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2020年9月発行で「コロナ後の世界」とあるが、ロシアのウクライナ侵攻の2022年の今にも相通じる内容。
今、私たちは、新型コロナウィルスの急激で長期にわたる蔓延とウクライナ侵攻によって、人類は一瞬、終わりがあるのを感じた。世界の終わりは、人類の終わりは、資本主義の終わりは・・・このようにやってくるのではと。
このコロナウィルスこそが、東日本大震災でも「変える」ことができなかった日本の最後の「変える」ことの最後の部品、新時代に「チェンジ」する「鍵」ではなかったと思う。ウクライ侵攻も含めて、近隣の国との関係も、いままでの楽観的政策だけで期待通りに行くとは限らないのは明白である。
それだのに、日本は、クズの、クズによる、クズのための政治になっている。クズとは「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシン」のこと。言葉遊び、詭弁ばかりの国会答弁、法の下でを逆手にとってコロナ対策でも「飽くまで自主要請で、どうするかは皆さん次第」との責任逃れ。私利私欲で行政官僚を使い回す前首相からは脱却したいともがく現首相、まあ、詭弁が少ないだけはましですが、本来政治家は、危機に際して国民の生存のために実践に勤しむ者だ、大いに期待したいもんです。
冷戦終結は、昭和の終わりとほぼ重なった。従って、「冷戦後」というのは私たちの世界では「平成時代」と呼ぶのが丁度良い。「令和時代」はコロナとともにはじまった、この「節目の年」であるならば、次の時代を考える良い機会である。最低でも向こう20年ぐらいは影響を与えるだろうし、「段階的、階段的」に考えを深めなければならないだろう。
コロナ危機とウクライナ侵攻は、まさに民主主義とグローバル化揺さぶっている、しかしこれを機会により高度な民主主義と新たな世界的連帯を実現することはできないのか。日本社会のみならず、人類の未来がかっている。
多くの人々の命が脅かされる「非常事態」では・・・命を脅かすのがウィルスであれ、戦争、経済危機、原発事故やAI(人工知能)による事故であれ、少なくとも現在の政治権力は、「人命」を守ることを最優先に政治を行う。人々に対して「生存する」ことを最優先に求める。非常事態では、時限的とはいえ、「生存」以外のあらゆる価値が、「生存」のために無効にされる。今、いつでもまた「生存」以外のあらゆる価値が無効化されうるような「新たな日常」が始まろうとしている、一人の国民として「覚悟」を新たに問われている。
目先の幸せより、永遠の幸せ、それを残すのが今私たちの喜び、幸せになるはずだ。
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