池田晶子さんの「魂とは」を読み終わり、
「魂の私」という言葉が心に響いています。
死は終わりではなく、新たなる始まり
そんな気がしています。
宮澤賢治の番組を観て、賢治は妹トシが
亡くなりトシの魂を追い、樺太まで行ったと
知りました。
あの宮沢賢治も魂を追いかけて行ったんだ…
私も、息子がどこへ行ったか知りたくて
福井県の仏国寺の老師様を訪ねたことがあります。
老師様に、「息子さんは、どこにも行っていません
お母さんと一緒にいます」と言われても信じられず
姿かたちを追い求め、悲しみから抜け出せなく
もがいていました。
賢治は1年後に、トシの死を受け入れ、
それはいいことだと、いう文章を書いていました。
多分、魂の永遠を知ったのではないでしょうか…
賢治の作品のことを精神科医の斎藤環さんが
喪の作業と言ってました。
死の受容の大きな力になるのは、
人間は死は終わりではなく、死して再び
始まるということに気づくことだと思います。
星野道夫さんも又、そのことを知っていた人だと
思います。
『この世に生きるすべてのものは
いつか土に帰り、また旅が始まる。
星野 道夫』
人は、魂は、いつも旅の途上にあるのですね。
終わらぬ旅の途上に…