聖書の言葉というのは、たとえ話が多くなかなか理解するのが
難しいところがあります。
「心の貧しい人は幸いである」という聖句の意味が、私にはよく
分かりませんでしたが、初女先生は「おむすびの祈り」の本の中で
「この、心の貧しいとは今を満足する心のことなんですよ。
どんな病気にあったとしても、体に障害があったとしても、
その現実を神様からのプレゼントとして、素直に受け入れることの
できる心を持っている人は幸いである」ということなんです。と
言っておられます。
これは、きっと先生の体験から出てきた言葉だと思います。
私は子供を亡くした時、「あなたは選ばれた人なんです。」と
言われた時、なんでこんな辛いことに、私が選ばれなければ
いけないの。冗談じゃない!と思いましたが、今私は子供の生も死も
神様から与えられたものと、思えるようになりました。
私はいつもどこかに、息子への想いを持っています。
そのせいでしょうか、以前より人の心に寄り添って生きたいと
思うようになりました。
人の悲しみ苦しみを、少しでも自分のものとして感じたいと思います。
神様からのプレゼントは、あまりにも深くて、その意味が解るまで
ずいぶん時間がかかってしまいました。
神様は大きな悲しみと共に、真の喜びもプレゼントしてくれていたの
ですね。
初女先生、私も「心の貧しい人」に入れてもらっていいでしょうか…
難しいところがあります。
「心の貧しい人は幸いである」という聖句の意味が、私にはよく
分かりませんでしたが、初女先生は「おむすびの祈り」の本の中で
「この、心の貧しいとは今を満足する心のことなんですよ。
どんな病気にあったとしても、体に障害があったとしても、
その現実を神様からのプレゼントとして、素直に受け入れることの
できる心を持っている人は幸いである」ということなんです。と
言っておられます。
これは、きっと先生の体験から出てきた言葉だと思います。
私は子供を亡くした時、「あなたは選ばれた人なんです。」と
言われた時、なんでこんな辛いことに、私が選ばれなければ
いけないの。冗談じゃない!と思いましたが、今私は子供の生も死も
神様から与えられたものと、思えるようになりました。
私はいつもどこかに、息子への想いを持っています。
そのせいでしょうか、以前より人の心に寄り添って生きたいと
思うようになりました。
人の悲しみ苦しみを、少しでも自分のものとして感じたいと思います。
神様からのプレゼントは、あまりにも深くて、その意味が解るまで
ずいぶん時間がかかってしまいました。
神様は大きな悲しみと共に、真の喜びもプレゼントしてくれていたの
ですね。
初女先生、私も「心の貧しい人」に入れてもらっていいでしょうか…