日曜の朝食は大体いつも目玉焼きにサラダと、トーストにコーヒーと決まっております。
今朝も遅い朝食を食べながら、珍しくNHKを見ると「ご近所の底力」の、再放送をやっておりました。
内容は途中から見たので、運営方法は詳しく分かりませんが、団地の独り暮らしの高齢者のために、日曜に食事を用意して“さわやか食事会”なるものを開き、高齢者同士の交流を増やそうというもの。
現実の成果としてコミュニケーションが増え、元気を取り戻す高齢者が多くなってるとか。
このアイデアも良いと思いますが、高島平に置き換えて別なことを考えてみました。
高齢者の人をゲストだけとして招くだけではなく、料理の作り手側にも回れないものかと。
今までの制度だと、与えるだけの一方通行型の、サービスばかりだったと思います。
作るのが可能な人には作り手として参加して、食べた相手の話しを聞くことで、作る張り合いが生まれたり、会話の密度が深まる参加型のサービスが、有っていいと思いました。
人間の脳細胞の大部分は使われないそうですが、人間自身も自分の力を眠らせてることが多いと思います。
私の義母の味付けは、深みがあってとても好きです。
例えば自分の部屋にこもってる高齢者同士で、家庭の味を売り物にした食堂に携わるとどうなのか?
飽食の時代にオフクロの味も、悪くない気がします。
今朝も遅い朝食を食べながら、珍しくNHKを見ると「ご近所の底力」の、再放送をやっておりました。
内容は途中から見たので、運営方法は詳しく分かりませんが、団地の独り暮らしの高齢者のために、日曜に食事を用意して“さわやか食事会”なるものを開き、高齢者同士の交流を増やそうというもの。
現実の成果としてコミュニケーションが増え、元気を取り戻す高齢者が多くなってるとか。
このアイデアも良いと思いますが、高島平に置き換えて別なことを考えてみました。
高齢者の人をゲストだけとして招くだけではなく、料理の作り手側にも回れないものかと。
今までの制度だと、与えるだけの一方通行型の、サービスばかりだったと思います。
作るのが可能な人には作り手として参加して、食べた相手の話しを聞くことで、作る張り合いが生まれたり、会話の密度が深まる参加型のサービスが、有っていいと思いました。
人間の脳細胞の大部分は使われないそうですが、人間自身も自分の力を眠らせてることが多いと思います。
私の義母の味付けは、深みがあってとても好きです。
例えば自分の部屋にこもってる高齢者同士で、家庭の味を売り物にした食堂に携わるとどうなのか?
飽食の時代にオフクロの味も、悪くない気がします。