どうして書くの?―穂村弘対談集 | |
クリエーター情報なし | |
筑摩書房 |
☆☆
穂村弘さんが、言葉を書く人間同士の「書くこと」へのこだわりについての対談集である。
初対面の方も多く、多少ぎこちなく始まるが、最後にはお互いの疑問を晴らそうと熱っぽく語られる。
最初と最後の対談者は、高橋源一郎さんで「明治から遠く離れて」と「言葉の敗戦処理とは」
正直言って、高度過ぎて一番理解できなかった。
おもしろく読めたのは、山崎ナオコーラさんの「言葉の渦巻きが生む芸術」と、
川上弘美さんの「「酸欠」世界から発する言葉」、そういう意味では、歌手でもある
一青窈さんの「歌のコトバ」が一番身近感があって解りやすかった。
例えば、一青さんに穂村さんが「感情とか思いを言葉で伝えようって思ったとき。その思いが「水」だとすると、言葉はそれを入れる「器」みたいなもので、例えば「コップ」みたいなものに入れて、ハイって渡せば渡せるわけですよね。」
「ニュースの記事とか、事務連絡なんかは、コップに入れて渡せるんですが、“感情”とか“思い”って、そういう器みたいなものでは渡しきれないと感じてしまう。
じゃあ、そういうものを伝えるときはどうすればいいのかというと、例えば、「スポンジ」に水を染みこませて絞ってジャーってやるとか。あるいはいったん凍らせて「氷」にして素手で渡すとか。極端な場合、口で水をふくで「口移し」で相手に渡すとか。最適な、こういう思いであれば、どういう手渡し方が一番届くのかを考えている。」と・・・・・・・。
言葉を選び、相手を選び、相手の想像力をこちらに向けさせる・・・。
二人の、プロとしてのこだわりがおもしろい。
穂村弘さんは、小説は書けないといい、川上弘美さんは「穂村さんが小説を書こうとすると、一行一行に力をこめすぎてすごく濃くなってしまう、薄まって小説を書くということができないのでは」と、短歌の穂村さんのことを探りながら、逆に各作家の小説づくりへのスタンスが垣間見れておもしろい。
「短歌の友人」続いての穂村さんの真面目本、じっくりと楽しめましたで・・・。
追加、残りの対談者とタイトルは、
長嶋有、「生き延びるために生きているわけではない」
中島たいこ、「不確かな、“日常”、立ち向かう“言葉”」
竹西寛子、「うた と 人間」
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