CubとSRと

ただの日記

「目指していること」

2020年05月31日 | 心の持ち様
2010.11/02 (Tue)

 録り貯めていた「仮面ライダー オーズ」を初回から見ていました。
 大きな賞を若いうちからとってしまったカメラマンが、仕事を選ぶようになり、情熱が薄れ、賭け事に没頭してしまう話。

 まともに日記を書かなかった、この十日あまりの間、例によってシナの傍若無人ぶり、それと歩調を合わせての、ロシアの身勝手なやり方、米国の、目先の利潤追求だけの姿勢、等、次から次へと、よくもまあ欲の皮の突っ張った恥知らず共が、と思わされることばかり。
 勿論、我が国の国内も、です。
 
 何でも、仙谷官房長官は、官房長官になる時、数十年間使ってきた秘書を、「彼は左翼だから。左翼は政権には要らない」と切り捨てたそうです。
 わかります。痛いほどよく分かる。
 そして(でも、でしょうか)自身を「左翼だから」と言って、切り捨てることは、絶対にしない、という、この態度。

 左翼は、教条主義に振り回されるため、切り捨てるしかない。
 しかし、官房長官となり政治の中枢に居る者は、たとえシナ(中共)にシンパシーを感じていても、修正主義を採り、自分だけはそれが許される、と思っている。
 自身の中では、修正主義を選ぶのに、少しのためらいもない。
 ところが、考え方の本質は、やはり、教条主義から抜け出せない。
 その自分への甘さ、また、その認識の甘さ。つまり、ロマンチシズムに傾き、シナに対して、修正主義に徹することができない。
 にも拘らず、「できる」、と思っている。いや、夢想している。
 あの顔で、まだ共産主義を、目を輝かせながらロマンチシズムで見ている。

 若いうちに大きな賞を取ってしまったカメラマン。次に自分が撮るべき写真を見失ってしまった。その結果、カメラを全部、質に入れ、流してしまう。

 大きな賞の裏には、大金が副賞としてついている。
 死を覚悟するほどの苦しみの結果、得た大賞なのに、副賞の大金で、その熱情は、その程度の金に換算できるもの、と思ったのでしょうか。

 民主党は政権を取りました。そして次に撮るべき写真(国家の理想像)を見失ってしまった。
 その結果、今の平和のために、国を少しずつ売ろうとしている。

 「政権」の裏には、喩えようもなく甘い蜜があった。
 そして、民主党は「理想像を探し続けること」を諦めた。

 

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正論「編集者へ/編集者から」(10・19の日記)

2020年05月31日 | 心の持ち様
2010.10/28 (Thu)

 「(民主党内閣は)一国の舵取りのできる技量など、とても持ち合わせているとは思えません。しかし、自民党を見ても、国益を守るために、清濁あわせ飲むような政治家は見当たりません。『国会議員のレベルは国民のレベルに等しい』という真理がつくずく身にしみる今日このごろです。」
             (正論「編集者へ/編集者から」より)

 「しかし、自民党も~。」
 このパターン。「国民のレベルに等しい」のは、何故か。

 政権交代後、かなり長い時間、民主党は、「自民党が~」「自民党の時に~」等の、いわゆる「ジミンガー」攻撃を繰り返して来ました。
 初めて言われたのは、鳩山前総理の、「あなた方に言われたくはない」を皮切りとする、「あなた方に言われたくない」攻撃。
 「品のないやり方だな」、「恥ずかしくないのかな」、とその都度、思っていたのですが、驚いたことに、出て来る大臣みんなが、約束でもしたかのように「あなた方に言われたくない」を繰り返し、いつの間にか、それは「ジミンガー」に替わって行きました。

 「品がない」のも「恥ずかしくないのか」という気持ちも、見事にレベルダウンさせない、品のない言い回し、「ジミンガー」。
 確かに「一国の舵取りができる技量など、とても持ち合わせて」いない、「学級会内閣」だから、仕方がない。
 ああでも言わなければ、早々に解散するしかない。窮余の一策だ、というのは、痛いほどよく分かります。
 何しろ、与党なんて、まともにやったこと、ないんだし、元々実力など、あるわけもない。初めての政権で上手くいくわけもない。
 その上に、自民党の何倍も雑多な考え方の議員の集まりです。新人も一杯。

 「海のものとも山のものともつかない」という言葉がこれほど似合う党もない。駄目に決まっている。「上手くいく」と考える方がおかしい。
 それが分かっていながら彼の党に投票した者に、「不明を恥じよ!」と言って何とかなるなら、百万遍でも言おう。
 でも、いくら言ったって、それは国論の分裂、国民同士の反目を生むばかり。
 とにかく「駄目に決まっている」と思っていたら、「やっぱり駄目だった」。
 それ以上言いようがありません。

 でも、このままじゃ、国はなくなる。「じゃあ、どうするか」、です。

 急場では(今がそうですが)民主党が一日でも早く政権を手放す、というのが次善の策、です。そして、自民党に任せる。
 ところが、「しかし、自民党も」、と反歌のようにくっついてくる。
 「民主党も駄目だけど、自民党も・・・・ねえ。」

 これじゃ、どうしようもない。「どうしようもない政権」が一年間余りで「どうにもならない所」まで、我が国を追い込んでしまった。

 もう一度。「じゃあ、どうするか」
 政界再編?そんなこと、してるひまはない。やっぱり、弱体化した、とは言え、自民党に任せるしかないのは、当然過ぎるくらい当然のこと。
 つまり、「しかし、自民党も・・・」という考え方こそが、おかしい。

 そんなこと言ってたら、新しい政党が生まれるんでしょうか?言ってて生まれるんなら、いくらでも言いましょう。でもそんなこと、あり得ない。
 「右腕を切られたら左手で。両腕を切られたら、噛み付いて、でも相手を倒す。」
 命懸けで何かをやる時には、こう考えるのが鉄則です。次善は自民党しかない。

 「自民党がやって来たことの結果が、今の財政破綻寸前の国の状態じゃないか」
 そうですよ。その通り。
 けれど、自民党は、国を売ろうとしたことはありませんよ。
 内部に、そういう者が居るのを排除出来ず、間間で油断した時に大きな失敗をやっているけど、経験不足もある、とは言え、民主党のようにたった一年で、これだけ国を崖っぷちにたたせるようなこと、自民党がしましたか?
 
 今の自民党に対する評価の仕方は、毎年行なわれる百点満点のテストで、取った点の累計でなく、取れなかった点の累計で、
 「こんなにとれなかったんだよ!」と言っているに等しい。
 「それにくらべて、民主党は70点も取っている!」一年だけですからね。
マイナス30点。50年以上も政権を取っていた党と、こんな比べ方、おかしいでしょう?

 「国会議員のレベルは国民のレベルに等しい」だなんて、何、上から目線で言っているんだろう。一体どこの国の話をしているのか。
 我が日本のことを、この期に及んで、まだ「この国」呼ばわりするのか。
 それを、情報弱者と言われる多くの国民が真似るもの、と、まだ分からないのか。
 国民が、国会議員を認め、期待するのは、
 「私のために何をしてくれるのか」、であってはならない。そんな乞食根性であってはならない。
 「私が誇れる国を実現してくれ」であるべきではないか。応援団であるべきではないか。
 国民は乞食でなく応援団であるべきではないか。その矜持、誇りを教え、支えるのがメディアではないか。
 
 「正論」の編集者への期待も大きいのだ。
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