CubとSRと

ただの日記

再び「天皇制」という悪訳のこと

2020年05月10日 | 重箱の隅
2013.08/11 (Sun)

 最近、心なしか、またぞろ「天皇制」という言葉が口にされるようになった、耳につくようになった、ことについて、です。それも愛国、護国を叫ぶ人々までもが、その言葉を遣う。

 「天皇制」という言葉は、西欧の「君主制」に倣って、コミンテルンがつくった訳語です。「君主制」は国王と国民が対峙、対立する形で存在する国の「仕組み」です。
 それに倣って「天皇と国民が対峙している」と恣意的に捉えた結果、「天皇制」という訳語がつくられました。

 しかし我が国は、天皇と国民が対峙するのではなく、同じ方向を向いて共に国の弥栄を願い、日々を懸命に生きる、というのが本来の形です。
 ですから「天皇制」と言うのは「国を仕組みと捉えない、我が国の在り方」に全くそぐわない訳語なのです。日本は国民が天皇を戴く国です。

 「天皇家」という言葉も同じです。日本には「皇室」はあるけれど、「天皇家」、等というものはない。
 天皇は国体(國體)であって、どれだけ高貴であろうと日本の中の一部である「家」等ではない、からです。
 だから、「皇室」、なのであって、「皇室」は皇統が途切れないように皇族が守る。

 唯一無二の存在である皇室を、わざわざ「御」皇室と言い、「王家と言うのはおかしい」と言いながら「天皇家」と言い、「国体護持」と言いながら「天皇制は我が国独自のもの」などと言う。
 こういう言葉こそ大事に考えなければ、「言霊の国」も何もないでしょう。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

   違和感のある言葉②「天皇制」  (2012年3月5日の日記)


 「天皇制」って言葉、よく聞きますけど、違和感、ありませんか?

 昔、美濃部達吉博士(昔の都知事、美濃部亮吉の父)の「天皇機関説」というのがありました。
 「畏れ多くも天皇陛下を『機関』、とは何事だ!物みたいに。不敬ではないか!」ということで、博士は尋問を受けたのだそうですが、
 「私の論文のどこに陛下を愚弄するようなことが書いてあるというのか!」
 と、博士は一歩も退かずやり合ったのだそうです。
 主義の違いはともかく、学者たるもの、学説を主張するに命を懸ける事は誉められこそすれ貶されることではない。言を左右にして絶対に謝ろうとしないどこかの政治家に比べたら、数等良い。

 それはともかくとして。
 天皇陛下を、学説としてそうであっても、現実に「機関」と表現するのは、相当な覚悟の上だったのでしょう。

 「天皇機関説」。
 国家という大きな仕組みは、有機的な生命体と言っても良いもので、その複雑な構造体には、頭脳(中枢)や心臓となって国を動かす(国政)存在が必要不可欠であり、我が国では天皇がその必要不可欠な存在であって、何事に於いても天皇の聖断を仰がなければならない。正に天皇という存在は国を成り立たせる最重要な「機関(仕組み)」なのである。
 大まかに言えばこんなところでしょうか。

 「我が国にとって何より大切な仕組み(機関)」と唱える美濃部達吉博士に対し、「天皇陛下を物と同じような見方をしている」と怒ったのが、軍部と野党の立場。唯物思想と皇国美化視の対決です。
 しかし、根本的に価値観が違うのだから、双方共に天皇陛下を尊崇してはいても、平行線です。
 軍、野党は陛下を神聖視(確かに、帝国憲法には『天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』とありますが)しているのに対し、美濃部博士は「国体」の最重要な存在であると、存在意義の面から尊崇していた。
 尊崇はしていても、一方は「神として」、であり、一方は唯物思想で、しかし国家を定義する「法」に於いて、特別な存在、としていた。
 だから、軍、野党から見れば不敬にしか見えないし、美濃部博士からすれば、「頭脳のような存在」ということのどこが不敬なんだ!ということになる。

 自信を持って反駁する博士に対し、遂に罪を問うことはできませんでした。
 「どうも不敬ということではなさそうだな」となった、と見ます。

 ところで、この「天皇機関説」の「機関」というのは、意訳なんだそうです。
 本当は「機関」でなく「器官」。
 だから、「天皇機関説」でなくって、本来なら「天皇器官説」です。
 こう書いたらどんな感じになりますか?
 「天皇機関説ならまだしも、天皇器官説とは何だ!不敬だ!」
 となりませんか。
 美濃部博士も「器官説」という、臓器を思わせる(臓器ですけど)生々しい表現でなく、その存在の意義ということで敢えて「機関」としたのでしょう。

 でも、これ、よくよく見ると「機関(仕組み)」という命のないものに対して、「器官」は血の通った最重要な存在という感じは強くなります。
 美濃部博士でさえ「器官」と訳するのをためらって「機関」とした。
 しかし、そのために却って血の通わない冷たい仕組みとしか捉えられなくなった。(勿論、「天皇器官説」とやったら、全く問答無用、だったでしょう)

 唯物思想と天皇陛下、さらには皇室、は相容れないもの、と結論付けるのは簡単なことです。けれど、それでは「ああそうですか」、で終わりです。
 繰り返しますが、美濃部博士が「器官」とせず、「機関」としたこと、また自分は陛下に不敬の気持ちなど、毛頭ないと主張したことから、陛下を尊崇する気持ちはあったと思います。
 ここを見なければ唯物思想を持つ日本人は、日本人ではない、と切り捨てられるばかりになる。

 さて、では本当に、天皇陛下は「器官」乃至は「機関」なのか。
 現実の現代社会ではそう解釈されてもしょうがないでしょう。

 「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基く」
 とあります。
 「象徴という立場であり、日本国民がそれを決めているのだ」となっています。これこそ不敬な条文です。
 「国民の総意が天皇の地位を認める(総意に基く)」ということは、「国民の支持」どころか「国民の指示(指図)」といっているのと同じでしょう?

 「だから占領下で主権のない状態でのみ存在した、『日本国憲法』という名の占領国統治法なんだから、昭和27年の独立によって無効になったんだ。大日本帝国憲法には、ちゃんと書いてある」
 と現憲法無効論を唱える人は居ます。確かに筋の通った考え方です。

 けど、それが欧米式民主主義の中では、民主主義だから多数の意見を採るが故に、「そんなこと知らない」という国民が大多数の中では、いくら言ったって通らない。

 百歩譲って、大日本帝国憲法ならどうでしょうか。
 確かに、こちらは「国民の支持、指図」は関係ない。けれど、こう書いてある。
 
 国民の支持、或いは指示について書かれてはいないけれど、帝国憲法の「神聖にして侵すべからず」という文章は、一体誰が定めたのでしょう。天皇自ら?
 「欽定憲法なんだから、天皇自らが定めた」ということになりますが、やはり、自分のことを自分で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と書いたにしても、設定は、「憲法によって天皇の地位が定められている」ということになります。

 つまり帝国憲法でも、いや、帝国憲法でこそ、天皇の地位は「神聖ニシテ侵スヘカラ」ざるものと「規定」されています。
 国、国体を「仕組み」として捉えたら、唯物思想からであろうと皇国美化視からであろうと、こんな風に「規定」されざるを得ない。

 そうではなくって「国体の本義」は?と、つまり、「仕組み」でなく、目的は?と捉えたら命の流れが見えて来ます。血の通ったものになる。
 そして、「国体の本義」なら、早くから明らかにされている。あの「天壌無窮の神勅」に書かれている。
 「この日本の国は、天照大神の子孫である天皇が治める国」の一言です。
 「天皇が治める国」。それだけ、です。

 この一言が何故「国体の本義」を明らかにしていると言えるのか。それはそこに続く言葉で具体的に説明されています。
 「天皇が(民草と共に)栄えよ、天壌((と同じく)に窮まることが無いように(栄えよ)。」
 天皇も赤子である国民も共に、ということです。

 こう見て来ると「天皇制」という言葉は、「国体」に「天皇」という存在を配置する(制度化する)国家体制を意味する言葉になります。
 それは「天皇器官説」、或いは「天皇機関説」そのものです。

 「皇統の護持を。皇室の弥栄を」という人々が、そのために「天皇制云々」と口にすること。妙に違和感があるわけです。

 まあ、単純に「天皇制」という言葉は、歴史を「階級闘争史」として見る戦前の共産党が造った言葉ですから、違和感があるのは当然のこと、と言われたらそれまでなんですが。


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「西洋道中膝栗毛」が初出らしい

2020年05月10日 | 重箱の隅
2013.08/10 (Sat)

 前回の日記は
 「馬鹿だの、ちょんだの、野呂間だの」、が題名。
 そして冒頭は
 《職場の先輩が手にしたカメラを見ながら、
 「これ、バカチョンみたいなもんや。もっとエエの、欲しいんやけどな」
 それに対して
 「バカチョンって、差別用語でしょう?」~》

 私の日記を何回か読んで下さった方は、「えっ?この人、こんな日記書くのか?」と驚かれただろうし、ずっと前からの人は、「また、何か執着してるぞ」と呆れている。
 でも、まあいつものことだわい、また脱線しまくって関係のないこと書いてるんだろ?、と。
 
 でも、初めての人は、題名見ただけで「えっ、何これ。感じの悪い」、となったんじゃないでしょうか。
 そして、きっとそういう人って「馬鹿だの、ちょんだの、野呂間だの」、の初めの二語、「馬鹿だの、ちょんだの」まで読んで、後に続く「野呂間だの」は見落としている。
 続く冒頭の文章が「バカチョンカメラ」のことだから、これで見落としていたことは完全に忘れてしまう。
 そして思う。
 「ははあ。やっぱり、先日の『バカでもチョンでも』発言をネタにした日記だな。けど、目新しいことは書いてなさそうだし。パス!!」

 それでも、中には奇特な人がいて、一応見に行くか、とか最後まで読んでみるか、となる場合もある。
 見たら、朝鮮を貶すどころか、「朝鮮を尊敬すべき」などと、とんでもないことを書いている。
 勿論、「明治3年当時の朝鮮は尊敬されていた」と書いてるだけなんですけど、「尊敬」の二文字を見ただけで、「あんな非道なことをする朝鮮を『尊敬せよ』とは何事だ!!!」となってしまってもう最後まで読む気がしなくなる。

 違うんですよぉ~。そんなこと書いてないんですよぅ~。
 そんな最初の数行だけで決めつけたら、麻生叩きのマスメディアと同じになってしまいますよ~ぅ。

 というわけで、是非前回の日記を読んでくださいね。
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馬鹿だの、ちょんだの、野呂間だの

2020年05月10日 | 重箱の隅
2013.08/09 (Fri)

 職場の先輩が手にしたカメラを見ながら、
 「これ、バカチョンみたいなもんや。もっとエエの、欲しいんやけどな」
 「バカチョンって、差別用語でしょう?」
 「えっ?ホンマ?」
 「バカでも朝鮮人でも、ってことなんでしょう?」
 「あ、そうか」
 「だから最近は、ワンタッチカメラって言うようにしたみたいですよ」
 「そうやなぁ。けど、何か言い難いなぁ」

 昔々のことです。知ったかぶりして、こんなやり取りをした覚えがあります。
 それが数年前、何かの拍子にネットで、この表現が目に入りました。
 そして、次に目についたのは「バカチョンは朝鮮人差別の言葉ではない」の一言です。

 その時、「火切り鎌(火打ち鎌)」の時のように、ちょっとでも考えて見りゃ良かったんだけれど、そんなに気にならなかったのか、それとも、説明が書いてなかったのか、読み流してしまったのか、すっかり忘れてしまって、相も変わらず、昨日まで、「バカチョンは差別用語」と思っていた。

 それが先日の御存じ「馬鹿でもちょんでも(当選できた)」発言。
 また失言だ、なんだ、となるんだろうなぁと思い、でも、これは麻生副総理の時の込み入った誤解釈と違って分かり易い、それこそちょっと普段の行動が問題、かもなぁ、なんて思ってました。
 そしたら、またもや「バカチョンは差別用語ではない」という意見が目に入った。
 その上に昨晩は「馬鹿でもちょんでも」の「ちょん」は、小さいという意味だ」という日記まで目にしました。

 「ん?『ちょん』ってそんな意味があったのか?」
 少なくともネットでは「ちょん=朝鮮人ではない」という文がやたら目につく。
 しかし気になるのは、何故「馬鹿」の対句が「ちょん」なのか、ということ。ちっとも対句になってないじゃないか!「馬鹿」の対は「賢しい」、だろ?
 それで何となく
 「チョンは朝鮮人ではない」、のなら、きっと「丁髷のちょん」だろうな、と思い始めた。

 ところがこの「バカでもチョンでも」、の初出は、明治の初め頃(明治3年)に書かれた仮名垣魯文の「西洋道中膝栗毛」、らしい。
 一度は聞いたことのある名前でしょう?
 勿論「東海道中膝栗毛」をもじってつくった物なんですが、言ってみれば、西洋を舞台にした戯作なんだとか。弥次郎兵衛、喜多八の孫が連れ立って行く、という設定。
 だから、文章も滑稽さを追究するわけですから、言い回しもそんな色があります。
 その中に「馬鹿だの、ちょんだの、野呂間だの」という言い回し、表現があります。江戸時代からあったんでしょうか?
 少なくとも仮名垣魯文は面白い言い回しとしてこの作品に遣った。それは間違いない。

 で、やっと合点がいきました。
 「バカ」と「チョン」は対ではない。バカ→チョン→ノロマというのは物事の「程度」を表わすための言い回しだったんです。
 「バカ」より「チョン」が、マシ。「チョン」より「ノロマ」の方がマシ。
 だからこれは「バカでもチョンでもノロマでも」=「誰だって」という意味になる。

 さて、それで「チョン」の意味なんですが。
 昔、「チョンの間」という言葉が一般的に遣われていました。
 二通りの意味があります。
 「ちょっとの間に」という意味と、「ちょっとの間に(ナニを)する部屋」。

 「ちょん」は丁髷のちょん、であり、「ちょっと」の間のちょん、だったわけです。
 いつの間にか「ちょっとの時間」という意味が抜け落ちて、「ナニをする」という意味合いの方ばかりが大きい顔しているようになった。
 「『バカでも、ちょんでも』、って『バカでもちょっとでも』?そりゃ変だろう。変だよやっぱり。」
 省略されてますよね、「ちょん」の後の言葉が。
 今の言い方だったら、
 「バカでも、ちょっと(バカ)でも、ノロマでも」。
 これ、
 「大馬鹿でも、小馬鹿でも、薄らバカでも」
 でしょう。
 バカの三段階、です。「大馬鹿・小馬鹿・薄ら馬鹿」。いかにも滑稽本の言い回し。
 こう考えると、「ちょんは小さいという意味」と書かれていたことは自然な解釈、となってきます。

 「西洋道中膝栗毛」が書かれた時、既に「ちょん」というのが朝鮮人の蔑称だったとしたら、こんな言い回しができる筈もなく、また、作者仮名垣魯文が朝鮮人を意識してこの言い回しを使ったとなれば、魯文は変人を通り越して異常です。
 明治3年と言えば、西郷隆盛だって他の重職にあった人々だって、朝鮮を尊敬こそすれ、蔑視などをしていた時期ではありません。
 そんな当時の世界常識にない発想で、「馬鹿だの、ちょんだの、野呂間だの」、なんて言い回しを得意げに遣っていたんじゃ、こんなの滑稽本たり得ない、ということになりませんか??

 ところで、今回、早速に発言を撤回したそうですね。
 今、問題を起こすわけにはいかないという政府と、差別用語認定した新聞社。
 う~ん。何だか色々考えさせられます。



コメント (2)
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