コレクションと言ふ不自由なもの
コレクションって、自分の自由意思で好きなものを選んで、集めているように感じていますが、
けして、そうでもなく、その時代の人気とか価値観とかにかなり左右されている現実があるのでは、
ないでしょうか。
たとえば、現在、伊万里を集めれば、初期伊万里や、李朝磁器に感心を持たざるえない現実があります。
しかし、明治、大正、昭和初期時代のコレクターは、いまほど感心がなかったのが現実ではないでしょうか。
ご案内のごとく、初期伊万里が本格的評価を高めたのは、昭和40年代からだと言います。
はたして、むかしのコレクターの目は、節穴だったのか?
そうでも、ないような気がします。
わたし達も、おそらく明治、大正時代に生まれていれば、
同じような、コレクション感覚を持ったハズでは・・・。
大正時代くらいの九谷焼と思います。
羽のある虎が、描かれています。
(むかし、どこかの蚊取り線香はこの虎でしたっけ?)
直径約19㎝位の小鉢です。
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既成概念的価値観は、コレクター間では、無視できないくらいの大きな力がありますよね。
逆に、志維求堂さんみたいに巾広くコレクションをされている方のほうが、逆に骨董界全般を睥睨できる視野をもっているのではないでしょうか。
老松の集われる人たちはある意味で、骨董界の先駆者で、すばらしい感覚も持ち主じゃないかと思います。
いままでの既成概念にこだわらない、発掘者はある意味で、骨董道の本質を行く求道者じゃないかと思います。
確かに、常識を重んじる関東人には少ないかもしれませんが、
たまには、私のように既成概念をあまり気にしない変わり者もいます(笑)。
まあ、端的に言えば、ヘンコですわ。
老松は一般社会からはみ出た、『ヘンコ者』 が多いですよ。その分、求道者的な意識のヤツもいてますねえ。外れることの方が圧倒的に多いけど、それはそれで良し!! 当たればデカイ、ちゅう感じですかねえ。やっぱ変わったヤツが多いですなあ。
明治維新にかかわった重要人物はほとんど西日本での人でした。
そういう改革の精神が存在しているんですね。
大阪は、日本第二の都市ですから、その西の風を代表しているのかもしれませんね。
ぼくも、西日本に生まれるべきだったかも。。。(笑)
これで、やっと、謎が解けました。(^^♪
ともかく強いものがより強く描かれ、勇ましくメデタイ図柄ですね(^^)。
見込の雲の微妙な色使いが綺麗で素敵です。