「出発は遂におとずれず」②
【388ページ】
ひどい疲れが私を襲い、部屋のベッドに仰けになった。危惧した事態のどんな徴候もなかったからその限りに於いてもう案ずることは何もなかったのに、言いようのない寂寥が広がっていた。時点が移ってしまえば、想像することさえ感じていた、死の方に進まなくてもいい生きのびられる世界は、色あせて有りふれたものにしぼんでしまい、そこで手ばなしで享受できると考えた生の充実は手のひらの指のすきまからこぼれてしまったのか。装われた詭弁があとくち悪く口腔を刺激し、生きのびようと腐心する私を支える強い論理を見つけ出すことができない。
【389ページ】
おそい夕食が用意されて酒も配られた。食卓についた准士官以上は、まださぐり合う猜疑心でお互いを伏し目がちな姿勢にさせた。何と言っても覆うことのできない虚脱がそこにあった。
[ken] 島尾敏雄さんは第十八震洋特攻隊隊長として、鹿児島県奄美群島加計呂麻島に赴任し、6月23日に沖縄が陥落したことから、自分たちの出撃令を待つ日々を過ごしました。
ちなみに、日本で唯一の地上戦となった沖縄戦では、総勢200,656人〔沖縄県援護課発表 1976年(昭和51)年3月〕が犠牲となりました。内訳は日本が188,136人にのぼり、沖縄県出身者122,228人の中では一般人が94,000人、軍人・軍属28,228人、他都道府県出身兵65,908人、アメリカも12,520人が犠牲となっています。
沖縄という最重要軍事拠点がアメリカの手にわたり、結果的に加計呂麻島は「蚊帳の外」状態になりました。情報が少ないなかで、こちらから打って出ることもできず、敵も攻めてこない日々はさぞかし辛かったろうと推測します。そして、いよいよ1945年8月13日に特攻戦が発動され出撃命令を受けますが、即時待機のうちに終戦を迎えました。
180名の部隊の責任者として、終戦直後の兵士たちの様子を「虚脱」という言葉で正確に描写し、暴挙や混乱を生じさせることなく帰還までの仕事をやり遂げました。帰還後、小説ではトエにあたる女性と結婚し、作家としての生活をスタートさせたわけですが、これからも島尾敏雄さんの他の作品を読んでみたいと思います。(終わり)
【388ページ】
ひどい疲れが私を襲い、部屋のベッドに仰けになった。危惧した事態のどんな徴候もなかったからその限りに於いてもう案ずることは何もなかったのに、言いようのない寂寥が広がっていた。時点が移ってしまえば、想像することさえ感じていた、死の方に進まなくてもいい生きのびられる世界は、色あせて有りふれたものにしぼんでしまい、そこで手ばなしで享受できると考えた生の充実は手のひらの指のすきまからこぼれてしまったのか。装われた詭弁があとくち悪く口腔を刺激し、生きのびようと腐心する私を支える強い論理を見つけ出すことができない。
【389ページ】
おそい夕食が用意されて酒も配られた。食卓についた准士官以上は、まださぐり合う猜疑心でお互いを伏し目がちな姿勢にさせた。何と言っても覆うことのできない虚脱がそこにあった。
[ken] 島尾敏雄さんは第十八震洋特攻隊隊長として、鹿児島県奄美群島加計呂麻島に赴任し、6月23日に沖縄が陥落したことから、自分たちの出撃令を待つ日々を過ごしました。
ちなみに、日本で唯一の地上戦となった沖縄戦では、総勢200,656人〔沖縄県援護課発表 1976年(昭和51)年3月〕が犠牲となりました。内訳は日本が188,136人にのぼり、沖縄県出身者122,228人の中では一般人が94,000人、軍人・軍属28,228人、他都道府県出身兵65,908人、アメリカも12,520人が犠牲となっています。
沖縄という最重要軍事拠点がアメリカの手にわたり、結果的に加計呂麻島は「蚊帳の外」状態になりました。情報が少ないなかで、こちらから打って出ることもできず、敵も攻めてこない日々はさぞかし辛かったろうと推測します。そして、いよいよ1945年8月13日に特攻戦が発動され出撃命令を受けますが、即時待機のうちに終戦を迎えました。
180名の部隊の責任者として、終戦直後の兵士たちの様子を「虚脱」という言葉で正確に描写し、暴挙や混乱を生じさせることなく帰還までの仕事をやり遂げました。帰還後、小説ではトエにあたる女性と結婚し、作家としての生活をスタートさせたわけですが、これからも島尾敏雄さんの他の作品を読んでみたいと思います。(終わり)