何となく分かっていたことが、あーそういうことだったのか
と、心にすとんと落ちた時、初めてそのことが実感できた
と、思えるのです。
ずーっと、幸せってなんだろう?と思ってきました。
「私、結構幸せかも」と思っていたら、息子の死に
よって今まで構築してきたものが、すべて崩れ去った
のです。
健康とか経済とか、幸せの条件を作りそれを
満たしていれば、自分は幸せって思っていたから…
でも、その幸せをすべて剥がされた時、幸せって
こんなものじゃないかも…という疑問が起こり
長いこと自問自答していました。
そして、やっと幸せって感性なんだ。と思ったとき
幸せも不幸もない!
幸せって感じたら幸せで、不幸って感じたら
不幸なんだ。って心にすとんと落ち
何だ、こんな簡単なことだったんだと気持ちが
楽になりました。
ただし、これは頭で分かっていても力になりません
体験を通して、実感しないと…
カール・ブッセの「山のあなたの」を読むと
あ~この人も悩んでいたんだなと思います。
山のあなたの
山のあなたの空遠く
「幸さいはひ」住むと人のいふ。
噫ああ、われひとと尋とめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸さいはひ」住むと人のいふ。
(カール。ブッセ)
真理って、なーんだこんなことかと思えるほど、
簡単なのかもしれません。
昨日息子に「お母さんの遺言と思って覚えて
おいて。
幸せとか不幸って条件じゃない、感じること
なんだよ。幸せって感じたら今この瞬間に
幸せになるんだよ。
でも、これは頭で分かっても全然ダメなの。
体験を通して身を持って分からないとね。
お母さん、この歳になってやっとわかったの。
このことを覚えといたら、気づきの
ヒントになると思うよ」と、言ったら
息子はいつになく真面目な顔をして聞いて
いました。
いや~生きてるうちにこのことが分かって
良かった~