*画像は、中国の食用犬「チャウチャウ」です。25年ほど前に、福島の実家で飼っていました。
▼猫食文化(びょうしょくぶんか)という言葉があるように、家ネコを食肉に加工して食べることは、世界各地にさまざまな形でみられます。中欧ではとても的確な表現だと感心させられましたが、「屋根のウサギ」と呼ばれていたようです。また、中国の描食については、ネコのペット化が広がるにつれて、動物愛護団、行政による監視が強まり減少傾向にあるものの、地方都市や農村では根強く続いているそうです。
▼私の記憶によれば、外から迷い込んできた飼い主を持たない犬は、丸々と太らせてから食肉として処分された事例を知っています。まず数人の大人が相談の上、飼い主を持たない犬を一軒の家に預け、その家の子どもたちや近隣の子どもたちに、ペットとして面倒をみさせたあと、頃合いをみて大人たちが「殺処分」します。当夜の食卓に、「豚肉が手に入ったから」と家族で食べることになりますが、翌日、世話をしていた子どもが「ポチ(子どもたちが名づけた愛称)がいないけど、知らない?」と父親にたずねます。すると、「昨日の夕飯で食べただろう」という答えに子ども心は深く傷つきました。そんな記憶のある私は、先日、友人が語った「犬を食べたことがある人は、生涯にわたって犬か ら吠えられる」という言い伝えを知り、「まぁ、いいか!」と自分に言い聞かせたのでした。(終わり)
▼猫食文化(びょうしょくぶんか)という言葉があるように、家ネコを食肉に加工して食べることは、世界各地にさまざまな形でみられます。中欧ではとても的確な表現だと感心させられましたが、「屋根のウサギ」と呼ばれていたようです。また、中国の描食については、ネコのペット化が広がるにつれて、動物愛護団、行政による監視が強まり減少傾向にあるものの、地方都市や農村では根強く続いているそうです。
▼私の記憶によれば、外から迷い込んできた飼い主を持たない犬は、丸々と太らせてから食肉として処分された事例を知っています。まず数人の大人が相談の上、飼い主を持たない犬を一軒の家に預け、その家の子どもたちや近隣の子どもたちに、ペットとして面倒をみさせたあと、頃合いをみて大人たちが「殺処分」します。当夜の食卓に、「豚肉が手に入ったから」と家族で食べることになりますが、翌日、世話をしていた子どもが「ポチ(子どもたちが名づけた愛称)がいないけど、知らない?」と父親にたずねます。すると、「昨日の夕飯で食べただろう」という答えに子ども心は深く傷つきました。そんな記憶のある私は、先日、友人が語った「犬を食べたことがある人は、生涯にわたって犬か ら吠えられる」という言い伝えを知り、「まぁ、いいか!」と自分に言い聞かせたのでした。(終わり)