晩秋の陽光を優しく受け止めている障子を見ていたら、
「あーこの障子にも助けられたなー」と苦しかった
あの頃を思い出しました。
息子が亡くなった後、私は味覚も無くなり味付けも
出来ないので、来る日も来る日も鍋物でしたが、
小三の次男は文句も言わず食べてくれていました。
ある日ふと、もう師走になっていて、
子供の祭壇のある部屋の障子が破れているのに
気が付いたのです。この時の私の体力では、障子の張替など
出来そうにありませんでしたが、お正月を迎えるのだから
祭壇のまわりを綺麗にしなくては…家事も出来なくなって
いる自分が、張替などできるだろうかと、不安で一杯
でしたが、子供の為にとやってみたら出来たのです。
その時、こんな力が自分の中に残っていたのかと、本当に
驚きました。それから少づつ食事が作れるようになり、
気がつくと味覚が戻っていました。
この時、何でもないと思われる日々の営みに自分は支え
られているのだと思いました。
初女先生は、「辛いことがあると自分は手仕事が好きだから
お料理とかお裁縫をすると、その作業に入り込み何もかも
すっときえてしまいます。」と言われてます。
毎日繰り返される日々の生活に、人は支えられているの
かもしれません。
日々の暮らしの積み重ねが人生になっていくんですものね。
初女先生の今を丁寧に生きる姿が、やわらかい日差しを
受けた障子の向こうに、見えてくるようでした。
「あーこの障子にも助けられたなー」と苦しかった
あの頃を思い出しました。
息子が亡くなった後、私は味覚も無くなり味付けも
出来ないので、来る日も来る日も鍋物でしたが、
小三の次男は文句も言わず食べてくれていました。
ある日ふと、もう師走になっていて、
子供の祭壇のある部屋の障子が破れているのに
気が付いたのです。この時の私の体力では、障子の張替など
出来そうにありませんでしたが、お正月を迎えるのだから
祭壇のまわりを綺麗にしなくては…家事も出来なくなって
いる自分が、張替などできるだろうかと、不安で一杯
でしたが、子供の為にとやってみたら出来たのです。
その時、こんな力が自分の中に残っていたのかと、本当に
驚きました。それから少づつ食事が作れるようになり、
気がつくと味覚が戻っていました。
この時、何でもないと思われる日々の営みに自分は支え
られているのだと思いました。
初女先生は、「辛いことがあると自分は手仕事が好きだから
お料理とかお裁縫をすると、その作業に入り込み何もかも
すっときえてしまいます。」と言われてます。
毎日繰り返される日々の生活に、人は支えられているの
かもしれません。
日々の暮らしの積み重ねが人生になっていくんですものね。
初女先生の今を丁寧に生きる姿が、やわらかい日差しを
受けた障子の向こうに、見えてくるようでした。