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2023.12.01 新しい飾り台の上に飾るもの2つ。

お正月と、11月29日の私の誕生日を祝うために、新しい飾り台を買ったことは
前日に書いた。

さて、この上に飾りたいものが2つある。


(その1)
<父の形見>
私の父は、船乗りだったので、おそらくこの様なものが沢山あったと思われる。
その中の一つが残っている。
これが大切な父の形見である。

(その2)
<母の形見>

昔、母と買い物に行った。
あるお店に、この人形があった。全く同じ人形がいくつも並んでいた。
全く同じだったので、違いという違いはなかった。
それなのに、母は優しく「どれが良い?どれが一番好き?」と何度も私に聞き、
「一番好きなのを選びなさい。」と言った。
私が選ぶと、「ほんと?それで良いの?好きなのを選んだら?」と何度も言った。
全部、全く同じ人形なのに、それで良いの?と何度も言った。

その時、その優しい言い方の中に、自分の形見として残したい、という母の意思を私は
強く感じた。
私に形見として残したいのだ。
母は、九州人で、九州人は、優しい物言いをすることを「猫撫で声」と言って嫌う。
今の九州人は知らないが、昔はそうだった聞いている。武人の考え方かなと思っている。
だから、普段の母の言い方には、優しいトーンは少なかった。
しかし、その時の母は違った。優しく優しく、何度も聞いて来た。
あんなに優しく人形を選ぶことを何度も促したことは、後で考えても、母の気持ちを
推し量ることができる。

その頃の我が家には、飾り棚はなかった。
私はずっと飾り棚が欲しいと熱望していた。いつか買いたいと。
それで、いつか、飾り棚を買う日まで、この人形を壊さず、大切に保管したいと思った
私は、この人形を真綿に包んで、桐の箱にきっちり納めた。

今考えると、その桐の箱には、私の力作の自慢の陶器が入っていた。
母も、それを褒めてくれていた。
私は、それを、放り出して、このお人形を桐箱に収めたらしい。
今その陶器は見当たらない。

阪神大震災後、香港旅行から戻った私は、全壊の家の瓦礫の中で、このお人形を探した。
箱を見つけて、お人形が無事だったことを知った時の感激。
桐の箱の中に、無傷で見つけたこのお人形を見て、やっぱりね、私が真綿にきっちりと
包んで、桐の箱に入れていたのは,正解だったと思った。
もう、これさえあれば充分だと思って、深く感謝したのを忘れない。


この2つは、今までは、飾り棚(18年前、友人から転居祝いに頂いた)の一番上段の
一番奥に、並べて飾っていたが、これを今回購入した飾り台に飾ることにした。

感謝でいっぱいの誕生日、そして、やがてくる輝かしいお正月。
幸せな日常に深く感謝の日々です。

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