今朝、「あさイチ」で卒婚についての特集を
やってました。
出掛ける前の斜め見なので、それについては
何とも言えませんが、卒婚という言葉に違和感を
感じるのは私だけでしょうか…
卒婚についての意味を調べてみると
『離婚はせず、パートナーのカタチは緩く
持ちながらも、それぞれの人生を楽しんで
生きて行くという新しい夫婦の形態のこと』と
書いてありました。
確かに楽しそうであり楽な関係にみえます。
しかし、人間関係を深めるということからは
離れているような気がします。
夫婦は一番密接な人間関係といえると思います。
だからこそ、しんどさもあります。
何でこの人と結婚したんだろうと、思うことも
度々です。
そして夫婦は運命共同体かと、諦めることも…
初女さんは、女性はある時は夫の母に
ならなければいけない時があると、言われて
います。
前にも書いたと思いますが、河合隼雄さんは
『愛し合っているふたりが結婚したら幸福に
なるという、そんなばかな話はない。
そんなことを思って結婚するから憂うつに
なるんですね。
なんの為に結婚して夫婦になるかといったら、
苦しむために、「井戸掘り」をするためなんだ、
というのがぼくの結論です。
昔の夫婦は色々のことを協力してやって、
それが終わって死んでいって、それはそれで
めでたしだったんですね。
いまは協力だけではなくて、理解したいという
ことになってきている。
理解しようと思ったら、井戸掘りするしか
しようがないですね…
日本人にとっては、夫婦ってのは、おそらく
宗教ということが分かる入口になることが
多いのじゃないかと思います。』
河合隼雄さんのこの文章を読むと、簡単に
卒婚といって楽な関係を求めるのは
どうなんだろう?と思います。
『「人は人で磨かれる」とは亡き夫の言葉です
傷つくことを怖れて自分を守ろうとすれば
世間を狭くし、自分の心をも狭めます。
人はひとりでは生きていけないのです。
佐藤 初女 』