ランディさんのブログに書いてあった言葉が
心に留まりました。
『自分のすべてを見ててくれたのは、自分だけ
だから、「がんばったね」というのも、「間違ってたね」
というのも、ぜーんぶ自分。
自分と二人で生きているんだね。
もう一人の自分はだれなんだろうか
あんがい神様かもしれないね。』
ランディさんのこの文章を読んだら、初女先生の
文章を思い出しました。
『私たちひとりひとりの中には神様が宿っています。
ですから、どんな人と会う場合でも、
その人の中にいる神様との出会いを意識しています。
夜中にチャイムが鳴ると、「誰だろう?」と思って
身支度をして玄関に立ちます。
開けていいのか悪いのか、すごく葛藤があります。
ですが、私が「怖い」と思っても、もし私の中に
神様がいらっしゃるなら、きっと戸を
開けられるでしょう。
そう思って、私は鍵を開けるのです。』
初女先生のこの文章を読む時、信仰が心に
浮かびます。
でも、ランディさんの文章を読んだときは、、
信仰ということは、微塵も浮かびませんでした。
そして、神様って案外近くにいるのかも…と
思いました。
全く違うような、お二人の文章の底にあることは
同じことかもしれません。
だって、真実はひとつだから…