友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

安倍首相の施政方針演説を聞く

2020年01月21日 17時40分16秒 | Weblog

 「世界の中で輝く日本、希望にあふれ、誇りある日本を創り上げる大きな夢に」「国民一丸となって、共に進もうではありませんか」。安倍首相の施政方針演説をテレビニュースで聞いた。こそばゆいくらいの未来志向に、奮い立つ気持ちになった人も大勢いたことだろう。

 安倍首相は権力者として、厚顔なだけでなく、何を言えば国民が喜ぶかを熟知している。「美しい未来」に期待している庶民の心をつかむことに長けている。「桜を見る会」や「モリカケ」の問題など、安倍政権の政治の私物化、二人の閣僚が辞任した責任など、「小さなことだ」と言わんばかりだ。

 政治評論家や野党は、「美辞麗句を並べただけで中身がない」「説明責任を果たしていない」と批判するが、評論家の指摘はともかく、野党は「我々ならこういう政策を行う」とビジョンを示して論争すべきだろう。国民の多くが、「問題はあるが安倍さんしかいない」と感じてしまうのは、批判しか聞こえてこないからだ。

 朝日新聞は、「(今国会は)長期政権のゆがみを正し、政治や行政への信頼を回復するとともに、政策論議を深めること」と提案している。しかし、安倍政権は自らに「ゆがみ」があるとは考えていないし、政治や行政への不信があっても、「国民一丸となって」「令和の新時代の国創りを」と呼び掛けているのだから、全くかみ合わない。

 人は「負の部分」を見せられるより、「夢」がある方が好きだ。だから野党は、「無意味な美辞麗句」などと切り捨てるより、政策の問題で対決すべきだろう。野党がどのような国創りを目指すのか、そこが見えないから支持が広がらないのだと思う。

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放課後子ども教室に若い先生が加わった

2020年01月20日 18時40分16秒 | Weblog

 放課後子ども教室に若い先生が加わった。両耳にいくつものピアスをしているのでビックリした。先生も変わってきたと思った。初対面の時は難しそうな若者という感じだったが、小3の子の算数の問題を見て、「あなたの時も、こんな風に教えてもらっていたの?」と聞いてみた。

 それがきっかけで、話をするようになった。彼はまだ19歳の大学生で、「ボクらの頃はまだかっこはなかったですね」と言う。算数の問題は「80円のパンを4個と、20円のアメを4個買いました。合計はいくらでしょう」というもので、子どもたちは、80+20=100 100×4=400と計算していた。

 「1つの式に書くんですか?」と聞いてきた子は、(80+20)×4と書いていた。私たちの頃なら、文章通りに80×4+20×4と計算していたと思う。時代の遅れを痛感した。放課後子ども教室はしっかり時間割が決まっていて、昔のままの教育スタイルである。「私語が多い」「先生の言うことを聞いていない」と注意され、遊びの時間が削られたり、時間が来ても帰れないこともある。

 これほどまで、学校の授業のように行わなければならないのだろうか。放課後子ども教室は働く親に代わって子どもの安全を見守ることではないのか、そんな疑問が付き纏う。席も決まっていて、ドリル学習もある。宿題までは面倒をみるべきだと思うが、後は自由にさせてもよい気がする。

 学校の延長のようで、子どもは負担ではないのだろうか。だからだと思うが、大声を出したり、奇声を発したり、尋常でない子の方が多い。私のような年寄りには無理な気がして来た。子ども教室に通う度にストレスが貯まってしまう。最近、左胸がチクチク痛む時があり、3月で辞めさせてもらうつもりでいる。

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小4の孫娘と買い物に行く

2020年01月19日 17時37分38秒 | Weblog

 小4の孫娘に付き合って大型スパーへ出かけた。車に乗り込むとすぐにユーチューブを見ている。話しかけて画面から目を離すこともなく、「ウン」とか「ウウン」とかの軽い返事しかない。会話が続かないというより成り立たない。

 お目当ての店に入って商品を物色し始める。店内は子どもとその親でいっぱいだ。ほとんどが女の子で、中には女の子同士で来ている。どの子も鉛筆や消しゴム、筆入れやキャップ、ホルダーなどの小物を見て回っている。

 どうやら時間がかかりそうなので、「書店へ行ってくる」と断って店を出た。私のように付き合い切れない父親やジジイが、店の前でじっと中をうかがっている。書店に30分いただろうか、もう買い物も終わっているだろうと店に戻るが、まだ何か探している。

 やっと買い物を終えて出てきたが、孫娘はそんなに嬉しそうでもない。カミさんに聞くと、「8500円も買い物してしまったの。リュックが欲しいと言うので、今日はもうダメ」と言ったからのようだ。我が家に帰って、買い物してきた小物を得意そうに見せてくれたが、鉛筆や消しゴムなどで、そんな合計になることにビックリする。

 早速、友だちとラインでおしゃべりをする。「おばあちゃんに買ってもらった」と見せている。友だちが「いいね」と言うと、「8500円もした」と金額まで伝えている。おいおい、買って欲しくても買ってもらえない子もいるのに、そんな自慢をするべきではないだろう。

 ラインの相手の子がどういう子か知らないが、相手への思いやりも身につけて欲しい。孫は可愛いが、無条件に買い与えていいのかという気もするし、かと言って条件を付けるのもセコイ気がする。子育ては何時まで経っても難しい。私の子育ての基本は、「人には優しく、自分には厳しく」だったが‥。

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高校時代の友だちの回顧録が載っていた

2020年01月18日 17時42分05秒 | Weblog

 豊田市にある地域新聞社から「新聞」が送られてきた。今になってどうしてだろうと思った。私は高校の教員を辞めて、主夫に徹しようと家事労働に勤しんだが、どうにもやり切れなくて新しい仕事を探した。家事は評価されない労働だったし、子どものためにも収入が欲しかった。

 もともと新聞記者になりたかったので、高校の時の新聞部の仲間で、その時はカナダから帰国してその地域新聞で働いていた友だちに就職を頼んだ。友だちは「将来性が無い」と言い、やがて彼はその新聞社を辞め、大学の職員になってしまった。見せてもらった新聞はいい記事が多く魅力的だった。

 創刊して70年になるのだから、地域にすっかり根を張っている。こういう大手の新聞では見られない、地域情報に徹した新聞は少なくなっている。送られてきた新聞を見て納得した。高校の新聞部の仲間で元県議、今も市民運動に取り組んでいる友だちの回顧録の第1回が掲載されていたからだ。

 リニア新幹線工事に反対する彼は、「人類は自らの行動を制御する倫理を確立することなく、目先の欲望を満たすために科学技術を追求し、自らの手に負えないものを創ってしまった」と原子力発電を批判する。そして、「経済成長は我慢して、与えられた資源の中で、国民が協力し合って慎ましやかに生きていく国にしなければならない」と訴える。

 私たちの主張は高校時代からあまり変わっていない。みんなが公平に富を分け合う社会を理想としてきた。権力にいつも逆らってきたが、私は首長を目指したが、彼は議員として提案と監視に徹した。自分の信念を曲げず、何をすることが大事かを見極めていた。

 とうとう回想録を書く歳になってしまったが、彼はそれだけの活躍をして来た。次回を楽しみに待っている。

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正しいと思うものを応援する

2020年01月17日 17時23分38秒 | Weblog

 昔、タウン誌の制作を手伝っていた時に知り合った記者から、年賀ハガキが届いた。「5年間の中国勤務を終えて昨年9月に社会部に戻りました」とある。家族ぐるみで駐在していて、毎年の年賀ハガキに家族写真が載せてあった。

 「司法担当のデスクを拝命し、新聞社に入って初めて自分で取材しない仕事をしております」と続く。出世したのだ。私が地域新聞を作っていた時に知り合った記者たちも定年を迎えている。議員秘書だった時に出会った写真週刊誌『フォーカス』の記者はどうしているのだろう。

 『フォーカス』は写真が売りだったが、記事の文章が絶妙で、私がそのことを話すと若い記者は少し照れながら、「やった」と自慢気な顔をした。人に伝える仕事をしている連中は皆、信念を持っていた。そんな気がする。

 今、誰でも発信者になれる。スマホで動画を撮って、SNSに載せれば、正しいとか正しくないとかに関係なく、みんなに発信することが出来る。メチャクチャ怖い時代だ。発信する側に誠意とか信念があるとは思えない。「オモシロイ」「ユカイ」「スゴイ」しかない。

 新聞や週刊誌のように、「よいもの」だけが生き残るのだろうか。いや、新聞は購読者が減っている。暴露型の週刊誌しか生き残れないのかも知れない。予想が出来ない時代になってきた。正しいと思うものを応援しないといけない時代なのかも知れない。

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親の務め

2020年01月16日 17時22分24秒 | Weblog

 テレビが学習塾のコマーシャルで、「学力の高い子は、将来の収入も高い」と言っていた。小学校の教員だったカミさんは、「普通の生活が出来ればいいんじゃーないの」とテレビに向かって文句を言っていた。

 日本の高校進学率は96%もあり、大学進学率も60%近い。それは何よりも親世代が、「進学した方がよい」と考えているからだ。高卒よりも大卒の方が給料がよいからだが、ところが今、企業は年功序列給与から成果重視に変ってきている。

 大卒で就職しても、高収入が保証されている訳ではないのだ。それでも大学に進学させるのは、「親の務め」と考えている。子どもたちが大人になる頃は、社会の価値観も変わってきているかも知れないが、親はそんなことよりも「親の務め」を果たしておきたいのだ。

 自分の将来は自分で決めればいい。親に決めてもらうことはないが、親に金は出してもらわなければならない。金を出すのは「親の務め」である。金は出しても口は出さない方がいい。困っていれば相談にのることも「親の務め」だ。

 子どもは親の所有物ではない。親の血を受けてはいるが、別の人格を持った個人である。親の価値観や考えを話すことはあっても、縛ってはならないだろう。どんな大人になっていくのか、親は静かに遠くから見守る役に徹することだ。

 「親は自分に都合のよい子に育てたがる」と親を毛嫌いしていた人も、親になると「自分に都合のよい子」に育ててしまう。なかなか子離れも出来なくて、子どもが巣立ったのに子どもの心配ばかりしている。それも愛情なのだろうが、子どもには重い。我が家の子どもたちはどうだろうか。

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人はどこへ向かっているのか

2020年01月15日 17時52分30秒 | Weblog

 午後、猛烈な風が吹いて、マンションの玄関ドアが「ヒュー、ヒュー」と音を立てて鳴り出した。昨夜は初雪かと予報されたが、雪にはならなかった。暖かい冬で、何かが起きる前触れのようで気持ちが悪い。そうかと思うと、午後のように突風が吹く。ルーフバルコニーの鉢植えの椿が、隣のスイセンの鉢に倒れ込んでしまった。

 マンションの南側の庭のスイセンはもう咲き始めている。我が庭のスイセンは充分な背丈に育ったのに、花の茎は1本も見当たらない。いつも寒い冬は嫌だと思っていたが、どういう訳か、好きになる女の子は1月生まれだった。ちょっとひょうきんで変わっていた。本人は「私は常識者」と思っていたかも知れないが、私には「可愛い女」に見えた。

 私は常識的に生きてきた。強い自己主張もせず、集団が出来ればバランスをとる係だった。小学校の4年生までは、おとなし過ぎる、積極性が欲しいと通知表に書かれていた。自分を変える努力はしたが、常識を逸脱することはなかった。なのに、自分の人生を振り返ってみると、普通の暮らしが出来ていない。

 そろそろ人生の終着点なのに、なかなか我欲から抜けられない。誰でも仙人のように人生を悟ることなど出来ないだろうが、それでも知識と教養で我欲を棄てられそうなのに、人はなかなかそのように生きることは出来ないようだ。キリスト教の国である欧米で、信者は減っていると聞く。イスラム教の国でも、仏教の国でも、同じ現象だろう。人はどこへ向かっているのか。私が欲しいものはー。

 

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井戸掘りブログは開設できたけど、

2020年01月14日 17時12分16秒 | Weblog

 井戸掘り仲間から指示されて、井戸掘りブログを再開しようと挑んだが、上手くいかなかった。最初に、友だちが立ち上げてくれた「はてなブログ」に、何度かトライしてみたがダメだった。新規登録ならできるのではないかと試みたが、「メールアドレスが違う」となってしまう。Wixブログでは開設できたのに、記事が書けなかった。

 それなら初めからやり直そうと思い、知り合いが使っている「アメーバブログ」でやってみた。おお、何とか開設できた。写真も取り込むこともできた。ブログのデザインが気に入らないが、これも変更できるようなので、いずれはもう少し見た目をよくするつもりだ。写真の大きさや記事の位置も変えられるなら変えていきたい。

 昨日は「成人の日」。1月15日が「成人の日」だった私たち年寄りはどうも馴染めない。ラッキーマンデーということで月曜日に定められたが、週の途中でも決まった日の方がよいと思うのは古い人間だからだろう。「朝のことは忘れても、若い頃のことは覚えている」と人は言うけれど、ホンのつかの間のことなど忘れてしまって当然だろう。

 朝のことが重大なことなら、きっと覚えているはずだ。毎日が同じことの繰り返しだから、朝飯を食べた後は何したっけ?となってしまう。私は3日間、一度も外出せずに家に居たから、当然だが誰とも会わないし、電話もメールも無いから会話もない。人との接触がないと、ものぐさになってしまう。

 家から一歩も出ないのでは、最後の恋のチャンスも生まれない。これでは先輩たちとの約束が果たせないばかりか、競い合うことすら出来ない結果となってしまう。困った。

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こらえ性の無い大人が増えた

2020年01月13日 17時48分20秒 | Weblog

 小学校の運動場から子どもたちの声がする。「何やってるんだバカ。言われたとおりにやれ」と大人の怒号が聞こえる。あれ、授業があったのかと思って見ると、サッカークラブの練習だった。いくら何でも、先生があんな言い方はしないはずだ。なぜ、そう思わなかったのだろう。

 団塊世代の教員が退職して、若い男性の教員が増えた。運動場から、そんな先生の元気な声が聞こえてくる。少子化のため先生の採用人数は少なく、教員採用試験は難しくなっているそうだ。「成績の良い人が多いから、出来ない子の気持ちが分からない」と古手の先生は嘆く。

 名古屋で名城大学の学生が、(学生を指導する?)准教授をハサミで刺した。「単位をくれないなら、殺してやろうと思った」と学生は供述している。「お菓子をくれない」と駄々をこねる赤子ならまだ可愛いが、大学生が何という短絡的かと情けなくなる。

 そういえば、自分が乗りたかった高級外車を持っているのに嫉妬して傷つけたり、ムシャクシャして腹が立ったと他人をバットで殴ったり、全く自分勝手でこらえ性の無い大人が増えた。あおり運転を繰り返していた男も自己顕示欲の強さが窺われる。

 今日は「成人の日」で、各地の成人式の様子が放映された。20万円も30万円もかけたという衣装のド派手な男の子たちがインタビューに答えていた。「育ててくれた母と一緒に写真を撮りたい」「お世話になった先生にお礼がしたい」「父のような男になりたい」。見かけでは分からない。なかなかいいことを言う。ポロっと泣かされた。

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怠け者の自己防衛論

2020年01月12日 17時25分49秒 | Weblog

 朝から何もせずにテレビばかり見ていた。サンデーモーニングを見ながら、「アホくさ」と呟いている自分が嫌になる。中東情勢の危機とか、朝鮮半島の危機とか、ニュースは取り上げるけれど、そもそもアメリカはなぜイランや北朝鮮を敵対視するのだろう。

 報道では、イランや北朝鮮が核開発を行ない世界平和を脅かしている。北朝鮮はアメリカまで届くような大陸間弾道弾を開発している。だからと言う。イランや北朝鮮は、アメリカにいつ攻撃されるか分からないから、核で防衛すると理由を上げている。

 相手の国より多くの武器を、相手の国より打撃の大きな武器を、なぜ持つのかと言えば、攻撃されないためだ。「みんなが武器を持たなければ、攻撃も防衛も必要ない」と私が力説しても、「また、そんな夢のようなことを」と笑うが、人間は信用できないと言っているようなものだ。

 どこの国の官僚も政治家もウソをつくし、賄賂や収賄は無くならない。政治への不信は増しているが、せいぜいデモで表現する程度だ。中国共産党の支配を危惧した台湾の若者たちは、選挙で力を発揮した。香港から逃げてきた人々の存在も大きいだろう。

 流されてくる情報で、人は左右される。私の知る人は、「韓国や中国はずるがしこい」とよく言う。何を根拠にそう思うのかと聞いていると、たいていは新聞やテレビの情報からだ。そういう面もあるかと、一歩引いて考えずに、疑いも無く同調する。

 けれど、同調するのは受け入れる基盤が彼にあるからだ。自分の国を悪く言う人はいないが、他国ならむしろスラリと受け入れられる。「悪いのは」と決めつけることでスッキリするのだ。そんなことを思うと、なぜか何もしたくなくなる。怠け者の自己防衛である。

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