真新しいビルがあり、広いスペースにイスが並べてある店に入った。仕切りで区切られ、パソコンを前にして勉強したり、仕事をしたりしている。

 受付の男性に、「おしゃべりしていてもいいのですか」と訊くと、一番奥のソファーが置いてあるコーナーに通され、「常識の範囲でお願いします」と頼まれる。傘寿のジジババだから、常識を超えることは無いが、ちょっとは煩いかも知れない。

 フリードリンク付きで、3時間以内550円という金額にもビックリした。昼食が1千円だったから予想していた会費の半額で済んでしまった。私はクラス会の時の写真を持って行ったが、中学の担任からもらった手紙を持ってきた人もいて、それを見ながら結構盛り上がった。

 担任が言っていたけど、「いいクラス」だったとしみじみ思う。話はどうしても思い出話になってしまう。「アイツはどうしているんだろう」という話になって、「わざわざ聞く訳にもいかないし」と言うと、「気にしてくれる人がいることはいいことよ」と反論する人もいて、なぜか昔と変わらないなと思った。

 昨日は名古屋市長選挙の投開票日で、河村前市長の継承者が当選した。立候補者が7人もいたから投票率は上がるのかと思ったが、39.63%で前回よりも2.49%下回った。自民、立憲、国民、公明の推薦を受けた前参議院議員は及ばなかった。私が期待していた「緑の党」の女性候補は5万3千票余りで、得票率が10%に届かなかった。でも、そんな話は出なかった。

 ジジババで話していた時、ひとりが「スマホが真っ暗になってしまった。どうしたらいいの」と言う。知ったかぶりの男たちが色々やってみるがダメだった。そこで、受付の女性のところに持って行ったらすぐに回復させてくれた。

 「もう、本当に私たちは置いてけぼりね」と、みんなで頷く。

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「縁はいなもの」に続きはあるの?

2024年11月24日 17時23分51秒 | Weblog

 久しぶりに名古屋駅前を歩いた。人が多くて真っ直ぐに歩けない。圧倒的に女性が多いが、中には男性のグループもいる。皆さんがスマホを掲げて、撮っているから混雑するのは当然である。祝日に土曜日が重なっているから猶更なのだろう。

 お目当ての高島屋のツリーの前では、外国人の家族が子どもを立たせて写真を撮っていた。その前の通りは、昨年は外国人と思われる若い女性が何人も立っていて、男性から声をかけられるのを待っていたが、今年はそんな光景は見られなかった。

 それでも、若い女性たちはこんな寒い日でも、ミニスカートで歩いている。北隣りのキッテ会館にも行ってみた。こちらも家族連れが多く、色の変わるツリーを写真に収めていたが、思ったほど混んではいなかった。

 横断歩道を渡って、大名古屋ビルヂングに行く。このビルの5階にあるルーフガーデンは、四季折々にふさわしい飾り方で人気がある。この季節はクリスマスを意識したイルミネーションで飾られている。若い人から家族連れまで、皆さん思い思いに写真を撮っている。

 ここには長いエスカレーターで上がって来たが、私たちの前に若いカップルがいた。女性はミニスカートで、中まで丸見えだったが隠す様子は無かった。見てはいけないと思いつつ顔を上げると、短パンを小さくしたようなものを履いている。よく盗撮がニュースになっているが、どうしてこんなものを撮りたいのかと思ってしまった。

 ビルのレストランで、結婚記念日祝いの食事をする。ワインと肉の盛り合わせを注文する。私としてはもう少し高級な店に行きたかったが、カミさんに「ポイントを使うために来ているの」と説得されてしまった。

 隣りの席に、高齢の女性と幼い女の子が座った。女の子は小4の孫娘に似て愛嬌がいい。私たちに興味があったようだったので、食事の後、ちょっと話した。ふたりは親子で、女性は私たちの長女と同年、女の子は次女で中1と言う。

 ただ隣り合っただけなのに、いろんな話が出来た。帰りの電車では若い男性に席を譲られた。「縁はいなもの」というが、この言葉には続きがあったのだろうか。そんなことが頭に浮かんだ。

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支え合ってこそ、社会は成り立つ

2024年11月22日 17時48分33秒 | Weblog

 愛知県警察から、「運転免許に関する大切なお知らせです」と封書が届いた。違反はしていないし、何事かと開いてみると、「認知機能検査等に関する通知書」だった。私は今年4月に80歳となったが、免許証の有効期限は来年5月まである。

 継続するか返納するか、迷うところであるが、早めに返納させようという警察の配慮なのだろうか。検査日が12月24日のクリスマスイヴというのも何かの縁だ。とにかく受けて、それから判断しようと思う。

 知り合いの女性から「ご挨拶」のハガキが届いた。「私も齢95歳になり、体力・知力・気力共に衰え、ひとり暮らしが覚束無くなりました」と、施設に入所する旨が書いてあった。私の周りでもそういう人が増えて来た。

 私の子どもの頃は、年寄りと言えば60代で、80歳や90歳の人は見かけなかった。確かに高齢化は進んでいる。高齢者が増えれば、行政も対策のために税金を遣う。年収が103万円を超えると税金がかかるので、国民民主党は限度額の引き上げを求めている。

 これに対して全国知事会や政府は、税収が減りサービスの低下を招くと反発している。税金を徴収できないから税収は下がるというのは分かる。けれど、市民は収入が増えた分はどこかで消費するという主張も理解できる。

 それよりも、税収が減るとその分を国債で賄うから、子や孫に負担をかけることになるという主張が分からない。税収が減ればその分、支出を減らせばいい。どこの家庭でも収入が減ったら、支出を減らしている。どうして行政はそれが出来ないのだろう。

 前年よりもサービスを低下させられないのであれば、首長の報酬を下げればいいし、無駄なサービスを削ればいい。「身を削る改革」はいつも後回しになる。政治にかかわる人たちは、もっと市民のために知恵を出して欲しい。

 高齢者だって年金から税金が徴収されている。みんなが支え合ってこそ、社会は成り立つ。いつか高齢者人口は減っていくだろう。それくらい、政治家は先を読んでいるだろう。みんなが安心して暮らせるようにと。

 明日は結婚記念日のため、ブログは休みます。

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人生は出逢いであるという映画

2024年11月21日 21時29分44秒 | Weblog

 毎週水曜日のデートが出来なかったので今日、映画を観て来た。卒業生がフェイスブックで、「泣けた」と書いていた映画『アイミタガイ』である。観ていて私も涙を流してしまったが、決してお涙ちょうだいの映画ではなく、人生は奇縁で結ばれている映画だった。

 「アイミタガイ」について、映画の中でも「それって何ですか」と訊く場面があった。そう、私たちの子ども頃は耳にした言葉だが、最近は使われなくなった。「お互い様」といった時に、気にしなくてもいいよといった意味で使われていた。

 出逢いが様々な形で展開していく。初めは何だかよく分からなかったが、そうか、そんな風に結びついていたのだと振り返ることが出来る。全編が仏教でいうところの慈愛に満ちている。縁がどんどん結びついていくのだ。

 人は困っている人を見れば、助けたくなる。そんな出逢いがまた、人を助けることになる。自分に出来ることがあるなら、進んで手を差し出せば、助かる人が生まれる。それは巡って来るもので、それを求めたなら巡っては来ない。

 ロケ地が桑名や四日市だったので、行ったこともあり興味も湧いた。93歳(?)の草笛光子さんのピアノ演奏では、いろんなことが思い出されて涙が溢れて来た。音楽には力があると感心した。

 私が書斎に使っている部屋に、観葉植物が5鉢残っている(写真)。水を遣らなければ枯れていくのに、どうしても水遣りを欠かすことが出来ない。今では天井まで伸びてしまい、私が元気なうちは水を遣ろうと決めている。

 水を遣ったからといって、植物が何かを返してくれる訳では無いが、居なくなれば淋しいだろう。古い写真と一緒で、何の思いも無い人なら処分できるだろう。おっと、遅くなってしまったのでここまで。

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ルールに従っているならいい?

2024年11月20日 18時18分44秒 | Weblog

 印象だけで人を判断してはいけないが、印象は大きな力を持っている。再選された兵庫県知事の斎藤氏は、頭が良くてキリッとした印象だ。そんな彼が真剣な顔で、「県政の改革を進めさせて欲しい」と、頭を下げている姿を見て、心を動かされた人が出てきてもおかしくは無い。しかも、たったひとりで駅頭に立っていたから、応援してあげなくてはと思った人も多かったようだ。

 対照的なのが、紀州のドンファンを殺害したとして裁判を受けている女性だ。いかにも男を騙すのが巧い、やり手の女という印象を受ける。女性がドンファンから寵愛を受けていたのは確かだろう。月々100万円を支払いながら、しかしSEXはしないという契約だったと言う。しかも妻として籍に入れているのだから、よほど彼女が欲しかったのだろう。

 けれど、勃起しなかったのでドンファンは焦ってしまった。覚せい剤を手に入れればと、女に命じて手に入れてみたが、それでも勃起はしなかったようだ。ドンファンは何とかして勃起したい、そればかり考えていたと、男の私は思う。そう考えると、女性が主張する無罪は真実のような気がする。

 いかにも、あばずれに見られる女と、賢そうな男の違いが、判断を左右している。それに、選挙で勝利してしまうと、それで「ノーサイド」ということなのか、何事も無かったようになってしまうのも解せない。トランプさんの勝利もそうだが、「勝てば官軍、負ければ賊軍」で、本当に良いのだろうか。トランプさんは復讐を誓っているようだが、斎藤氏はどうなんだろう。

 今朝は資源ゴミを出す日なので、貯めてあった新聞や雑誌、段ボールなどを持って行った。風が無かったので、縛ったビニール紐のむすびを解いて指定の箱の中に入れた。ただ、段ボールは平地に山積みなので、風が吹くと散らかってしまうから、紐で結んだままにしておいた。マンションの住民でない人がゴミを持って来るのを禁止しているが、ルールに従っているならいいのではと、緩い私は思ってしまう。

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