「美しい話」
文字で読むと白々しい言葉のように思えますが、
この話は美しいとしか言いようがないと
思いました。
私は、昨日電話でしかお話をしたことがない
弘前の方とお会いしました。
この方は、佐藤初女先生が自宅でお話なさる時に
テープを録ったりするお手伝いをしていた
そうなのですが、初女先生がよく私のことを
(息子が最後に食べたおむすびのお弁当のこと)
話されていたので、私のことが心にのこっていた
そうです。それで連絡を下さり、昨日は東京に
来られるというので、皇居のお堀の側でお会い
しました。
初めてお会いしたという感覚がまるでなくて
私は、あ~初女先生が会わせて下さったんだなと
思いました。
その方が、初女先生が思うように動けなくなって
お手伝いに伺っているときに
自分には何も出来ないけれど、拭き掃除なら
出来ると、廊下や階段を拭き掃除をしていたら
先生のお部屋の襖が、すーっと開いて
初女先生が、その方に手を合わせて、
又すーっと襖が閉まったそうです。
この話を聴いたとき、聴いている私までもが
浄められていくような気がしました。
先生の行為も思いも一点の曇りのない美しさを
感じるのです。
先生は、体が動けなくなり苦しみも痛みも
ある中で、他者への美しい心を持ち続けて
いたのですね。
亡くなったお顔が、神々しいほど美しかった訳が
わかりました。
このお話を、ふっと思い出すだけで心が浄めれて
いくのを感じます。
これは、初女先生からの贈り物なんですね。
この「美しい話」、私は一生忘れないと思います。
悲しくてどうしようもない時、苦しくて前が
見えなくなった時、この「美しい話」を
思い出そう、きっと心を照らしてくれる筈だから…