ごまめ~の~いちょかみ・Ⅱ

趣味(落語と本)の話と大好きなうどんを中心に、ごまめになってもいちょかみで幅広くお届け

大阪を古地図で歩く

2018-03-13 01:02:03 | 本の少し
大阪を古地図で歩く本: 古代難波から戦国大坂、維新大阪まで“歴史の謎解き”めぐり (KAWADE夢文庫)
クリエーター情報なし
河出書房新社

☆☆☆☆

この本も「大阪ほんま本大賞」で知った本。

大阪を古地図で歩く、大阪の梅田っこならほぼ知っていることばかり、
と思いきや、知らないことがちらほら・・・・。

①、大阪市の市章になっているのは、“澪標”。
中之島で遊んでいたら夕方鳴るのがみおつくしの鐘。
“澪標”とは、大坂の浅瀬の港に打たれた杭のこと、ここまでは知っているのだが、

入港の航路を示すもの、「水脈(みお)」すなわち、「水緒つ串」の意味。
あの市章の三角の下の三本の足みたいなのは、串とは、知らなかったですな。


②、大阪市の西区の川口は、その昔外国人居留地だったと、そして宗教や教育の
活動家が集まり、交易の町から宗教、教育の町へと変貌・・・聞いたことがありますな。

そして、桃山学院やプール学院、大阪親愛女学院、平安女学院、大阪女学院、
がすべて、この川口を発祥の地としていると・・・知らなかったですな。


③、百貨店の大丸さんは、元々呉服の松屋さん、
では、なぜ〇に大の字の大丸になったのか・・・

創始者の彦右衛門さん、大という字は一と人を合わせたもので、
丸は宇宙、天下を表わす、すなわち「天下第一の商人になる」という思いを込めたと。

単に大に丸、と思っていましたな・・・・。

④、今も使われている太閤下水・・・秀吉時代天正11年(1583年)に
大阪城築城と並行して、下水道が完備された。

元々は素掘りだったが、江戸時代後期には石組溝が築造され、
更に明治時代中期には、総延長350㎞のうち120㎞は暗渠となり、
凄いのは、20㎞は現在でも使われていると・・・・・、凄い。

⑤、江戸時代「天下の台所」ととよばれて大坂では全国からの年貢米が集められ
売買される米相場の中心地に堂島がなっていた。

その当時、米の現物ではなく、米と引き換えることのできる、米切手、
いまでいう手形を売買していたと・・・。

アメリカのシカゴに先物市場が開設される100年以上前の出来事。
凄い日本、凄い大阪、凄い堂島、でおますな。

こんな、ちょいとした大阪にまつわるこぼれハナシが沢山載ってまっせ。

大阪に興味ある方、覗いてみてくださいな、でおます。



コメント
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