古伊万里江戸後期物の魅力

古伊万里江戸後期ものを中心としたブログです。
その日の気分で、俳句も作ってみようと思います。

青手伊万里

2008年03月16日 13時54分06秒 | 古伊万里=色絵中皿



古伊万里って、たいがい赤と呉須の青が基調の器が多いですが、まれに、
グリーンを基調としてた作品があります。
これは、たぶん菊の花では、ないかと思います。
強いて言えば、菊唐草とでも言うのでしょうか。

グリーンの唐草のまわりは、墨の絵の具で、丁寧に、縁取りがされています。




数が少ないので、青手伊万里などと、呼ばれています。
珍品のたぐいなので、けっこう人気があります。




この唐草は、むかしの風呂敷の唐草とよく似た図柄ですよね。
そのむかし、東京ぼん太、が背広に仕立てていましたよね。(笑)





真中の龍は、デッサンが崩れていますので、あまり鑑賞しないようにしています。(笑)




 江戸後期のころ、直径約、27,5cm高さ約9㎝



えびす様の大皿

2007年12月29日 15時59分30秒 | 古伊万里=色絵中皿
今年も、残すところあと、わずかになってまいりました。
いろいろと、ブログの皆様にもお世話になりました。




しかるに、来る歳も、皆様を初め、わたくしにとっても、よき歳でありますように、
えびす様の皿をUPしょうと考えました。

大黒様もあるといいのですが、これ一枚しかありませんので、ご了承ください。
あとで、大黒天がないで、不幸になったというクレームは、受け付けません(笑)。

このえびす様のお顔、よく見ると、だれかに少し似ているような感じは、しませんか?

となりのおっちゃん??
よく行く、骨董商のご主人?
男前の志維求堂さん。??

それもあるかも知れませんが、すこし前の紙幣に、この顔に似た、やんごとなきお方が。。。
そうです。
少し前までの最高額紙幣に、いつもおわしました、聖徳太子をすこし、ふっくらとしたような感じに
見えませんか、いかがでしょうか。




時代は、明治の頃と思われます、 直径約、30㎝
ベロ藍は、もちろんのこと、墨の絵の具も、釉下彩で描かれています。
江戸期にはない技法だと思います。


      来る歳も、宜しくお願い申しあげます。m(__)m



弘化四年・ベロ藍の錦鉢

2007年08月25日 12時35分11秒 | 古伊万里=色絵中皿





骨董品って、集め始めるとキリがありませんよね。

獲得した瞬間、おそらく脳内麻薬のエンドルフィンが分泌されるんでしょうね。
しばらくは、その満足感からくる幸福感も得られるのですが・・
時期その快感も、時間とともに消失してしまいます。

すると、また快感を求めて、また新たな蒐集欲が生まれるわけです。
考えてみれば、当人は無自覚であっても、自家中毒を起こしているわけなんでしょうね(笑)。

これは、あらゆる趣味に通じる人間の業(ごう)かもしれませんね。


**********************************


弘化四年の共箱に入った錦手の鉢です。
弘化四年は1847年。天保の後、嘉永の一つ前の元号です。

これは、ほとんどベロ藍と見まごうほどの、あざやかな呉須で仕上げてありました。
ベロ藍と言うのは、普通、明治三年に入ってからと言うことになっていますが、
実際には、中国船や外国船などにより、文政年間には日本には、入って来ていたようです。
最初は、他の呉須と混ぜたり工夫しながら、使っていたのではないでしょうか?

ちなみに、おなじみの安藤広重の東海道五十三次の版画に使われている藍の顔料はすべて、
ベロ藍だそうです。
日本古来からの藍からとった顔料は、キメも粗く高価で、版画の絵の具には、
当時、不向きであったといわれています。

もちろん、絵画用顔料と呉須は、いく分違いますが、合成コバルト絵の具には違いありません。



   直径約29㎝×5㎝




古伊万里錦手菊紋菊形皿

2007年06月16日 08時22分20秒 | 古伊万里=色絵中皿




大聖寺伊万里(九谷焼の写し)では、あるそうですが、
伊万里では、めずらしいそうです。

むかし、宮家や門跡寺院などの特注品と言われております。
門跡寺院につきましては・・ご覧になるとわかります。
          ↓
http://www.enmanin.jp/monzeki/index.html


金羊歯の文様からして、幕末のものでしょうか。


    直径約16㎝×高さ約3、5㎝

       幕末のころ