~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

いのちそのものとして生きた人~佐藤初女さん

2016-11-08 23:26:22 | 日記

「いのちのエール・初女おかあさんから娘たちへ」の

Facebookにランディさんが書いていた文章を何度も

読み返していました。

分かるところと、今の私にはよくわからないところが

あります。

でも、初女さんはいのちそのものとして生ききった人という

ところにハッとしました。

星野道夫さんのヘラジカの写真と初女さんの写真に

共通のものを感じたのは、そのことだったのかと…

う~ん、しかしランディさんの語っていることは深い

このことは、心のポケットに入れておこう

いつか、そうか!と霧が晴れるようにわかる日が

来るはずだから…

ランディさんの文章です

10月3日、森のイスキアでkoyomi さんが「ふきのとうの歌」

を歌ったとき、パラパラと雨が降ってきて、歌い終わった

あとは雨。初女さんはなにか大切なときには雨を降らせる人だと

周りの人たちは言う。だから、あの雨は

「わたしはここにいますよ」という初女さんの存在を

知らせる雨だったのだと、たぶん、みんな思ったはず。

雨を降らせる人には竜神が眷族としてついていると、

聞いたことがある。初女さんはクリスチャンだったけれど、

水や農にかかわるお役目を果たしたから、竜を従えていても

不思議ではないなあと思った。

いのちに与えられた生を、いのちそのものとして

生ききった人。じぶんがいのちそのものであることを

わかっていたから、いのちとしてすべてのものと

つながっていた人、そういう生きかたは「わたし」としては

不都合なことも多かったろうと思う。

社会は「わたし」であることを求めるし、「わたし」は

「わたし」に違いない。佐藤初女というイメージが一人歩き

してしまうことも、与えられた人生の課題として

向きあっていた。「行動」することで示そうとしたのは

「いのち」が佐藤初女を生きていることであ...って、

佐藤初女はかけがえのないいのち、でもとるにたらない

ものでもある、ということをよく理解しておられた。

佐藤初女を目指すのではなく、いのちそのものであることに

気づいて、と初女さんはことばにせずとも、行為で

語りかけていた。

「わたしは、我が強くてめんどうくさがりやなんですよ」と。

「だから、ていねいに生きると決めた」と。

「決める」というのは、とても宗教的なことで

「そうであるかどうか」ではなく「決めたらやる」というのが

「信仰」なのだ。信じるとか信じないとかどうでもよく

「信じると決める」ことが信仰、この「決める」ということを、

初女さんは最後までわたしに伝えようとしてくれた。

誰がどう言おうと「決める」それだけのことが、いかに困難か。

そして「いかに困難か」などとぐちゃぐちゃ言っているのは

「決められない」からなのだと、つくづく思う。
                    たぐちらんでぃ

 

 「佐藤初女」の画像検索結果

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする