モリモリキッズ

信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

鬼灯に 染まる白肌 偽を隠し(妻女山里山通信)

2009-09-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 妻女山の林下の草むらに赤いものが見えました。ホオズキでした。ホオズキは、ナス科ホオズキ属の多年草で、鬼灯、または酸漿と書きます。鬼灯は、お盆に、赤いガクに包まれたホオズキの果実を、精霊棚(盆棚)に飾り、死者の霊を導く提灯に見立てることから。酸漿(さんしょう)は、生薬名。鎮痛解熱薬、堕胎薬。和名は、ホオズキを鳴らして遊ぶ様から「頬突き」が転訛したものといわれています。

 その「ホオズキの実を鳴らす」ですが、子供の頃庭にあったホオズキで遊んだ思い出があるのですが、詳細は覚えていません。確か種を出して空気を入れてギュイーッという音を出したような…。舌の運動にはなったかもしれませんね。中国名は、草莓ですが、赤いホオズキの実を少女に見立てて、紅姑娘などというそうです。

 古名は、あかがち(赤加賀智)で、『古事記』にも出てきます。素戔嗚尊(スサノオノミコト)が退治したという八岐大蛇(ヤマタノオロチ・高志之八俣遠呂智)は、赤いホオズキのような目をしてと書かれています。「その目は赤加賀智のようで、身一つに八つの頭、八つの尾があります。また、その身には苔や檜、杉が生え、その長さは八つの谷、八つの峰に渡り、その腹を見れば、ことごとく常に血がにじんでいます」とあるのです。これはなんの比喩かということで諸説あるようですが、暴れ川という説や火砕流という説があれば、産鉄民族を滅ぼした大和民族などという説もあります。

 「もののけ姫」の製鉄のシーンなどを見ると、溶けた鉄の赤い流れは八岐大蛇のようでもあるし、火砕流などはまさに八つの谷、八つの峰に渡る大怪物。退治して天叢雲剣を得るなどは、戦を物語るようにもみえます。やたら下世話で感情的、下ネタの多い『古事記』ですが、そのダイナミズムと壮大な比喩は、創世神話などという堅苦しいテーマを越えて、実に面白い物語といえます。

 その後、 平安時代の『本草和名(ほんぞうわみょう)』では、保保都岐(ほほつき)、一名を奴加都ツ岐(ぬかつき)と記してあります。江戸時代の『大和本草』(貝原益軒著)では、臭虫(カメムシ)の古語(方言)であるホウ(ホホ・フ・フウ)に付く虫ということでホオズキと書かれています。フウムシとは風虫で、カメムシは風に乗ってやってくると考えられていたようです。ホオズキに付くカメムシは、ヘリカメムシ科のホオズキカメムシ(鬼灯亀虫)で、ナス科のナス、トマト、ピーマンにつく害虫です。
 ちなみに鬼灯の花言葉は「偽り」。俳句では、秋の季語です。

「鬼灯に 染まる白肌 偽を隠し」  林風

★ネイチャーフォトは、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、特殊な技法で作るパノラマ写真など。キノコ、粘菌、夏の花、昆虫、樹木、蝶などを更新しました。トレッキング・フォトルポにない写真も掲載してあります。

■さて、ガーナ戦。本田は切り込み隊長としてぜひ右で使って欲しい。バイタルエリアに切り込まない、ミドルを打たない中村俊輔はクロス要員で左で。稲本と、オランダ戦の前半は非常によかった長谷部のダブルボランチも期待したい。とにかく最後はシュートで終わること。打たないことには得点は生まれませんから。パルマでチームメイトだったMFアッピアが言うように、ガーナは予選直後で疲れていて100%のプレーは難しい、とのこと。前半が評価の全てでしょう。


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日本代表の憂鬱 イロガワリ(妻女山里山通信)

2009-09-07 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 マスコミ論調では、守備が崩壊した後半最後の20分が問題というのが主流ですが、本当でしょうか。では、岡田監督のいうように90分雪原に解き放たれた犬のように走り回ればオランダに勝てたのでしょうか。私は否だと思います。バイタルエリアの外でボールを回し続け、希に打つシュートは枠に飛ばず、一瞬の隙を衝かれて相手の一発に沈む。前回W杯と全く同様の結果が待っているとしか思えません。

 オランダの監督や選手が指摘するように、なんの脅威も感じさせなかったFW。MFにしてもバイタルエリアに自ら切れ込むこともなく、リスクチャレンジもしないため、同様に脅威とはならず得意というフリーキックを得ることもできない。後から投入された選手の批判をする資格はないでしょう。ますはシュートを打たなければゴールは生まれないし、枠に飛ばなければゴールは生まれない。

 選手の中からも90分間あのようなチェイスをするのは無理という言葉がでてきています。選手の信頼がゆらいだらチームは内部から崩壊するでしょう。確かに鍛えれば一試合はそういうゲームができるかもしれない。しかし、どういう気象条件やピッチ状況、選手のコンディションになるかも分からないW杯の舞台で、毎試合そういうゲームをすることは、どう考えても非現実的。結果は火を見るより明らかです。

 こういうチームコンセプト、ゲームプランしか持てない監督は、失格といわれても仕方がないでしょう。やはり、弱小チームを世界で戦えるチームにした実績のある外国人の監督に任せるべきだと思うのです。最初から論理的に破綻しているのでは、いつかチームは必ず内部崩壊します。その兆しはすでに選手のコメントからも感じられます。選手層が薄いというのも、選手の選択に難があるからでしょう。さらに欧州列強との親善試合を企画しているようですが、経験を積めば強くなれるというのは、幻想にすぎません。蟻地獄が待っているということもあるのです。

 でも、不思議に思いませんか。どのマスコミも評論家もいわないようですが。自由を標榜して戦ったジーコジャパンと、規律重視の岡田ジャパンが、フタを開けてみればどちらも同じようなサッカーをして同じような負け方をしているということ。もう一つ、世界クラブ杯に出たJのチームが、外国人FWがいるとはいえ、必ずしも日本代表のようなゲームをしているわけでもないこと。世界のサッカーが、アスリートサッカーになっていること。前線からのプレスや、素早い攻守の切り替えなどは、日本代表だけでなく世界の常識であることを差し引いても、こんなサッカーしか本当にできないの?これで本当にいいの?と思わずにはいられません。どう考えても運動量の落ちたボランチと狙われた右SBを変えないのであれば、それこそ監督などだれがやっても上記のように同じ結果になるわけですから、高額報酬で楽な商売です。私にやらせてください!

 という人はいくらでもいるのではないでしょうか。監督という仕事は、長期的には選手選考とチーム戦術の確立。短期的には、ゲームプランと選手交代が全て。そして、もっとも大事なのが選手のモチベーションを高め勝利への気持ちをひとつにすることじゃないですかね。それには、特に長期的戦術に関しては論理的な破綻があってはいけない。短期的には出た結果には全て責任をとる。選手のせいにしない。ブラジルに敗戦後、すべての責任は私にあると言ったマラドーナは、そういう意味でも誰かさんよりは監督業が分かっているといえるのではないでしょうか。

 イロガワリというイグチ科のキノコがあります。鮮やかな黄色(日本人)なのですが、切ると群青色(青鬼・南蛮人)に変色します。黄色とは補色関係なのでびっくりします。科学変化を起こすわけです。青い色というのは食欲を減退させますが、これは非常に美味しいキノコなのです。日本代表が、科学変化を起こすためにはなにが必要なのでしょうか。緩急のリズムをつけながらも、ここという瞬間には全員で火のように点を取りに行く。そんなチームはできないものでしょうか。アウェイでアルゼンチンを撃破した最強のブラジル代表を見ると、ため息ばかりの今日この頃です。

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黄釣船 漂う先は 大瀑布(妻女山里山通信)

2009-09-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 妻女山の上にあるノケダン(野毛壇)というところのエンジュ(槐)の林下に、ミズヒキに混じってキツリフネ(黄釣船草)の群落があります。桃紅色のツリフネソウは妖艶な三十路女の感じがしますが、黄色のキツリフネは華麗で軽快な、もっといえば軽薄な感じさえします。といってもレモン色のような未熟な感じではなく、やや橙色を帯びた年増の腰軽女という風情。黄色の花弁の中に紅色の雀斑(そばかす)があります。いずれも里山の晩夏から初秋に季節の移ろいを彩る花です。

 和名の黄釣船とは、ぶら下がる花を釣船(吊り舟)、あるいは花器の釣船にみたてたものですが、英名は、
Touch-me-not Balsam。ツリフネソウは、学名をImpatiens noli-tangereといいます。Impatiensは、「耐えきれない」の意で、noli-tangereは、「私に触れるな」ということ。触れると種が勢いよく弾けるホウセンカの仲間ならではの名前でしょう。和名とのギャップがありますが、花の印象としてはどちらも頷けるものがあります。

 沢筋の湿った場所や渓流沿いに咲く花なので、乾燥や強い陽射しにはめっぽう弱く、すぐに萎れてしまいます。そのだらしないことといったら…。この群落のキツリフネも強い晩夏の陽射しでかなり縮れており、撮影に適した花を探すのに苦労しました。森に響き渡る蝉時雨は、夏の始まりや最盛期のそれではなく、ヒグラシとミンミンゼミの混じった、それもどこか力強さに欠けた物悲しいものです。

 ツリフネソウの花は以外としぶとくて、残花になってしおれても落ちずについているものが多くあります。それでも、中には野分けなどでちぎれて渓流に飲み込まれるものもあります。流れる先は、落差20mほどの滝なのですが、小さな黄釣船にとっては大瀑布なわけです。藻屑と消える黄釣船の花か…。

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手作りベーコンの完成!:新信州郷土料理(妻女山里山通信)

2009-09-05 | 男の料理・グルメ
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 8日間ソミュール液に漬けて熟成させた手作りベーコンを燻煙しました。まず朝から流水につけて3時間塩抜きをしました。流水の量は、蛇口からほんのわずか水がこぼれ落ちる程度でかまいません。溜水なら1時間毎に水を替えて5時間ぐらい。塩気は、端っこをちょっと切って焼いて食べてみます。やや塩辛いぐらいでちょうどいい感じです。

 その後、水気をよくふき取り日影で風乾させます。濡れているとスモークがのりませんが、パリパリに乾きすぎてもいけません。風乾の間にスモークの準備をします。私はバケツタイプの薫製器をずっと使用しています。桜のチップを固めたスモークウッドを半分に折り、点火してスモークします。段ボールの箱をかぶせて、これで約4、5時間燻煙。様子を見て肉をひっくり返し、残りの半分に点火して燃え尽きればベーコンの完成です。これを30分ほど風乾させ、よぶんな燻製の酸味やアクを飛ばします。あとはブロックに切り分けてラップして冷蔵・冷凍保存します。

 これで作るジャーマンキャベツカルボナーラブラジル風塩漬け牛肉と豆の煮込み、BLTサンドは本当に美味です。保存料や化学調味料などの添加物もないので安心です。

★新信州郷土料理は、MORI MORI RECIPE(モリモリ レシピ)をご覧ください。山菜・キノコ料理、内臓料理、ブラジル料理、エスニック、中華の込み入った料理などの「男の料理レシピ集」です。特に本格的なアンチョビーの作り方を載せているのは、当サイトだけだと思います。手作りオイルサーディン、手作りソーセージもお薦めです。山菜料理も豊富です。アマゾン料理も!
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千曲市土口の堂平古墳群「渡来人の謎」(妻女山里山通信)

2009-09-04 | 歴史・地理・雑学
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 信濃の千曲市一帯は、国指定史跡の埴科古墳群(森将軍塚古墳・倉科将軍塚古墳・有明山将軍塚古墳・土口将軍塚古墳)があります。森将軍塚古墳を始まりとして4~8世紀初頭頃に古代科野のクニがあったとされる地です。

 そんな、千曲市の天城山(てしろやま)中腹に堂平古墳群があります。その中でももっとも大きなものが横穴式石室をもつ円墳「堂平大塚古墳」です。堂平古墳群の探訪記は、「斎場山古墳巡り」をご覧ください。

 今回紹介した積石塚古墳は、堂平古墳群の中にあるのですが、そこへ通じる道がいっさいなく、昔からある細い山道も途中で消えてしまいます。獣道を通って行くような所にあるので地図で説明してもおそらく到達できないでしょう。私は何度も訪れていますが、地元の人でも知る人はわずかだろうと思います。

 写真のように直径4メートルほどの積石塚古墳が三基並んでいます。古くはもっとたくさんあったと思われるのですが、戦国時代の戦乱や、その後の養蚕のための桑畑の開墾で畑の土留めに石が使われたりして、多くが破壊されてしまいました。この周囲には、その残骸と思われる石がたくさん見られます。また、現在は写真のように手入れのされていない雑木林に埋もれてしまっているので、場所を特定するのも困難です。中には森に埋没してしまったものもあると思われます。

 この上の天城山頂上(坂山古墳)と北の尾根にも古墳がいくつかあります。またその下の上杉謙信が陣城を築いたとされる陣場平にも同様の石積みの跡があり、そこも古墳群があったのではと考えられます。大室古墳群と同様に、遠く故郷の高句麗を向いた山の北面に古墳群があるのも特徴的です。これらの古墳は、古墳時代後期のものといわれ、大室古墳群と同様に高句麗式の積石墳であるのが特徴です。

 また、古い時代に盗掘、または破壊されていますが、斎場山古墳とそれに付随する七基の塚、川柳将軍塚古墳と六基の塚、有旅茶臼山の九基の塚との類似性や関係も興味深いところです。渡来人は、中国大陸から朝鮮半島や南西諸島などを経由して、古代日本に渡来し帰化した人々で、我々の祖先でもあります。その渡来の波は弥生時代に始まり幾度となく訪れたわけですが、その度に日本に技術、文化、政治の大きな変革をもたらしました。そう考えると、この山中に埋もれたただの石積みも深い古代の浪漫を物語っているのだと感嘆せずにはいられません。

★その他の古墳巡りは、【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】の「森将軍塚・大室古墳群探訪」や、「川柳将軍塚古墳探訪」をご覧ください。
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なんじゃこりゃ!?「蠹」(妻女山里山通信)

2009-09-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
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  妻女山の低木の根元に直径3ミリぐらいのオレンジ色から茶色の小さな粒がたくさんありました。そういえば、長男が小学三年生の時に神奈川県藤野町(現相模原市)の佐野峠から御霊へ下ったときに、クヌギかコナラの根元に同じものを見たことを思い出しました。なにかの糞か、菌類かと思って調べたのですが分からずじまいでそのままになっていました。まあ、単に忘れていたということなのですが…。

 今回久しぶりに見つけて、あああの時のと思い出したわけです。あの時は、確か湿っていて一部がどろどろになっており、とても触る気にはならなかったのですが、今回は乾いていたので手にとって匂いを嗅いでつぶしてみました。それが三番目のカットですが、単なる木くずにしか見えません。匂いも特にありません。強いていえば木の匂いでしょうか。

 これは何か昆虫の食べかすか糞だろうとあたりをつけて調べると、分かりました。ボクトウガの幼虫の糞でした。漢字では木蠹蛾と書きますが、「蠹」という難解な漢字は、訓読みで「きくいむし」といいます。まさにそのまんまなのですが、この虫は果樹園の害虫として農家からは嫌われ者なのです。しかし、実に興味深い生態を持っているのです。子供達が大好きなカブトムシと深~い関係があるのです。

 カブトムシやクワガタ、オオムラサキやオオスズメバチ、カナブンなどは、クヌギやコナラなどの樹液をなめに集まります。よく「昆虫酒場」なんていわれる光景です。この樹液は、ボクトウガやコウモリガの幼虫が木に穿孔して傷をつけるため染み出てきたものが、天然の酵母と太陽の力で発酵して、ある種の高タンパクのお酒に変化したものです。

 妻女山でも、昆虫酒場にいっぱいやりに来たオオスズメバチがカナブンを押しのけたり、クワガタとバトルを繰り広げたり、オオムラサキがみんなをまとめて押しのけてしまったりというような光景が夏から秋にかけて日毎繰り広げられています。その樹液の底にボクトウガの幼虫が隠れているのです。

 ボクトウガの幼虫は、その樹液に集まった小さな昆虫を食べるのです。カブトムシやクワガタは、その恩恵にあずかっているわけです。この仲間の最大のオオボクトウは、なんと幼虫が10センチ。成虫は翅を開くと8センチで、蛾によく見られるように口器が退化して食物をとりません。

 この紫紅色の幼虫は昆虫食の対象になっていてオーストラリアの先住民の好物とか。生でよし、焼いてよしだとか。昆虫食は食糧危機を救うといわれています。信州は日本の昆虫食のメッカですから、蜂の子、イナゴ、ザザムシについでボクトウガの幼虫レシピの開発もいいかもです。また、メキシコのテキーラの中には、リュウゼツラン(竜舌蘭)を食べるボクトウガの幼虫(グサーノ)が一匹入っているものがあります。なんていうか、大変お酒と縁の深い虫なのでした。

 しかし、この幼虫もネオニコチノイド系農薬の空中散布や果樹の農薬散布、水田のカメムシ殺虫に使われると、中枢神経をやられて死んでしまいます。すると、樹液が出る場所が減り、カブトムシやスズメバチ、オオムラサキを始め、樹液酒場に集まる虫たちが減ります。もちろん彼らもネオニコチノイド系農薬で死にます。特に松枯れ病などの空中散布は、里山全体を死の山にしてしまいます。人間も昆虫と同じく中枢神経をやられるので、例外ではありません。

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夏の終わりの里山と秋の始まりの歴史館(妻女山里山通信)

2009-09-01 | アウトドア・ネイチャーフォト
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 蜂に刺されて腫れたところもやっと治ったので、久々に山へ。息子達が除草してくれたところを念入りに刈っておきました。小さな葛の根をきっていると、目の前に突然スズメバチが。ホバリングして狙っています。透明なゴーグルをしているので狙いが定めにくいのでしょう。咄嗟に姿勢を低くしてから一目散に坂を駆け下りて車の陰へ。恐る恐る見ると、スズメバチは車の上まで追いかけてきていました。

 蜂は目の前にくるとホバリングしながら左右に動きます。こちらとの間合いを計っているのです。この時、横に逃げるのは最悪です。蜂は横の動きに敏感なのです。しゃがみ込んで姿勢を低くして視界から消える。その後素早く逃げる。が正解。出来れば真後ろがいいのですが。今回は真横しか退路がなかったので追われました。それでも、まだカチカチという警戒音を発していなかったのが幸いしました。この時期は、花も餌となる昆虫も真夏より減るので蜂も気が立ってくるので大変危険です。

 蜂は森の入り口付近に営巣するので、今日は森の中の除伐をしました。チチアワタケが出ていました。夏の始まりと終わりに出るキノコです。セミの抜け殻がいくつもありました。抜けていったセミ達は、もうこの世にいないかもしれません。彼らにとっては極短い夏です。

 ゲンノショウコが風に揺れていました。淡い赤紫の小花を咲かせていたヤブランは、小さな緑の実をつけていました。ミズヒキの蕾があちこちに見られるようになりました。上が赤、下が白の小花を咲かせます。林道沿いには、アキノキリンソウが黄色の花穂(かすい)を揺らせています。まだ数は少ないのですが、アキアカネも下りてきました。

 週末、長野県立歴史館で、「信州知の遺産の系譜」信濃史料編纂のあゆみという展覧会を見てきました。地味な企画なので人はまばらでしたが、おかげでゆっくりと鑑賞できました。戦前から完成まで40年以上の歳月がかかったそうで、全国のこういった史料のモデルになったともいわれています。その礎を築いた栗岩英治の草鞋(わらじ)史学の足跡も興味深いものでした。また、一巻につき半年かけて内校から一校、二校、三校(本組)、四校、念校を行うというように、編纂の進行も非常に厚みのあるものでした。

 興味深かったのは、各村から提出された元原稿や原画です。埴科郡誌などで活字になったものは、知っているのですが、元原稿を見たのは初めてでした。明治政府が、発足の当初より国家の歴史と地誌を編纂するべく、各県にその材料を提出するように求め、明治18年に長野県の村誌、郡誌が完成したのです。歴史学的には里俗伝も多く、同じ地理名や史跡でも境にあるものは、村によって記述が異なることもあったり、郡誌を編纂する際に地理名をやや強引に決めてしまったりとかもあるのですが、郷土の史料をまとめる作業が全国で行われたのは、非常に意義深いことでした。

 小さなコーナーでしたが、直江兼続と信濃侍のコーナーも非常に興味深いものでした。歴期館は、千曲市の森将軍塚古墳の麓にあります。古墳館と共に訪れてみてはどうでしょう。たまには郷土の歴史に触れるのもいいものです。

★妻女山については、本当の妻女山について研究した私の特集ページ「妻女山の位置と名称について」をご覧ください。

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