森のイスキアの5月6日と20日に撮影した写真を
ランディさんに送ったら
「イスキアではないみたい。たてものが寂しがって
います。祈りが届いていないのだわ」という
メールが届きました。
主がいないイスキアは、本当に淋しそうです。
祈りが届いていないのか…
河合隼雄先生が森のイスキアに泊まられた時
「ここの空気はよそと違う。なんだろうな…
ああ、信仰かな。ここは開かれているね」と
言われたそうです。
写真を観ていると、切なくなります。
初女先生は、亡くなる前年の10月に
これからは新しい森のイスキアにするの
訪れた人がお料理を作るのと、話していましたが
ご自身がいなくなった後のことは、何も
おっしゃっていなかったから…
今なお、初女さんがいなくても、建物の中に
入れなくても、森のイスキアを訪れる人が
いるということ…
この建物に祈りを届けるには、どうすれば
いいのでしょう…
多くの人に生きる力をくれた森のイスキアが
淋しがっている…
初女先生、待っていれば先生からのお答えが
来るのでしょうか…
『かけがえのない者の死は、
多くの場合、
残された者にあるパワーを与えてゆく。
星野 道夫 』
<雪の残る5月6日の森のイスキア>